• TOP
  • STAY&TRAVEL
  • かの人の愛したホテル(前)~池波正太郎、松本清張、内田百閒、伊集院静~

2017.07.20

かの人の愛したホテル(前)~池波正太郎、松本清張、内田百閒、伊集院静~

山の上ホテル、東京ステーションホテル、そして伝説の「なぎさホテル」が登場!

文/川田 剛史 撮影(山の上ホテル)/角田 進
山の上ホテル_池波正太郎_お部屋
快適な居心地や、洗練された食事にお酒など、ホテルは人々にリフレッシュする機会を提供する空間であります。ことに充実した人生を送る有名人は、ホテルとの関係が深いようで、実際に有名人との数々の逸話を持つホテルは少なくありません。あのコとの旅行や食事でホテルへ出かける際、「いまから行くホテルってさ…」なんてエピソードを添えてあげると、ホテルへの興味もグンと増すことでしょう。

というわけで、今回は知っておいて損のない、有名人たちの愛したホテルと、ユニークなエピソードをご紹介いたします。さあ、第一回は作家たちの愛したクラシックなホテルへと参りましょう。
山の上ホテル_外観

数々の文豪が滞在し、数々の名作が生まれたホテル

◆山の上ホテル/東京

お茶の水駅から、わずか6分ほど歩くと小高い場所にアールデコ調の建物が見えてきます。
それが、山の上ホテルです。ホテルとしての開業は1954年。さてこちらのホテル、文人たちとの逸話は枚挙にいとまがありません。というのも、出版社の集まるエリアに近かったため、編集者が諸先生方を山の上ホテルにかん詰めにして原稿を書いてもらうのが通例となっていたのです。

ファクスもメールもない時代、ロビーで待つ編集者と先生をつなぐのはフロントを介しての内線のみ。ときには、フロント担当者に居留守を頼んだり、こっそりと抜け出したりする先生もいたのだとか。
山の上ホテル_ロビー1
かつて芥川賞を受賞した作家たちのほとんどが山の上ホテルで受賞後の第一作を執筆しています。ロビーは朝から多くの編集者が訪れ、ピークの時間になると、ロビーにいる人の半分が編集者なんて時代も
なかでも山の上ホテルとつながりが深かったことで知られるのが、『鬼平犯科帳』や『真田太平記』などを書いた池波正太郎。ただ執筆をするための場所としてだけではなく、従業員とも親しくなるほどの常連だったと言います
山の上ホテルは全35室で、すべての部屋が異なるレイアウトになっています。池波が主に宿泊したのは、畳のお部屋にホテルが用意した座卓と座椅子を特別に入れた401号室でした。
※ 現在も希望があれば対応可能
PAGE 2
山の上ホテル_池波正太郎_お部屋
当時の池波の道具は、現在もホテルに保管されています。こちらは401号室で当時の創作活動の様子を再現したもの
山の上ホテルの魅力は7つもの本格的な飲食施設が用意されている点。池波は「今日はこちら、明日はあちら」とお店巡りも楽しんでいたようです。なかでも「てんぷらと和食 山の上」は、『池波正太郎の銀座日記(全)』(新潮文庫)に、何度も記述が登場するほどのお気に入り。朝食は館内のコーヒーパーラーでとることが多かったとされますが、後年は「てんぷらと和食山の上」の和定食も選んでいました
山の上ホテル_てんぷらと和食 山の上
1980年、ワインブームに先駆けてオープンしたのが「葡萄酒ぐら モンカーヴ」です。当初は会員制としてスタートし、今も壁に掛けられた会員リストには池波正太郎の名が刻まれています
山の上ホテル_池波正太郎_葡萄酒ぐらモンカーヴ
現在「葡萄酒ぐら モンカーヴ」は会員制ではなく一般の方も利用できます。ワインだけでなく、本格的な料理を楽しめるのがありがたい
PAGE 3
冒頭で述べた通り、数々の文人が愛した山の上ホテル。ここで、ほかの方のエピソードをご紹介しましょう。

川端康成、三島由紀夫も山の上ホテルの顧客として知られています。三島は「東京の真中にかういう静かな宿があるとは思わなかった。設備も清潔を極め、サービスもまだ少し素人っぽい処が実にいい。ねがはくは、ここが有名になりすぎたり、はやりすぎたりしませんやうに」と感想を書き残しました。

また、意外な著名人がムーミンの作者であるトーベ・ヤンソン。トーベ・ヤンソンは宿泊のお礼を愛らしい手紙で綴っています。
山の上ホテル_三島由紀夫
現在もホテルに保管されている三島由紀夫(右)、トーベ・ヤンソン(左)直筆の手紙。
山の上ホテル_バーノンノン
多くの作家が執筆の合間に羽根を休めた「バー ノンノン」。このバーは吉行淳之介のコラム「トワイライト・カフェ」(日本経済新聞)の舞台にもなっています

◆ 山の上ホテル

住所/東京都千代田区神田駿河台1-1
URL/www.yamanoue-hotel.co.jp/
予約・お問い合わせ/☎03-3293-2311

あなたの彼女が文学少女であってもなくても、その名を聞けばきっと目を丸くするような作家たちが愛したのがこちらのホテル。長い歴史をもつホテルならではの豊かな物語を知っているのが、遊び慣れた大人の証というものではないでしょうか。
PAGE 4

ジンコクテルを頼めば、アナタも通になれる(かも)

◆東京ステーションホテル

東京ステーションホテル_外観
続いて、ご紹介するのは東京駅丸の内駅舎の中にあり、100年を超える歴史を誇る東京ステーションホテルです。開業は東京駅開業の翌年に当たる1915年。1945年の空襲により、駅舎は3階建てから2階建てになってしまいましたが、2012年の東京駅丸の内駅舎保存・復原工事により、現在は創建当時の姿を取り戻しています。

仕事の疲れを癒したのはジンコクテル

さて、東京を代表するクラシックホテルだけに、著名人との係わりは少なくありません。そのなかから逸話をピックアップするならば、まずは鉄道好きでもあった内田百閒でしょう。1937年の年末、彼はこのホテル(当時の名称は東京鉄道ホテル)に宿泊し『東京日記』を執筆したといわれています。戦後、東京ステーションホテルの営業再開以降は、おもに宴会で利用。内田百閒はたびたびバー「カメリア」を訪れ、“ジンコクテル(マティーニ)をアルコール強めで”と、たびたび注文をしていました。

「カメリア」は現在ランチタイムから営業するバー&カフェとして存続していて、今も「ジンコクテル(マティーニ)」を提供しています。実際に内田百閒にカクテルを作ってお出ししていたバーテンダーの杉本 寿さんは今なお館内のバー「オーク」で現役。杉本さんがカクテルなどを提供しているというのもうれしい話ではありませんか。
東京ステーションホテル_カメリア(1950) 
東京ステーションホテル_カメリア
上は1950年代のバー「カメリア」。現在は下のように上質な雰囲気にアップデイトされています。バックバーの「STATION HOTEL」の文字は当時からのものです
東京ステーションホテル_ジンコクテル
彼女に「ジンコクテルをアルコール強めで! と注文してごらん」と入れ知恵しておけば、もしかするとバーテンダーが「通ですね」なんて表情を彼女に見せてくれるかもしれませんよ。写真はバー「オーク」のもの
PAGE 5

傑作ミステリーのトリックが生まれたお部屋

東京ステーションホテルを語るうえで、もうひとり欠かせない人物が松本清張。同氏は当時、東京駅のホームが見渡せる2階すぐの線路側の旧209号室(現在の2033号室)に好んで宿泊していました。さる松本ミステリーの代表作のトリックは、この部屋で着想を得たと言われています。

それが『点と線』。誰もが知る傑作にゆかりのあるお部屋に宿泊するなんて、とても特別な体験といえるのではないでしょうか。
東京ステーションホテル_2階客室(1950)
東京ステーションホテル_2階客室
1950年代の2階客室(上)。現在の客室(下)は写真の「ドームサイド」が人気となっています。残念ながら、現在ホテルのお部屋から東京駅のホームは見渡せません
東京ステーションホテル_点と線
2012年のリニューアル後、2033号室そばの廊下には、「点と線」の連載第1話の誌面
2012年のリニューアル後、2033号室そばの廊下には、「点と線」の連載第1話の誌面 とトリックで使われた「特急あさかぜ」の時刻表の複製が飾られています。これはホテルの内装がリニューアルしてもストーリーを伝えるために、用意されたとのこと。歴史があるホテルならではのおもてなしと言えましょう

◆ 東京ステーションホテル

住所/東京都千代田区丸の内1-9-1
URL/www.tokyostationhotel.jp/
予約・お問い合わせ/☎03-5220-1111

PAGE 6

伊集院 静が7年余り暮らした伝説のホテル

◆逗子なぎさホテル

最後に、いまはなき伝説のホテルをご紹介しましょう。かつて逗子の海沿いにあった、逗子なぎさホテルをご存じでしょうか? 1926年に開業し1989年に閉館した同ホテルは小さいながらに皇族も訪れるほど品格を備えた施設でした。そんな逗子なぎさホテルに約7年も暮らしたという文人がいます。その方は伊集院 静さん。

1978年、東京での生活がうまくいかず、故郷へ戻らなければならないものの、帰郷の決心もいまひとつつかない。そんな伊集院さんは、帰路の途中で気まぐれに逗子の海を見に立ち寄りました。そしてホテル前の浜辺で逗子なぎさホテルの支配人と出会い、縁もゆかりも(さらにお金も)ないのに、支配人の招きでホテル暮らしを始めることになるのです。
  
この不思議な出会いから始まったホテルでの生活や当時の体験は『なぎさホテル』(小学館)というタイトルで一冊の本にまとめられています。「事実は小説より奇なり」と申しますが、ふたりの他愛もない会話に始まり、家族のように受け入れられたホテルでの暮らしは、実に興味深いものです。
なぎさホテル
イラスト/Isaku Goto
伊集院さんはホテル代をため込んでも催促をされなかったという信じられない体験をしています。「今、考えると見ず知らずの若者にどうしてそこまでしてくれたのか、わからない」、「ホテルで過ごした七年余りの日々は、時折、思い起こしても、夢のような時間だった」(ともに『なぎさホテル』)とご本人も書いています。

伊集院さんの最初の小説『皐月』が逗子なぎさホテルの部屋で書かれたほか、美しい早朝の海の様子はのちに作品『白秋』で描写されています。いわば逗子なぎさホテルは、彼の作家活動の起点となった場所と言えましょう。

その後、夏目雅子さんとの結婚を機に伊集院さんはホテル暮らしを終え、施設は1989年に閉館となりました。

いまはファミリーレストランになってしまったという、その場所。もし、彼女と逗子の浜辺を訪れることがあれば、「なにか特別なことが始まるかもしれないよ」なんて言いながら、逗子なぎさホテルの話をしてあげてみては? きっと「なに?なに?」と身を乗り出して聞いてくれるに違いありませんよ。

登録無料! 最新情報や人気記事がいち早く届く! 公式ニュースレター

人気記事のランキングや、Club LEONの最新情報などお得な情報を毎週お届けします!

登録無料! 最新情報や人気記事がいち早く届く! 公式ニュースレター

人気記事のランキングや、Club LEONの最新情報などお得な情報を毎週お届けします!

この記事が気に入ったら「いいね!」しよう

Web LEONの最新ニュースをお届けします。

SPECIAL

    おすすめの記事

      SERIES:連載

      READ MORE

      買えるLEON

        かの人の愛したホテル(前)~池波正太郎、松本清張、内田百閒、伊集院静~ | 旅行 | LEON レオン オフィシャルWebサイト