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2021.01.14

■藤本壮介(建築家)

世界が注目する建築家の素顔「目の前の状況を面白がりながら、どんどん巻き込まれていきたい」

現代日本を代表する建築家として、世界が注目する藤本壮介さん。一度見たら決して忘れられない、印象的な建築物を次々と生み出す藤本さんのクリエイティブな活動の原動力とは? そこには好奇心旺盛ですべてを前向きに捉える藤本流楽観主義がありました。

CREDIT :

写真/トヨダリョウ 文/江藤詩文

先の見えない混沌とした現代にあっても独自のスタイルで覚悟をもって社会と対峙している大人たちを“カッコいい”という括りでご紹介してきた今回の特集。次にご登場願うのは建築家の藤本壮介さんです。

藤本さんは、現代日本の建築界をリードする建築家。安藤忠雄さんや伊東豊雄さんといった歴史に名を刻む建築家のネクストジェネレーションとして、いまや世界中から注目を集めています。
▲ 藤本さんの代表作のひとつ「サーペンタイン・ギャラリー・パビリオン2013」(2013年)。ロンドンのケンジントン・ガーデンズに造られた仮設のパビリオン。(c) IWAN BAAN
そんな藤本さんの建築作品は、一般的には相対すると思われるふたつの概念、自然と人工物、個人と社会、プライベートとパブリック、室内と屋外などの関係性を示し、それらを融合した空間として知られています。

例えば、最新作のひとつで、2020年12月に群馬県前橋市にオープンしたばかりの「白井屋ホテル」。ここでは、300年以上の歴史をもつ建造物の梁だけを残して吹き抜けをつくり、むき出しのコンクリートに、現代アーティストのレアンドロ・エルリッヒによる光のインスタレーションを絡ませました。過去と現在、目に見える世界と見えない世界が共存する、不思議なアート空間の誕生です。

藤本さんにしか創れない、このコンセプチュアルな建築の発想はどのようにして確立されたのか。その源はどこにあるのか。日本国内に留まらず、世界で活躍する秘訣と合わせて伺いました。
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ガウディからアインシュタイン、ル・コルビュジェへ

──いつ、どんなきっかけで建築の道を志したのでしょうか。

藤本 建築という表現手段を認識したのは、中学生の時でした。精神科医の父親はアートへの造詣が深く、父が持っていた本の中にアントニ・ガウディの作品集があったのです。建築って単にビルを造るわけじゃなく、クリエイティブなものなんだと、何となく記憶に残りました。

高校時代は、物理や数学が得意で、将来は理系の道へ進むだろうなと思っていました。この頃憧れていたのは、アインシュタインです。ところが大学(東京大学)に進学したら、高校の物理とはレベルが違うわけです。これは難しいと、専門課程へ進むに当たり、建築学科を選びました。

──物理を諦めて建築学科へ。でもそれは挫折ではなく、華麗なる将来へのポジティブな選択だったのですね。

藤本 そうでしょうか(笑)。実は建築に対して、当時はあまり知識もなく。建築学科に進んで、初めてル・コルビュジェやミース・ファン・デル・ローエ、フランク・ロイド・ライトといった20世紀初頭のモダニズム建築を代表する建築家を知ったんです。これまでの価値観を変える新しい建築を創造した彼らに、またたく間に夢中になりました。
──ル・コルビュジェも知らずに東大の建築学科に進んでしまったというのも衝撃ですが(笑)、そこからの吸収スピードがすごかったのですね。

藤本 こうして振り返ってみると、ガウディも、アインシュタインも、モダニズム建築の巨匠たちも、既存の固定概念を覆して、新しい何かを切り拓いた人たち。子どもの頃から、そういう大人をカッコいいと思って強く惹かれたのでしょうね。

その後大学4年生で、初めてヨーロッパに旅行して、フランス、スペイン、イタリアを回り、本物の作品に触れたことが決定打になりました。ガウディの「サグラダ・ファミリア」も見ましたし、ル・コルビュジェがフランスのマルセイユ郊外に建てた集合住宅「ユニテ・ダビタシオン」は、今も記憶に刻まれています。

──ル・コルビュジェと同じく、藤本さんの代表作のひとつにも、フランスの集合住宅がありますね。

藤本 僕たちは、フランス南部のモンペリエに「L’Arbre Blanc(ラルブル・ブラン=白い木)」という集合住宅をつくりました。街も、時代も、表現方法も違いますが、ル・コルビュジェに恥ずかしくないものをつくれたと思っています。
▲ 藤本さんがフランスに造った集合住宅「L’Arbre Blanc」(2019年)。(c) IWAN BAAN
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建築への思考を深めたモラトリアムな時間

──大学在学中に「建築家になる」と将来の目標を定めた藤本さんですが、卒業後は進学も就職もせず、東京・中野のアパートで何もしない日々を過ごしていたとか。その期間はなんと6年間。優雅なモラトリアム生活のようにも思えますが、端的に言えば無職で暮らしていたのですよね。なぜそのような生活をされたのですか?

藤本 そうですよね(笑)。でも、建築学科を卒業したからといって、すぐに建築家としてデビューできるわけではありません。普通は、大学院に進学するか、事務所に入って経験を積むか。留学という選択肢もありました。

建築家になると目標は決まっていたけれど、じゃあどんな建築をつくるのかといえば、まだ何もわからない。わからないまま進学して、勉強を続けるのもモチベーションが続きません。

憧れていた伊藤豊雄さんやSANAA(妹島和世さんと西沢立衛さんのユニット)の事務所に就職することも考えましたが、当時の僕は内気で、自分の作品を否定されたら立ち直れないかもしれないと思うと、怖くて応募できませんでした。

留学も、英語をしゃべれないしちょっと不安。若者にありがちかもしれませんが、キャリアも自信もないから、最初の一歩を踏み出せなかったのです。
──どんな毎日を過ごしていたのでしょうか。

藤本 毎日のように街を歩きながら、建造物を見たり、都市づくりについて考えたりしていました。僕が育った北海道の東神楽という町には、大自然があります。一方、当時住んでいた中野にはビルもあれば自然発生的に生まれたごちゃごちゃとした町並みもある。それらを繋ぐものは何なのか。建築の本質はどこにあるのか。

結果的に6年間と長くなりましたが、将来を悲観して暗い気持ちになることはなかったのです。むしろ、ここでじっくり考える時間をとったことで、僕がつくりたい建築とはどんなものなのかが、クリアになっていきました。
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白と黒の間にあるグレーのグラデーションをすくい取る

──普通の若者であれば大学を出て6年も働かないという選択肢は怖くてできないと思います。でも、藤本さんはそれをした。そして自らと向き合い、思いを熟成する期間があったからこそ、自然と都市、相反する概念が融合するという、いまの藤本さんの作品が誕生したわけですね。

藤本 結果としてそうなってしまったというだけの話なのですが(笑)。それをコンセプトとして言語化したのは、建築家として仕事を始めた初期のころ、地元の北海道で、子どものための心理治療施設を設計した時です。後で考えると、この設計を手がけたことで、建築ができること、僕がつくりたい建築が具現化しました。

──それは具体的にはどんなことですか?

藤本 子どもの心に寄り添って、ひとり対みんな、つまり個か集団かという対立する概念ではなく、ひとりでいたいけれども、みんなの気配を感じたいとか、みんなでいるのはしんどいけれど、ふたりか3人でいたいとか。そんな曖昧な子どもの気持ちを、建築ですくい取りたいと考えました。

白か黒かをはっきり区別するのではなく、その間に無数にあるグレーのグラデーションを切り捨てたくなかった。対立する概念をグラデーションで繋ぐ。それが建築の本質で、自分がつくりたいものだということが、はっきりしたのです。
▲ 北海道伊達市に造られた「児童心理治療施設」(2006年)。 (c) DAICI ANO
──最新作の「白井屋ホテル」でも、建物内に公園のようなグリーンスペースを造ることで、内部と外部の垣根が溶け合い、誰もが足を止めやすい雰囲気を演出されていますね。

藤本 ホテルのラウンジというプライベートエリアでありながら、地元の人がふらりと入りやすいパブリックスペースとしての役割も持たせています。

人の話に耳を傾け、心の声に耳を澄ます

──「白井屋ホテル」の設計には、6年以上の月日を費やしたと聞きました。建築家の場合、芸術家のようにひとりでアトリエに籠って作品を創るわけではなく、まず施主の注文があり、場所も目的も納期も決まっているなど非常に制限の多いお仕事です。そのなかで藤本さんが最も大切にされているのはどんなことでしょう?

藤本 そうですね。建築家にもいろんなタイプがいていいと思いますけれど、僕の場合は、まずクライアントさんの話をちゃんと聞くということでしょうか。僕が何かをグイグイ話すというよりは、いろいろな話を引き出したいんです。じっくりと話を聞き、施主さんが具体的に認識しているわけではない潜在的な願い、そんな心の声のようなものにも耳を澄ませたいと考えています。
──なんだかお父様のご職業である精神科医にも必要な資質と共通しているように感じます。

藤本 父はあまり仕事の話はしませんでしたが、僕がまだ子どもの頃、何かの折に精神科医っていうのは人の話を聞くことが仕事なんだと言っていたことがありました。つまり患者さんを論理的に説得しても意味がない。ひたすら話を聞くことによって、患者さんの心が次第に癒されていくという。当時はなんとなく聞いていましたが、今ならその意味がよくわかります。建築家の仕事も、おそらく精神科医と同じく、人の話を聞くことからすべてが始まる。ただ、建築家の場合、謙虚に耳を傾けるだけだと物事が進まない。そこから誠実に、勇気をもって一歩を踏み出すというのが、すごく大切だなと思っています。
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カッコいい日本人建築家の先輩から受け継いだもの

──相反する要素を融合した藤本さんの建築は、世界でも高く評価されています。独立当初から、海外進出を目指していたのでしょうか。

藤本 そもそも日本人の建築家は、海外で注目されやすく、話題にもしてもらいやすいのです。それは丹下健三さんや磯崎新さん、黒川紀章さん、そして安藤忠雄さんなど、多くの先輩が海外でも活躍して、日本人建築家の評判を高めてくれたおかげです。次に出てくる日本人建築家は誰かな、と興味をもってもらうことができました。
 
また、歴代の建築家の皆さんが、海外を舞台に仕事をされているので、自分もいつか海外で仕事をすることになるだろうと、自然に思っていました。コロナ禍以前は、1年で30回以上、海外のプレゼンテーションや講演を行っていました。
──先程、留学に行くのも不安なほど英語を話すのが苦手とおっしゃっていらしたのに、海外で講演ですか。

藤本 受験をしたので受験英語は勉強しました。でも、僕の世代にはよくあることだと思いますが、受験英語はできても、会話は苦手だったんです。初めて海外での講演の依頼を受けたのは、マレーシアのクアラルンプールでした。直前の依頼でしたから、もしかしたら誰かがキャンセルして、ピンチヒッターだったのかもしれません。

飛行機の中で必死に原稿を書き、講演ではそれを読み上げました。その時はもう頭がいっぱいで、せっかくだからマレーシアの建築を見ようなんていう余裕さえありませんでした。

──誰かの代打かもしれないのに、やってみようと挑戦される姿勢が藤本さんらしいですね。

藤本 僕は好奇心が旺盛で、目の前の状況を面白がりながら、どんどん巻き込まれていくタイプ。小さなことにくよくよしない楽観的な性格で、この性格は建築家に向いていると思います(笑)。講演もそうした経験を重ねたことで、次第に自信をもてるようになっていったのだと思います。

いまも好奇心の赴くまま、例えば北欧に呼ばれたらアルヴァ・アアルトの建築を見て回るなど、依頼があったらとりあえず行ってみて、人に会い、その土地の建築を見る。そんなことを繰り返しています。
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大阪万博では世界中の人が交流する場をつくりたい

──先ごろ、「2025年日本国際博覧会」(大阪・関西万博)の協会事務局会場デザインプロデューサーに就任されました。

藤本 今は新しいものが発表されれば、世界中からすぐに情報が発信され、オンラインで人々が繋がれる時代です。けれどもそれは、ほんとうに繋がっていたのか。2020年は、そんなことを考える機会も多かったですよね。

万博は、世界中から人とモノが集まり、「世界がひとつになる」という尊いもの。そこに意義があるし、そのための場をデザインしたいと考えています。

大阪では、安藤忠雄さんをはじめ、たくさんの人たちに支えていただいています。カッコいい先輩たちからいただいたものを、これからは次の世代に伝えていきたいですね。
1時間以上に及んだインタビュー中、ただの一度も否定の言葉を口にしなかった藤本さん。聞き手(筆者)の理解が追いつかなければ、噛み砕いて易しく言い換える。方向性を正したければ、一度質問を肯定的に受け止めてから言葉を添える。プロと素人、話し手と聞き手。相反する要素が融合していくような対話の時間。藤本さんの建築物が、大胆で斬新なビジュアルながら居心地よく人を和ませる理由は、藤本さんの多様性を受け止める懐の深さにあると感じました。

● 藤本壮介(ふじもと・そうすけ)

建築家。1971年、北海道旭川市生まれ。1994年、東京大学工学部建築学科卒業。2000年、藤本壮介建築設計事務所を設立。2008年、日本建築大賞受賞、2014年、フランス・モンペリエ国際設計競技最優秀賞(ラルブル・ブラン)に続き、2015年、2017年、2018年にもヨーロッパ各国の国際設計競技にて最優秀賞を受賞。2020年、「2025年日本国際博覧会」の協会事務局会場デザインプロデューサーに就任。主な作品に、ロンドンのサーペンタイン・ギャラリー・パビリオン2013 (2013年)、House NA(2011年)、武蔵野美術大学 美術館・図書館 (2010年)、House N (2008年) など。

●江藤詩文(えとう・しふみ)

世界を旅するライター。ガストロノミーツーリズムをテーマに、世界各地を取材して各種メディアで執筆。著名なシェフをはじめ、各国でのインタビュー多数。訪れた国は60カ国以上。著書に電子書籍「ほろ酔い鉄子の世界鉄道~乗っ旅、食べ旅~」(小学館)シリーズ3巻。Instagram(@travel_foodie_tokyo)でも旅情報を発信中。

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