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2020.07.12

1990年代、エジプトの試乗会で起きたハプニング

かつてはアフリカを舞台にした国際試乗会や国際ディーラーミーティングが多く開催されていたそう。今回は、そんなカイロでの試乗会のお話。圧倒的なスケールの遺跡の魅了されたのもつかのま…

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文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト) イラスト/溝呂木 陽

岡崎宏司の「クルマ備忘録」連載 第138回

エジプト試乗会と予期せぬ出来事

ハッキリ覚えていないが、1990年代のはじめ頃だったと思う。これまたハッキリ覚えていないが、プジョーの試乗会だったかと思う。

その頃のプジョーをチェックしてみると、306の世界デビュー試乗会だった可能性が高い。となると、1993年ということになる。

アフリカを舞台にした国際試乗会や国際ディーラーミーティング(この種のイベントもけっこうお呼びがかかった)、最近はなくなったが、かつてはあった。

僕は、そんなイベントに招待され、エジプト、アルジェリア、モロッコの3カ国に行った。

しかも、観光旅行のような名所旧跡巡りではない。自らの運転で数百kmを移動するのだから、ある意味生々しい現地の素顔も見える。

エジプトの試乗会はカイロを起点に始まった。

ギザのピラミッドやスフィンクス、アブシンベル神殿のラムセス王と王妃の座像、ナイル河クルーズ、、と観光名所巡りもプログラムには入っていた。

が、その間は自分の運転で移動する。だから、大きな町、小さな町、豊かな人々、貧しい人々、、エジプト(カイロ周辺)の素顔が見られる。退屈する時間など一瞬もない。

それにしても、エジプトの遺跡はハンパではない。とくに、そのスケールには驚かされるし圧倒される。

古代の支配者たちの権力のすさまじさには、ただただ驚異と畏怖の念しかない。

遺跡の前に立つと、遺跡の中に足を踏み入れると、ひとりの人間の小ささを否応なく感じさせられる。

しかし、その小さな人間が、夢と大志と権力を持てば、とてつもない大事を成し遂げられることもまた強く実感できた。
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主催したメーカーには申し訳ないが、試乗したクルマの記憶はほとんど残っていない。だが、それはクルマが退屈だったからではない。試乗地に選んだ地のスケールと、その地で展開される圧倒的なスペクタクルゆえである。

試乗会最後のディナーの場は、ナイルに浮かぶ船上。片道1時間ほどのクルーズの間に見た、闇に浮かぶ遺跡の夜影もただただ幻想的。東京で過ごす日々からは完璧に切り離された、貴重な体験だった。

最後の夜は、ディナー解散後、同じクルーズ船に泊まるスケジュールだった。そのクルーズ船は宿泊設備も備えていたということだ。

僕は泊まりたかった。ナイルに浮かぶ船上で一夜を過ごすという、めったには訪れない機会を絶対に逃したくなかった。誰だってそうだろう。

ところが、日本を出る数日前、突然、重要な仕事のスケジュールが変更になり、ナイルの船上泊は諦めざるを得なかった。

ディナーを終えるとすぐ船を降りてカイロに向かった。カイロのホテルに泊まり、翌朝いちばんのフライトに乗らないと、日本での仕事に間に合わなかったからだ。

もう一人、同じ理由で、半日早く帰国しなければならない人がいた。僕はそのTさんと二人でカイロに向かった。

カイロのホテルに着いたのは23時を回った頃。順調に着いた。メーカーが予約してくれた部屋の鍵も受け取った。すべて順調だった。

、、、ところが、部屋の鍵を受け取った数秒後に舞台は一気に暗転した。

上記のように、日本を発つ数日前に予定を変更せざるを得なかったので、出発当日までに帰国便のチケット発券が間に合わなかった。
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そこで、カイロのホテル(カイロ・ヒルトン)のチェックインカウンターでチケットを受け取るはずになっていた、、、のだが、なんと、届いていない。

夜中なので、航空会社に問い合わせもできない。そこで、試乗会スタッフも泊まっているナイルの船上ホテルに電話を入れた。が、「22時で電話受付は終了しております、、」とのテープが空しく回るだけ。焦った。

同行したTさんは、「俺、こういうのまったく弱いんだ。ダメ、、ゴメン、、」と呆然自失状態。

ホテルのフロントマンも気の毒がってはくれたものの、なにもできない。そう、「じたばたしてもしょうがない」状況だった。

そこで、「空港に行けばなんとかなるだろう」と腹を決め、とりあえず部屋で一休みすることにした。

「旅行代理店が間に入って、チケットをホテルに届けることになっていたはず。なので、そんな役割の人でも思いだしたら、とりあえず連絡してみてほしい」とフロントマンに言い残して部屋に。

カイロ・ヒルトンは、ナイル川沿いに建つ超高層の高級ホテル。最近高層ビルは増えているようだが、当時のカイロではひときわ目立つ存在だった。写真で見ると、今でも目立っているようだが、、。

予約されていた部屋は高層階のスウィート。やたらに広い角部屋で、いくつもある部屋の電気を点けるだけでも一手間。それほど広かった。「超」の付くスウィートだった。

テラスに出ると、眼前に、カイロの街が、ナイル川が超ワイドに広がっている。加えて、視線を遮る高層ビルもない。「カイロの半分が見えている」、、マジにそう思えるくらい壮大な夜景だった。
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部屋に入った時点で、ホテルを出るまでの時間は4時間くらいしかなかった。寝るに寝られない時間だし、神経も昂ぶっている。

なので、Tさんに「このまま起きていましょうか、、」といったら、「なんでも岡ちゃんの言うとおりにするから」と、神妙な答え。

で、寝るのはやめて、冷蔵庫から飲み物やチョコレートを出してひとやすみ、、と、ソファーで身体を伸ばした。

そのとき電話が鳴った。フロントマンからで「チケット見つけられそうです。いろいろ当たったら運び手がわかって、居所もわかりそうです。もう少しでチケットをお部屋に届けられると思います」とのこと。

もちろん、チケットが届くことがいちばん嬉しかった。でも、フロントマンが頑張ってくれたことが同じくらい嬉しかった。旅先でなにかが起こったとき、しっかり手を貸してくれる人に出会うのはなにより嬉しい。

この朗報で、Tさんも俄然元気が出た。ほとんど口をつぐんでいたのに、冗談も出るようになった。僕も冗談で返した。

それから30分くらいして、ドアをノックする音が。チケットが入っているであろう封筒を持って、笑顔のフロントマンが立っていた。

若い運び手が「ついうっかりして、チケットをもったままクラブに遊びに行ってしまった」とのことだった。

「フロントで待っていて、直接謝りたいといっておりますので、謝らせに来させます」ということだったが、丁重に断った。

一刻も早く「事件」から解放されて、コークを、チョコレートを楽しみたかったし、2度とないかもしれない「超スウィートルーム」の贅沢を味わいたかったからだ。

早朝、フロントマンの笑顔に送られてホテルを出た。少し眠かったし、疲れてもいたが、とても心地よい朝だった。

● 岡崎宏司 / 自動車ジャーナリスト

1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。

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