2026.09.11
【第53回】
これぞイタリア家庭料理の真髄! 「クチーナ・ポーヴェラ(貧乏人の料理)」は過酷な日常を陽気な喜びに変える人生の錬金術
世界が急速に繋がって、広い視野が求められるこの時代に、イタリア生まれのフード&ライフスタイルライター、マッシさんが、日本人とはちょっと違う視点で日本と世界の食に関する文化や習慣、メニューなどについて考える連載です。
BY :
- 文/マッシ
- CREDIT :
写真/スガイ マッシミリアーノ 編集/森本 泉(Web LEON)
「サイゼリヤの完全攻略マニュアル」(note)でおなじみのマッシさんが今回教えてくれるのは、イタリアの家庭料理の魅力について。そこには決して豊かではなかった庶民が限られた食材を極限まで美味しく昇華させようとした「生きるための知恵」が込められていたのです。

▲ じゃがいもを使ったピューレと、トマトに煮込んだ豚肉のソーセージという自宅にある食材を活かした料理。
余り物のパンと、売り物にならない端野菜から生まれた圧倒的な滋味
フィレンツェの美しい街並みを抜け、糸杉の並木を眺めながらクルマを走らせることおよそ1時間。トスカーナののどかな田園風景が広がるキャンティ地方の小さな村で、僕は忘れられないひと皿に出会った。
石造りのひなびたトラットリア。白髪を無造作に撫で付けた店員さんが、湯気を立てる素朴なテラコッタの器をドンとテーブルに置いた。
「まずはこれを食べてみて。うちのマンマの魂そのものだから」
目の前にあるのは、現代的な洗練とは程遠い、茶色くとろとろに煮崩れたスープのようなもの。トリュフのような官能的な香りもなければ、SNS映えする鮮やかな彩りもない。
ところが、木のスプーンでひと口運んだ瞬間、僕の全身の細胞がざわめいた。凝縮された野菜の深い甘み、オリーブオイルの青々しい香りと心地よい苦味、そして舌の上でほどける優しいとろみ。胃袋の奥底からじんわりと温かさが広がっていくような、圧倒的な滋味がそこにはあった。

▲ トリッパなどのモツ煮込みは現在でも家庭でよく作って食べる。
「驚いた?これは『リボッリータ(再び煮込んだもの)』だよ。カチカチになった数日前の古パンと、畑の残り物の黒キャベツや白インゲン豆を、何度も煮直しただけの家庭料理さ」
自慢げに目を細める店員さん。余り物のパンと、売り物にならない端野菜。その正体を知った時、僕はハッとさせられた。これこそがイタリア料理の真髄であり、近年世界中のシェフたちが熱い視線を注ぐ原点、「Cucina povera(クチーナ・ポーヴェラ=庶民の知恵料理)」の魔法だったのだ。
「貧乏人の料理」という言葉が使われる時、そこには卑屈さなど微塵もない
日本では、イタリア料理といえば「陽気で華やかなごちそう」のイメージが強いかもしれない。煌びやかなリストランテで供される美しい前菜や、見事な肉料理。もちろんそれも素晴らしいイタリアの一面だ。
けれど、僕たちイタリア人の血肉となっている料理の多くは、宮廷貴族の豪奢な宴席から生まれたものではない。名もなき農民、過酷な山を歩く羊飼い、荒波に漕ぎ出す漁師たちが、日々の飢えをしのぎ、手元にある限られた食材を極限まで美味しく昇華させようとした「生きるための知恵」から誕生している。

▲ うさぎ料理の下準備で、焼く前にハーブを付けて休ませる 。
「クチーナ・ポーヴェラ」を直訳すると「貧乏人の料理」。けれど、現地の料理人やマンマたちがこの言葉を使う時、そこには卑屈さなど微塵もない。あるのは、大地と季節への敬意、そして「何もないところから最高の美味を生み出す」という知恵への誇りだ。冷蔵庫もスーパーもなかった時代、食べ物を捨てることは神に対する冒涜であり、最大のタブーだった。
カチカチに乾いたパン、誰も見向きもしない内臓肉、硬い外葉や道端の野草、市場で値がつかない小魚。それらをオリーブオイル、塩、ニンニク、ハーブ、そして「時間と手間」という最高のスパイスで至高の皿へと変えていく。
イタリア人にとって料理とは、過酷な日常を陽気な喜びに変える人生の錬金術だったのだ。
クチーナ・ポーヴェラの叡智が詰まった料理のあれこれ
僕たちが普段、イタリアンのお店で何気なく楽しんでいる定番料理の数々。実はその出自を辿ると、このクチーナ・ポーヴェラの叡智がぎっしり詰まっている。
●カチョ・エ・ペペからカルボナーラへ
羊を連れて何日も過酷な山道を移動する羊飼いたち。彼らの腰袋に入っていたのは、日持ちする乾燥パスタ、自ら搾った羊乳で作る硬質なペコリーノチーズ、そして身体を温める黒胡椒だけだった。茹で汁のデンプン質でチーズを溶かし、パスタに絡める。これがローマ名物「カチョ・エ・ペペ」だ。
やがて保存食の豚頬肉の塩漬け(グアンチャーレ)の脂が加わって「グリーチャ」となり、卵が合流して「カルボナーラ」へと進化する。生クリームを使わない潔い濃厚さは、厳しい自然と対峙した男たちのエネルギー源そのものだ。

▲ レバーとキノコのブルスケッタ。硬くなったパンを焼いてその上に季節のものや使える食材を調理して載せる 。
●アクアパッツァ
今や高級魚を丸ごと一尾使った華やかな看板料理だが、発祥はナポリの漁師たちの船上料理。売り物の立派な魚はすべて市場へ卸し、手元に残る小魚やアラを、貴重な真水の代わりに「目の前の海水」で煮込んだのが始まりだ。
トマトやニンニクとともに煮詰まった海水が魚の出汁と乳化し、奇跡のスープになる。「アクアパッツァ(狂った水)」という荒々しい名前には、極限状態を最高のごちそうに変える海の男の気概が息づいている。
●トリッパとランプレドット
フィレンツェの旧市街に漂うモツ煮込みの香り。かつて貴族たちが柔らかい赤身肉を平らげたあと、庶民に残されたのは固くて独特の匂いがある内臓肉ばかりだった。しかし庶民は嘆く代わりに、徹底的に下茹でし、香味野菜やトマト、ハーブとともに何時間もコトコト煮込んだ。その結果、貴族のステーキ以上に深く官能的な旨味を湛えた、フィレンツェを代表する郷土の至宝が生まれたのだ。
●ピッツァ・マルゲリータ
世界中で愛されるピッツァも、かつてはナポリの下町で立ったまま頬張る最も身近なファストフードだった。余ったパン生地を薄く伸ばし、トマトペーストと少量のチーズをのせて薪窯の高熱で一気に焼き上げる。シンプル極まりない組み合わせこそが、小麦の甘みとトマトの酸味を引き立てる永遠の黄金比となる。
大地を耕す農民の汗、山を駆ける羊飼いの孤独、そして……
もし今夜、馴染みのトラットリアへ行くなら、ぜひ黒板メニューの隅っこに書かれた素朴な料理に目を留めてみてほしい。野菜をとろとろに煮込んだスープ、カリッと焼いた古パンにニンニクと極上のオリーブオイルを回しかけただけのブルスケッタ、じっくり煮込まれたモツ料理。
フォークを伸ばし、口に含んでそっと目を閉じる。そこには大地を耕す農民の汗、山を駆ける羊飼いの孤独、海を睨む漁師の知恵、そして家族の腹を満たそうとしたマンマたちの深い愛が詰まっている。
料理の背景にある物語を知った時、目の前のひと皿の解像度は驚くほど鮮やかになる。グラスに注がれたワインの味わいも、きっと今まで以上に愛おしく、深みのあるものに感じられるはずだ。

● マッシ
本名はスガイ マッシミリアーノ。1983年、イタリア・ピエモンテ州生まれ。トリノ大学院文学部日本語学科を卒業し2007年から日本在住。日伊通訳者の経験を経てからフードとライフスタイルライターとして活動。書籍『イタリア人マッシがぶっとんだ、日本の神グルメ』(KADOKAWA)の他 、ヤマザキマリ著『貧乏ピッツァ』の書評など、雑誌の執筆・連載も多数。 日伊文化の違いの面白さ、日本食の魅力、食の美味しいアレンジなどをイタリア人の目線で執筆中。ロングセラー「サイゼリヤの完全攻略マニュアル」(note)は145万PV達成。最新刊『イタリア紳士、うまいと叫ぶ』(亜紀書房)が好評発売中。
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