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2025.10.12

1960年代と2020年代でアメリカ旅行のコストはどう変わった!?

1964年。一般人の海外旅行が自由化された年に初めての海外、しかも世界一周旅行へと出かけたという筆者。それから50年、数えきれないほどの渡航経験がある筆者が1ドル360円の時代と現代のアメリカ旅行の費用を比較してみたら!?

BY :

文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト)
CREDIT :

イラスト/溝呂木 陽

岡崎宏司の「クルマ備忘録」連載 第268回

1960年代中頃のアメリカ旅行と現在の旅行の費用を比べてみると、、 

イラスト 溝呂木 陽 1960年代中頃のアメリカ旅行と現在の旅行の費用を比べてみる
僕が初めてアメリカに行ったのは1964年。一般人の海外旅行が自由化された年だ。このことは、すでに何度か書いている。

僕が24歳になった年だが、当時、この若さで、海外、、世界一周の旅に出られたのは、ラッキーとしか言いようがない。

大学を卒業、、雑誌社に入社したばかりで、月給はたしか2万7000円ほど。

加えて、好きなクルマを買うため、常に借金生活、、といった状況だったので、海外旅行に行く資金など、どうあがいても用意できるわけがない。

でも、なぜか、僕は世界一周便のチケットを持ち、羽田を飛び立ったのだ。
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この「とんでもないプレゼント!」を僕にくれたのは、家内の父親。夫を病で亡くした母親の再婚相手で、年齢も母親より下だった。

生まれと育ちは京都。京大を出てすぐフランスに渡り、ソルボンヌ大学に入るという履歴でも想像できるが、秀才だったようだ。

よく外国人と会ったり、電話をしたりしていたが、英語とフランス語を「流暢に話せる」ことは間違いなかった。

職業は服飾デザイナー。赤坂にこじんまりした女性向けオーダー服専門のブティックを持っていた。だが、少々変わり者で、むらっ気も多い人物だったので、結果的に、客は少数限定といった感じだったようだ。

そんな人物だったが、なぜか僕は気に入られて、仲が良かった。そして、、当時としては、想像もできないようなビッグなプレゼントをくれたのだ。もちろん大いに感謝もしたが、それより驚きの方がずっと大きかった。

母親も、いわゆる「肝っ玉母さん」の類で、「良かったね! 遠慮する必要なんかないよ」楽しんできなさい!」というだけだった。

家内も、また同じ。笑顔と「楽しんできてね!」のひと言だけで、受け容れてくれた。
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、、、といったことで、僕の初めての海外旅行は実現したのだが、、ここからは、現在と当時の諸々の価格 / 費用をピックアップ。昔の海外旅行が、現在と比べて、いかに高価なものだったかを振り返ってみたい。

ちなみに、文中に出てくる諸々の価格だが、1964年当時の為替レートは1$/360円、現在は1$/150円で換算している。

まず、1964年当時の航空運賃だが、AIで調べてみると、パンナムの世界一周便(エコノミークラス)は2300$。円に換算すると82万8000円になる。「僕の月給の30倍‼」ほどだ。

持ち出し可能な現金は「500$/18万円」に限られていたが、必死に節約してもこれで足りるわけがない。そこで、集めたお金を「念入りに隠して!?」持ち出した。

税関では当然ビクビクものだったが、検査は緩く、容易に通過できた。500$の持ち出し制限を課しながらも、国もそれで足りるわけがないのはわかっていたのかもしれない。

フライトは順調。最初の目的地LAには、空も大地も眩しいほど鮮やかなオレンジ色に染まる時間帯に着いた。「とうとう憧れのアメリカに来た‼」。僕は感極まっていた。
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LAの拠点はサンタモニカに置き、泊まったのは、1泊15$/5000円(360円換算)ほどの海辺のモーテル。今なら40$/6000円(150円換算)といったところだろう。場所もよく清潔だったし、満足できた。

チェックインの時「朝陽の入る部屋」を頼んだら、すぐOKしてくれたのもうれしかった。

僕は、アメリカ西海岸やコート・ダジュール辺りでは、目覚めてカーテンを開けた時、朝陽を浴びられる部屋が好きなのだ。

食事はほとん屋台で済ませた。いわゆる「ストリート フード」だが、幸い僕は食事にはあまりこだわらない質なので苦にならない。

ハンバーガー、ホットドッグ、パンケーキなどが好きなのも幸いした。ハンバーガーはだいたい50セント/180円くらいだったと記憶している。

あまり安くはない印象だが、これも当時の、1ドル/360円レートゆえのものだ。

現在の為替レートでは、ハンバーガー、フライドポテト、ドリンクのセットメニューの価格は、ストリートフードなら5ドル/750円、ちゃんとしたレストランでは20ドル/3000円ほどといったことになろう。
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ちなみに、僕のハンバーガーやホットドック好きは後期高齢者になった今でも変わっていない。幸い、わが家からクルマで30分圏内に、上記3種の美味しい店があるので、よく通っている。

僕はステーキも好きで、アメリカに行くと必ず評判のステーキ店に行く。

1964年当時は、16オンス(約450g)で7~10$くらいだったかと思うが、現在は70~100$は覚悟する必要がある。10倍だ。1$/360円時代だったらとても手が出ない。

アメリカ西海岸に行くなら、レンタカーは当然必需品のひとつ。僕は昔からハーツを借りているが、とくに理由はない。でも、面倒なことは1度も起きていないので、正解なのだろう。

1964年のLAでは、6気筒のムスタング クーペをレンタルしたが、当時の為替レートでは1日/7ドル(2500円)+1マイル/10セント(36円)くらいだったと思う。

1日/7ドルはまぁまぁだが、長い距離を走る僕にとって、1マイル/10セントは、かなりきつかった。

日本で100マイル(160キロ)は結構な距離だが、フリーウェイ/ハイウェイを使えば、100~200マイルなどほんのひとっ走り。
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ただし、ハイウェイも、フリーウェイも無料なのが救いだった。これで、日本並みの通行料金を取られたら、行動半径は否応なく狭められてしまっただろう。

ガソリン代が安いのもうれしかった。当時の日本では1ℓ/ 50円ほどだったが、アメリカでは円換算して30円/ℓほど。否応なく走行距離の伸びるアメリカでのガソリン代は、大きな出費になるだけに、とても助かった。

ちなみに、現在のアメリカのガソリン代は非常に高く、140~150円/ℓくらいする。さらに、物価の高いハワイ辺りともなると、180円/ℓほどにもなる。なかなか厳しい。

こうして個々の価格をピックアップし、比較してみると、60年ほど前のアメリカ旅行は、現在よりはむろん安かったが、月給2万7000円の若造には厳しかった。強力な助けがなければ、絶対に実現は無理だった。

でも、もっとも高価だった航空券を親がプレゼントしてくれたので、なんとか、貴重な旅を、宝物の旅を体験することができた。

ちなみに、僕のチケットは、羽田、LA、NY、ローマ、パリ、ロンドン、羽田での乗降が可能で、搭乗日は自由に予約できた。僕にとっては、まったく文句なしの内容だった。
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父とは「行く先」について、ひと言も話していなかった。だいたい、チケットを手渡されるまで、父がこんなことを計画していることさえまったく知らなかった。

でも、僕に渡されたチケットは、まるで僕の行きたいところがすべてわかっているかのような内容だった。

ホテルは自分で決めて、行く先々で自分で予約するよう言われた。最初は「ええーっ、そんなことできないよ。英語も片言でしかないし、、どうしよう‼」と困惑した。

でも父親は、「君なら大丈夫! 英語さえまったく通じないようなところへ行ってもなんとかできる。そうじゃなければ、こんな旅を勧めたりはしないさ。心配なんかするなよ!」と、背中を押してくれた。

その時の僕の心境は「うれしくて不安」といった複雑なものだった。でも、実際に旅が始まり、あれこれ不具合なことに出会っても、ビクつくこともなく、適切に対応できた。

仕事とプライベートを合わせると、たぶん400回以上海外の旅には出ていると思うが、その間には当然予期しない出来事にいろいろ出会った。良いことにも、悪いことにも。
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でも、そんなあれこれのほとんどが、結果としては楽しい思い出として残っている。

今は中身の濃いパッケージツアーも多くあるし、価格の安いツアーも少なくない。60年前に、一人で世界を旅した身にとっては、価格も内容も素晴らしいと思う。

でも、できれば、僕は、若い時のひとり旅をおすすめする。ましてや、携帯さえあれば、どんなところでも、容易に情報は得られるし、たとえ問題があろうと、対処の仕方も必ず見つけられるはずだ。

そんな時代になったのだから、ぜひ、ひとり旅にトライしてみてほしい。きっと、、いや、必ず、一生の貴重な思い出の数々を持って帰れるはずだ。
岡崎宏司(自動車ジャーナリスト)
1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。
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クルマの記憶 La memoria delle Automobili 溝呂木陽水彩展2025

溝呂木陽先生の個展が開催されます

本連載のイラストでお馴染みの溝呂木陽先生の個展が開催。目を閉じた時、浮かんでくる風景、風の記憶 車のある街角、イタリア、フランス、どこかで見た街、クルマの記憶を探り、水彩画にしていきます。新作水彩画/模型/模型雑誌/Tシャツ/おもちゃ/カレンダー/画集販売、オーダー水彩画受付/画集販売など盛りだくさん。ぜひ体験してください。

クルマの記憶
La memoria delle Automobili
溝呂木陽水彩展2025


場所/ペーターズショップアンドギャラリー
住所/東京都渋谷区神宮前2-31-18
会期/2025年10月17日(金)〜22(水)
時間/12時〜19時 会期中無休 入場無料

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