2026.08.28
【第53回】
「食事の好みが合わないから、別れましょう」はイタリアのあるある⁉
世界が急速に繋がって、広い視野が求められるこの時代に、イタリア生まれのフード&ライフスタイルライター、マッシさんが、日本人とはちょっと違う視点で日本と世界の食に関する文化や習慣、メニューなどについて考える連載です。
BY :
- 文/マッシ
- CREDIT :
写真/スガイ マッシミリアーノ 編集/森本 泉(Web LEON)
「サイゼリヤの完全攻略マニュアル」(note)でおなじみのマッシさんが今回教えてくれるのは、イタリアの夫婦生活においては食の好みの相性が非常に大事というお話。「食事の好みが合わないから別れましょ!」なんてことが、本当にあるそうで……。

▲ イタリア人はナルシストでもあり、自分優先。食事においても完璧主義!
イタリアのカップルにとって食の不一致は「愛の欠如」⁉
「食事の好みが合わないから、別れましょう」
もし日本で奥さんにそう言われたら、多くの男性は「えっ、そんな理由で?」と耳を疑うだろう。だが、ここイタリアでは、食に対する考え方の不一致は、単純な「偏食」の問題ではない。夫婦生活を揺るがす重大な価値観の違いであり、裁判所に直行する正当な理由になり得るのだ。
イタリア人にとっての食事とは生き方そのものであり、アイデンティティであり、そして愛のコミュニケーションの原点だ。だからこそ、食の不一致は「愛の欠如」と言っても過言ではない。
今回は、日本ではあまり知られていないイタリアの「食卓起因の離婚事情」と、僕の周りで実際に起きた恐しくもリアルなエピソードを紹介したい。

▲ 街の祭りといっても、自分の好みが大きく膨らみ、人に合わせることはしない。
イタリア人には、食に関する譲れないルール、いわゆる「食のタブー」が存在する。カプチーノを午後に飲むな、魚料理に粉チーズをかけるな、そして、カルボナーラに生クリームを入れるなといったものだ。
観光客がやる分には「まあ、外国人だから仕方ない」と苦笑いで済むけれど、これが家庭内で、しかもパートナーによって行われたとなると話は別だ。僕の知人であるローマ出身の男性(伝統的な食文化にうるさい男)は、北部出身の妻が作ってくれたカルボナーラをひと口食べた瞬間、凍りついた。妻はコクを出すために、悪気なく生クリームと粉付きのベーコンを使っていたのだ。
「これはカルボナーラじゃない、卵とクリームのスープだ。パスタに対する冒涜だ」と彼が吐き捨てると、妻も「せっかく作ったのに何その言い草! 北部の味付けを馬鹿にするの⁉」と激怒。
最初はただのパスタのレシピ論争だったはずが、育った地域の食文化への侮辱やお互いのアイデンティティの否定へと発展した。日頃の鬱憤も相まって互いに譲らず、なんと最終的に裁判離婚へと雪崩れ込んでしまった。
日本人から見れば「たかが生クリームだろ」と思うかもしれない。けれど、イタリア人にとって料理の基本ルールを破ることは、相手の美学や知性を疑う行為なのだ。
昨日まで一緒に美味しくマルゲリータを食べていたじゃないか!
近年、イタリアの離婚弁護士たちの間で急増しているのが「食事制限やヴィーガンを巡る離婚」だ。専門家の調査によれば、イタリアでの食生活の不一致に起因する夫婦トラブルは年々増加しており、年間で20%近く伸びているという。

▲ 相手がヴィーガンであることを分かっていても、合わせずに自分を優先しがち。
イタリアでの食事とは、同じ大皿を囲み、同じ味を「うまい!」と共感し合う体験を指す。もしパートナーが突然ヴィーガンになり、「明日から我が家は全員グルテンフリーと菜食にする」と宣言したらどうなるか。食卓の平和は一瞬で木っ端微塵だ。大好きな生ハムやフォルマッジョを目の前で嫌な顔をされながら食べるのは、イタリア人にとって拷問に近い。
実際、イタリア北部のボローニャでは、全国紙に載るような出来事が起こった。離婚したとある元夫婦が「息子の食事方針」を巡って激しく対立したのだ。母親は完全なマクロビ・菜食主義を子供に強制し、父親は「子供の発育には肉が必要だ」と主張。話し合いは平行線をたどり、最終的に裁判官が「母親は週1回子供に肉を出し、父親は週末に2回まで与えてよい」という、前代未聞の“判決メニュー”を言い渡す事態にまで発展した。
実は僕もイタリアにいた頃に付き合っていた女性と、ヴィーガン食が原因で別れてしまったことがある。
大学生の時のことだ。彼女はある日突然「野菜って素敵よね」と言い出した。僕は何も考えず、「そうだね。で、今日のランチはいつものピッツェリアで良いよね?」と切り出した。彼女は突然無口になり、ハァ……とため息を漏らした。何か怒らせちゃったかな? と不安になりながらも、重い足取りで僕たちはピッツェリアへ向かった。お店についてチーズたっぷりのマルゲリータを注文し、いざ実食! という時になって、彼女はようやく口を開いた。
「乳製品なんてバカみたい……」と、まるで犯罪者を見るような目付きで僕を見る。頭の中は、はてなマークでいっぱいだ。だって、昨日まで一緒に美味しくマルゲリータを食べていたじゃないか! ある日突然ヴィーガン食に目覚めた彼女とは、そのようなことが何回かあり、結局すぐにお別れしてしまったのだった。

▲ わざとじゃないけど、相手の好みを考えずに食事を楽しむ僕。
「マンマの味と比較すること」は別離への最速のスイッチ
食の対立は、まさに国家レベルの法的バトルなのだ。そしてもう一つ、イタリアの婚姻関係を内側から破壊する巨大な存在がある。言わずと知れた「マンマの料理」だ。イタリア人男性のマンマ愛は有名だけれど、これが食卓に持ち込まれると修復不能な悲劇を生む。
僕のイタリアの友人は、妻が週末に時間をかけて作ってくれたラザニアに対し、「美味しいよ。でも、うちのマンマのラザニアの方が生地がモチモチしていて、ベシャメルソースのコクがあるかな」と余計なひと言を叩き込んだ。当然の如く、妻の怒りは爆発した。「じゃあ一生マンマの家で、マンマのラザニアだけ食べて生きていけばいいじゃない!」と。
妻側は「私の料理や存在に対するリスペクトの欠如」を理由に離婚を申請。「マンマの方が上」と一蹴することは、パートナーの存在価値や実家での歴史を否定するに等しい。イタリアでは「マンマの味と比較すること」は、婚姻関係を終わらせる最速のスイッチなのだ。
もう一つ、イタリアでの離婚原因として隠れた大物がある。それが「日曜日の家族ランチ(Pranzo della Domenica)」だ。
イタリアでは日曜日になると、マンマの家に親戚一同が集まり、前菜からデザートまで3〜4時間かけて大宴会を行う伝統がある。これは、一族の絆を確認する宗教的な儀式に近い。
僕のあるイタリアの友人には、外国人妻がいた。彼女は、毎週日曜日が例の儀式によって潰されることに耐えかね、「たまには日曜日、2人でドライブに行ったりファストフードで簡単に済ませたりしたい」と夫に訴えた。けれど、友人(夫)にとってみれば「日曜の家族ランチを拒否する=自分の家族と血縁を拒絶する」ことと同義だったのだ。
「日曜のランチに出席するか、離婚するか」
究極の二択を迫られた結果、二人は別々の道を歩むことになった。食卓を共にする頻度や重みもまた、譲れない人生観なのだ。

▲ .好きなものを選んで、完食するまで一人で楽しむ=シェアしないということ。
食の価値観がズレたまま暮らし続けることは耐えがたい苦痛
日本人から見れば「そんなことで?」と呆れるような理由ばかりかもしれない。しかし、イタリア人にとって何をどう食べるかは、「どんな人生を歩みたいか」という哲学そのものなのだ。
・パスタの塩加減やアルデンテへのこだわり
・伝統レシピに対するリスペクト
・日曜日のランチに数時間かける情熱
こうした日々のささやかな食の選択に、その人の価値観、育った風土、そしてパートナーへの情熱がすべて凝縮されている。だからこそ、食の価値観がズレたまま無理をして暮らし続けることは、イタリア人にとって「自分自身のアイデンティティを偽って生きること」であり、耐えがたい苦痛なのだ。
もしみなさんがイタリア人のパートナーと付き合ったり、ビジネスで付き合ったりすることがあれば、覚えておいてほしい。愛の言葉を囁くこと以上に大切なのは、「相手の食文化とマンマのレシピを心からリスペクトすること」、そして「同じお皿の料理を、同じ熱量で『うまい!』と分かち合うこと」なのだと。

● マッシ
本名はスガイ マッシミリアーノ。1983年、イタリア・ピエモンテ州生まれ。トリノ大学院文学部日本語学科を卒業し2007年から日本在住。日伊通訳者の経験を経てからフードとライフスタイルライターとして活動。書籍『イタリア人マッシがぶっとんだ、日本の神グルメ』(KADOKAWA)の他 、ヤマザキマリ著『貧乏ピッツァ』の書評など、雑誌の執筆・連載も多数。 日伊文化の違いの面白さ、日本食の魅力、食の美味しいアレンジなどをイタリア人の目線で執筆中。ロングセラー「サイゼリヤの完全攻略マニュアル」(note)は145万PV達成。最新刊『イタリア紳士、うまいと叫ぶ』(亜紀書房)が好評発売中。
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