2026.09.14
「サイゼリヤ」推しでバズったイタリア人、マッシさんの生き方。「目標は決めずマイペースで自分らしく、やりたいことをやる」
Web LEONの人気連載「イタリア人マッシの思考する食欲」の著者でもあるマッシさんの新刊『イタリア紳士、うまいと叫ぶ』が発売されました。来日してもうすぐ20年になるマッシさんは何故こんなにうまく日本になじみ、日本を楽しみながら生活していけるのか? 彼独自の人生観からその秘密が見えてきましたよ。
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写真/田中駿伍(MAETTICO) 構成/井上真規子 取材・編集/森本 泉(Web LEON)

Web LEONの人気連載「イタリア人マッシの思考する食欲」の著者でもあるマッシさんの2冊目の著書『イタリア紳士、うまいと叫ぶ』(亜紀書房)が発売されました。果たしてどんな本なのか? グルメだけでなく幅広い話題を盛り込んだ新刊の話とともに、改めてマッシさんの人物像に迫りました。
来日してもうすぐ20年になるマッシさんは何故こんなにうまく日本になじみ、日本を楽しみながら生活していけるのか? 彼の故郷、ピエモンテに根差した独自の人生観からその秘密が見えてきましたよ。
「グルメエッセイだけでなく、イタリアの文化や日本の魅力についても書いた」
── 新刊『イタリア紳士、うまいと叫ぶ』が発売されました。書き下ろしだそうですが、いつから制作を始めたのですか?
マッシ 一部はnoteで発表したものですが、半分以上はゼロからの書下ろしです。9月から半年間かけて書きました。グルメエッセイ本と言っているけど、グルメの話だけでなく、故郷のイタリア・ピエモンテ州の話やイタリア現地の家庭の事情、僕が思う日本語の魅力まで、文化的な話もたくさん書いてます。
── Web LEONでずっとお願いしている連載「イタリア人マッシの思考する食欲」もただのグルメエッセイではなく、ある種のガストロノミーというか、食事と文化の関係を考察した原稿が特徴ですね。新刊もそういう面でも面白い内容になっているんだろうと。
マッシ ありがとうございます。実は去年、6年ぶりに3回イタリアに帰ったんです。それで久々に実家でお母さんの姿を見て面白いなと思ったこととか、現地のリアルな話も書きました。
── 6年間も帰ってなかったんですか。イタリアでの帰省話、おもしろそう。お父様は大学の時に亡くなられたんでしたよね。
マッシ そう。僕は一人っ子だから、お母さんは一人で暮らしてます。コロナもあったし、仕事のスケジュールで都合がなかなかつかなくて。お母さんは長く滞在してほしいから、「短期間なら帰ってこなくてもいいよ」って言ってたけど、このままだとずっと帰れなくなると思って、一旦去年の2月に2〜3週間くらい帰りました。
── 元気なうちに帰れてよかった。
マッシ そうそう、後悔しないように!

「子供時代は、お母さんのスウィーツ作りをいつも手伝っていた」
── マッシさんは今年で43歳でしたよね。生まれたのもピエモンテ州? ピエモンテといえば、ワインですね。あとはフィアット社のイメージ。どんな所ですか?
マッシ フランスの横で、イタリアの北西にある州。一番大きい都市はトリノです。北には、モンブランやアルプス山脈があって山がすごく身近な存在。僕の故郷は標高4〜500mで丘陵地帯だけど、山はすごく綺麗に見えます。
ワインはネッビオーロ種の「バローロ」が有名。ピエモンテというと必ずワインやトリュフ、チョコレートとかグルメが話題になるけど、「フィアット」、「ゼニア」、「ロロ・ピアーナ」、「ボルサリーノ」、コーヒーの「ビアレッティ」とか、ピエモンテ発祥の会社も結構多いんです。意外と知られてないですね。
── 同じイタリアでも、北と南で人の気質はだいぶ違う印象があります。ピエモンテ人もまた違うんですか?
マッシ 違いますね。よく言われるのは、トリノの人は京都人みたいに「言っていることと、考えていることが違う」ってこと。ピエモンテでは、トリノの人は何を考えているのかわからないって思われてます(笑)。
── そうですか! 京都人みたいなある種のプライドというか、自分たちの文化に対してこだわりや誇りを持っているのかな。
マッシ それはあると思います。
── マッシさんは、どんなお家で育ったんですか? お父様はどんな仕事だったんでしょう。
マッシ お父さんは庭師で、子供の時からずっと自然に囲まれて育ちました。実家は、ピエモンテの田舎によくある、2、3階建ての結構広めの家。大きな庭があって、1番近い家でも100mくらいは離れていたかな。
── マッシさんは、子供の頃から食いしん坊だったんですか?
マッシ そうですね。お母さんが甘いもの好きで、「このスウィーツ、作ってみたい」「このアレンジをしたらどう?」ってよく独り言を言っていたから、僕もアシスタントで母のスウィーツ作りに付き合ってました。その流れで、僕もスウィーツが好きになって。だからいつも頭の中では「美味しいものは必ずもっと美味しく感じられる」「もっと美味しく楽しく作れる」って考えています。

「夏休みの課題でたまたま手に取ったのが、井原西鶴の文学本」
── マッシさんは、大学で日本語を専攻したそうですね。日本の文学やアニメも好きだそうですが、きっかけは?
マッシ 子供の頃、イタリアで日本ブームがくる前くらいから、ローカルテレビで『ドラゴンボール』『聖闘士星矢』『北斗の拳』とか日本のアニメが放送されていて、すごく面白いと思って見てたんです。どこの国のアニメか分からなかったけど、無意識に日本のことが好きになっていたんじゃないですかね。
── アニメは、本当にすごいですね。世界中の子供たちが知らずに見て、それをきっかけに日本を好きになってくれてるわけですから。
マッシ 本当ですね。日本の文学を知ったのは、夏休みに出された「ヨーロッパ以外の文学を読みなさい」という課題がきっかけ。やる気がなくて、薄い本を買って早く終わらせようと思ってたまたま手に取ったのが、日本の文学本だったんです。イタリア語に翻訳されていて、読み始めたらすごく面白くて。でも深すぎて何を言いたいのかわからなくて、何回も同じページを読み返して……。日本人の「目で見えないことを気持ちで感じる」みたいな文化に触れて少しずつ日本の文学にハマっていきました。
── ちなみにそれは誰の本?
マッシ サイカク・イハラ!
── それは難しい! イタリア語に翻訳されているとはいえ、江戸時代の本ですから。日本の子供でも井原西鶴なかなか読まない(笑)。
マッシ ただ「薄かったから」という理由で買ったけど、やられました(笑)。
── それで、大学で日本語の専攻を?
マッシ もともとは建築に興味があって、建築家になろうと思っていたから、高校も設計の専門校に進学しました。でも日本の文学を知って、いろんな日本の小説を日本語で読んでみたいと思うようになって。まったく別の道に進みましたね。
── お父さんの造園の道に進もうとはまったく思わなかった? 跡を継がなきゃいけないとか。
マッシ イタリアでは、子供が親のあとを継ぐべき、みたいな考えはあまり強くないんです。お父さんも「やりたいことがあれば、その道に進んだ方が後悔しないよ」って言ってくれていたし、プレッシャーもなかったです。

「日本では産業系の専門的な通訳をしながら、ゼロから勉強しまくった」
── 大学を卒業したあとは、イタリアで就職したんですよね。
マッシ ピエモンテの地元の会社に勤めて、日本企業のお客さんと取引をしていました。でも言葉の問題もあって、会社から「現地でもイタリア人を1人立てたい」と言われて。ちょうど僕が大学を卒業したタイミングで、すぐ日本に転勤になったんです。
── その時は、ある程度日本語は話せたんですか?
マッシ 大学で勉強していたんですけど、話す練習をあまりしてなかったので、最初は大変でした。いろんな表現や敬語も勉強していたけど、使われていない表現も多かったり。
── それでも2007年に来日して、それからずっと日本ですよね。
マッシ そうですね。2019年にコロナが流行るまでは、企業間におけるコミュニケーションの通訳をベースに、いろんな会社で働いたり、日本人と一緒に会社を立ち上げたりして働いていました。
── その頃はどこに住んでいたんですか。
マッシ 産業系の通訳だったので、愛知県のトヨタ関連企業のエリアとか、関西が多かったです。マンホールの中に入る現場もあって(笑)。扱う内容が専門的でわからないことだらけだったから、いつもとにかく調べて、調べて、とやっていました。
── それで日本語がここまでうまくなっちゃったんですから、本当にすごいです(笑)。
マッシ 知っている分野でも、使う機械や作業はいつも違うから毎回ゼロからのスタートなんです。まずイタリア語から学んで勉強して、次は日本語で学んで勉強して、って感じでとにかく勉強。あとは日本人と働いて、日本人と暮らしていたのもあると思います。外国人やイタリア人の友達は1〜2人しかいなかったし、1人で頑張るしかない感じでした。
── もう20年近く前だから、今と比べると外国人も全然少ないですからね。マッシさんは独身ですが、そうやってずっと異国の地で1人で暮らしてきて、寂しさや孤独で辛くなることはなかったですか?
マッシ 特になかったですね。1人の時間が好きだから、いつも1人で過ごして、1人で出掛けてましたね。ピエモンテ人の性格なのかもしれません。

「コロナ禍で通訳の仕事がなくなって、SNSで食べることを発信したらバズった」
── そしてコロナの時に、通訳の仕事が減ったんですね。
マッシ 一気に仕事がなくなりました。当時、SNSでは通訳者としての発信をしていたけど、仕事がなくなって何をしようってなった時に、今までまったく触れてこなかった、食についての発信をするしかないと思って。家でもできるので。
── 最初はX(Twitter)? note?
マッシ Xでしたね。通訳の時もちょこちょこバズってはいたけど、内容が専門的すぎたので、それ以上広がることはなくて。でも、コロナ禍でイタリア料理のアレンジや驚いた和菓子について発信したら、バズって少しずつ伸びたんです。それでnoteの記事も作って、5年前にサイゼリヤのアレンジ記事を出すと、もうバズってバズって(笑)。そこから今につながっています。
── でもXは文字数も限られていたし、バズるのは意外な気もします。自分では予感があったんですか?
マッシ 全然です。当時は自分用のメモみたいな感覚で書いてたから、140字も多いと思っていました。サイゼリヤのアレンジも、僕的にはイタリア人の目線で軽くまとめただけ。そしたら日本人の友達に「サイゼリヤのアレンジはすごく新鮮、発信したら面白いよ」って言われて。イタリア人には当たり前のことだし、別に面白くないって思ったけど「日本人は出された料理をアレンジする発想はないから」って。それで出したら本当にバズった。
── イタリアでは、アレンジが当たり前なんですか。
マッシ そう。出された料理にパルメザンチーズやオリーブオイルをかけて、自分の好みに合うよう軽く調整して食べるんです。でも日本人にそういう文化はないから「いつもの料理を少しアレンジするだけで、こんなに変わるんだ」って発見に、みんな驚いたんです。
── サイゼリヤという身近な店の、知らなかった美味しい食べ方っていうのはやっぱり面白いですね。とはいえ必ずバズるわけでもなくて、やっぱりそこはマッシさんの力だなと。
マッシ いえいえ。でも、自分で作るのも、自由にアレンジするのも楽しいですよね。そこからみんな「サイゼリヤは、それぞれ頼んでみんなで1つにすれば美味しくなるんだ」って発想になったかも。

「僕の中で、イタリア人の人生を楽しみたい精神はまだ生きている」
── そうやって情報発信をしている人は多いけど、そこから物書きのプロになったのが素晴らしいです。自分の連載を持つチャンスにまで恵まれる人はほとんどいませんから。決め手は何だったんでしょう?
マッシ 僕は、今まで文筆家やライターになりたいって思ったことはないけど、「なんでも受けるよ」って感じで考え方がオープンだったから、結果として今があるのかもしれないです。
── 自分で行き先を決めすぎないで、むしろ自分が楽しいと思うことは何でもやる?
マッシ そうですね。イタリアでは、完全にできる仕事を探すのではなくて、未知数な部分があってもとりあえず受けて、100%できなくてもとにかく前向きに考えながらやってみようって考えるから。
── 日本人だと「これ、ちゃんとできないかも」と思ったら断っちゃったりするけど、そこはいい意味でいい加減というか。
マッシ かもしれない(笑)。一冊目の本も、5月に出したサイゼリヤのアレンジ記事がバズったのをきっかけに、9月頃に5〜6社の出版社からオファーがきたんです。でも最初は不安もあって。完全に仕事にしちゃうと書きたいものが変わるかもしれない、面白くなくなるかも、って思ったんです。でもいいチャンスだし、やらないよりやってみようと、最初で最後という気持ちでお受けしました。
── そんなに依頼が来たんですか。すごい。
マッシ あとは、僕の頭の中には、子供の時からいつもSF映画のような物語が流れているんです。現実7割、マッシのストーリー3割みたいな。現実と嘘を合わせて、より面白く生きてるんです。そしていつも自分を外側から見て、頭を真っ白にしてゼロから考えて書いています。
── 物語を作って読む人を楽しませるだけじゃなく、マッシさん自身も楽しんでいる。
マッシ そうですね。書くことで勉強になったり、プラスになったりするのがうれしいし、それで読んだ人の人生もちょっとプラスになったらいいなって。そういうコンセプトで書くのが好きです。
── 楽しみたい欲求というか、欲望が強い?
マッシ イタリア人の、アモーレ! 的精神というか、楽しみたいみたいな部分がまだ生きているのかもしれないですね。
── そこはやっぱりイタリア人ですね。人生を楽しむためにすごく頑張るし、努力も全然苦にならない。連載でも、すごく調べますもんね。
マッシ 調べるのも、読むのも好きだし、毎回テーマを決めたら通訳時代のようにゼロからスタートします。今回の本もゼロから調べて、「主人公は誰にする」「今度は主人公をどんな気持ちでやる」って考えてから書きました。

「先は読めない。ゴールを決めないのが、僕の生き方だから」
── 今後、イタリアに帰る可能性はあるんですか。
マッシ 多分、帰らないかな。あと少しで僕の人生の半分は日本で暮らしたことになるし、社会経験も日本でスタートしたから、イタリアに帰ってイタリアの社会でやっていけるかどうか、ちょっと不安ですね(笑)。
── もう半分は日本人ですね。日本の国籍を取る予定は?
マッシ 今はビザで暮らしているけど、いつかお母さんがいなくなって、親戚や友達も減ったら日本の国籍を取った方が楽かなと思ってます。
── マッシさんは、日本でイタリアの食文化や日本のものについての感想を書いているけれど、日本以外の国にも興味はあるんですか?
マッシ ヨーロッパも大好きだし、アジアなら香港も好きです。イタリアにいた頃はよくフランス、スペイン、ポルトガルにも行ってました。国境を越えると、いつも考えが新しくなるんです。僕は好き嫌いがないし、言葉が通じなくてもイタリアのジェスチャーも交えて話して通じれば、それだけで楽しい。生きてる! って感じられますね。
── だとすると、日本にいながらでも、香港などアジアの別の国に発信するみとか、やり方は色々ありますよね。
マッシ そういうことも全然あると思います。でも自分でも先は読めないです。ゴールを決めないのが、僕の生き方だから。目標を決めると、周りを見なくなって自分らしさを失ってしまう。マイペースに進みながら、その時に自分らしくやりたいことをやりたいなって。だから10年後は、香港のロードビザを取って日本と香港を行き来しているかもしれないですね。

● マッシ
本名はスガイ マッシミリアーノ。1983年、イタリア・ピエモンテ州生まれ。トリノ大学院文学部日本語学科を卒業し2007年から日本在住。日伊通訳者の経験を経てからフードとライフスタイルライターとして活動。書籍『イタリア人マッシがぶっとんだ、日本の神グルメ』(KADOKAWA)の他 、ヤマザキマリ著『貧乏ピッツァ』の書評など、雑誌の執筆・連載も多数。 日伊文化の違いの面白さ、日本食の魅力、食の美味しいアレンジなどをイタリア人の目線で執筆中。ロングセラー「サイゼリヤの完全攻略マニュアル」(note)は145万PV達成。最新刊『イタリア紳士、うまいと叫ぶ』(亜紀書房)が好評発売中。

『イタリア紳士、うまいと叫ぶ』
スパゲッティナポリタンをこよなく愛するマッシが、20年にわたる日本での異文化探検の想いを詰め込んだ笑いと涙のエッセイ集。実家はイタリア、ホームは日本。目で、指で、胃袋で、愛で感じる“ふたつの故郷”しあわせの味。「きのこの山」からお餅、コンニャク、鰹節丼、苺ショートに生姜焼き、マンマお手製タリアテッレに絶品ラザニアまで。読めばヨダレが止まらない滋味深すぎる一冊。
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