「ここでは体験など、提供しない」。場やモノそれ自体が個性と主張を持って、人々に体験を提供するいわゆる“体験型”の施設やサービスが主流となりつつある今、「ギンザ シックス」のインテリアデザインを担ったグエナエル・ニコラ氏は迷いなくそう語る。「あるのは『ギンザ シックス』というただの“場”だ」。
関わったクリエイターが口々に「第一に“場”である」と言い切るこの建造物を、ニコラ氏は、100年先も古さを感じさせないランドマークとして、そこに存在し続けるだろうと予見する。日本、そして世界の注目を集める巨大な“場”の誕生に関わった人々は、果たして何を信じてこの歴史的プロジェクトを成し遂げたのか。グエナエル・ニコラ氏、新素材研究所、観世清和氏の3者の視点から、一言に商業施設とは言い切れない、「ギンザ シックス」の魅力に迫る。
■五感を呼び覚ます場としての「ギンザ シックス」
「どう、柔からいでしょう」。上りのエスカレーターで目の前にいたグエナエル・ニコラ氏が、こちらに振り返ってそう言った。20日のオープンを数日後に控えたプレス内覧会でのことだ。
「光と素材のバランスがすごくいい。吹き抜けの天井には和紙をあつらえて、上から注ぐ光を全体に優しく透過している」。そう言って、彼は天井を指差した。「ここを見て。壁や床の素材もそう。木材や金属なんかの異素材がバランス良く配置されているから、長くいても疲れないでしょう。全体がとても柔らかいんです」。
そして、エスカレーターが上りきると、パッと視界が明るくなった。「人間にもリズムってあるんですね。緩急が大事。エスカレーターや、エレベーターホールなんかは、少し一息つきたいから、光はトーンダウンする。人間のリズムに合わせて建物の方が変化する。だからここにいると、なんとなく気持ちがいいでしょう」。
この会話の数十分前に、彼のオフィシャルトークがあった。プレス関係者を前に、自身が担った「ギンザ シックス」のインテリアデザインについて、詳しい解説を行ってくれたのだ。
「この建物は、訪れる人々に特定の体験を提供するような自己主張はしない。ここでは、ただ人々のリズムにピタリと合う自然な流れがあるだけだ。ここはただの場に過ぎない。何か体験のようなものがあるとすれば、それは人々の中に初めからある感覚を呼び起こしたに過ぎない。自然と何かに出会い、自然と感情が湧き上がる場。それが我々の作りたかった『ギンザ シックス』です」。
実際に「ギンザ シックス」を訪れた方は、あの何とも言えない居心地の良さを実感したのではないだろうか。偶発的に生まれる店やモノとの出会い、自発的に湧き上がるそれぞれの感覚は、決して偶然の賜物ではない。中央の大きな吹き抜け、壁の素材、柔らかな光のトーンなど、すべてが人の自然な心の流れを促すべく意図されているのだ。
「商業施設に必要な最後のレイヤーは“人”です。まずは、周辺で暮らし働く人々に愛されてほしい。その結果、より外の、より多くの人々に愛される場となっていくはずなのです」。そう、グエナエル・ニコラ氏は語った。
■「名馬を藁屋に繋ぎ止めたる風情」の「粋」
「豪華さをひけらかすことが20世紀までの豪華の世界スタンダードだった。しかし我が国の伝統的な価値観ではそれは『野暮』と称されてきた」。「ギンザ シックス」のコンセプトである“New Luxury”を考える時、現代美術作家の杉本博司氏は日本の伝統的な価値観である「粋」について思いを馳せたという。
「利休のいう『名馬を藁屋に繋ぎ止めたる風情』。これが『粋』というものだ。粗末な茶室で名椀を使う、というのもこの感性の延長線上にある。しかしここで重要なのは粗末を装いながら実は手の込んだ造作を演出する点にある。いわば金持ちが貧乏人を装う、この美意識は転び様によっては洗練か嫌みの境界線上にある。名人が危うきに遊ぶように、時代の新しい感性は常に反動の揺り戻しに晒される」。
2008年、杉本氏は建築家の榊田倫之氏とともに建築設計事務所、「新素材研究所」を設立。そして「ギンザ シックス」の精神が究極的に体現された場所であるプレミアムラウンジ、「ラウンジ シックス」のインテリアデザインを担うこととなる。
「左官職人による黒漆喰、大正時代の看板ブリキ、市電の敷石、縦桟(たてざん)の障子、鼠子(ネズコ)のへぎ板、胡麻竹、古美色の宣徳(せんとく)メッキ」
上に並べたこれらは、すべて「ラウンジ シックス」のインテリアに使用されている素材だ。「新素材研究所」の名の通り、素材への愛情が深い同社はこの広間に実に多くの“変わった”素材を用いた。
しかし、慎重に選ばれ、それぞれにしかできない役割を持った素材は部屋の随所にピタリと配置され、プレミアムラウンジの名にふさわしい洗練の空気を醸成しているのだ。豪華なものをそれらしく並べただけのラグジュアリーとは一線を画す静寂の美。まさに日本的な感性がひっそりと息づく温故知新の“贅”が詰まった空間だ。
そして最後に杉本氏はこう言う。「銀座は土地柄が美人だ。その土地柄を美人に保ち続けること、それも日本の伝統的な美意識に則って。これが私達に課せられた使命だ」。
■「お能はマイナスの芸術なんですね」
明治維新にともなって拝領地を幕府に返上して以来、150年ぶりに銀座に帰還した観世能楽堂。それまで渋谷の松濤という閑静な住宅街で守り続けてきた檜舞台を、「ギンザ シックス」の地下3階に移設したのだ。「日本の伝統芸能を、文字通り底力で支えたい」。二十六世観世宗家として、観世の伝統を繋ぐ観世清和氏は、多くの人に、最初は理解できずともまずは一度来てほしいと語る。
プレス内覧会のために舞台に上り、自身の思いを語る観世氏の姿に、何もこの移設が彼の挑戦の始まりではないのだと知った。古くは観阿弥、世阿弥に始まる能楽最大流派の家元は、能という芸能を広く浸透させるため、2016年はニューヨークのローズシアターで5日間6公演をこなすなど、これまでずっと革新的な試みに挑み続けていたのだ。
「昨今、世の中が日本の伝統に注目してくれるのは嬉しいのですが、私どもは世阿弥の『稽古は強かれ、常識はなかれ』の言葉のように、これからもひたすら研鑽を積んで参るばかりです」
そう、どんなに時代や社会が変わっても、日々の稽古は長きにわたって変わらず行われてきたのだ。そして、観世氏が自身で鑑賞されたという宝塚の演劇についての話があった。「あれはいいですね。何といっても面白いじゃありませんか。お能とは違います。お能は鎮魂、レクイエムなんですね。エンターテインメントは無理ですよ。お能はマイナスの芸術なんです。いかにして舞わないか、いかにして歌わないかが究極の目標なのですから」。
観世氏の今の目標は、「ギンザ シックス」の能楽堂、舞台の上部に字幕モニターを設置することだという。「当初はイヤホンガイドのみですが、今後は他言語対応、また視覚障害をお持ちの方にも能を楽しんでいただける環境を作りたい。新しい能楽堂は、日本の方、海外の方、鑑賞にサポートの必要な方の分け隔てなく、理屈抜きで見ていただける場所でありたいのです。頑張って貯金をして、必ずこの目標を果たしたい」。
アメリカで、公演前夜にはじめから起こし直したというガイド用英訳文は、能の最も大事な部分が抜けていたという。「いかにして、我々の見ている景色を、舞台を見ている人々へ伝えるか。お能は心から心への芸術なのです」。
多くの人に見てもらいたいと、観世氏を突き動かすその景色がどのようなものなのか、いつか自分の心で見てみたいと、そう強く思ったのは私だけではないはずだ。
構成/木村千鶴、文/冨永麻由(編集部)