2020.02.14

田島さん、ありがとうございました。

2月13日(木)、お昼12時頃、打合せを終えて次の場所へ向かうために僕は青山通りと骨董通りの交差点にいた。

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文/渡辺 豪(LEON)

こんにちは。LEON編集部の渡辺です。
今回は大変お世話になったリデアカンパニーの田島氏のお話をさせていただきます。

2月13日(木)、お昼12時頃、打合せを終えて次の場所へ向かうために僕は青山通りと骨董通りの交差点にいた。不意に携帯を見るとイタリア人エージェントからメッセージが来ており、「スグルはジュンジと仲が良かっただろ、本当に残念だよ」と。

何のことがわからず入院していたリデアの田島社長のことを思い出し、嫌な予感がしたら次の瞬間そのイタリア人からKITONのインスタグラムに上げられた追悼メッセージのスクリーンショットが送られてきた。

すぐにリデアのPRの方に確認したところ、1月末に体調不良から亡くなられたらしい。62歳だった。僕はしばらく交差点から動けず、社長からイタリアで話したことを思い出しながらもらったメッセージをずっと読み返していた。

「渡辺さん、●●さんを紹介してくれませんか。」
「バローレを買えるLEONでやりませんか。」
「日本に帰ったらすぐにご飯にいきましょう。」

イタリアで約束したこれらは何も叶わなくなってしまった。
社長には大変可愛がってもらった。ご飯にもよく連れってもらい、僕みたいな若造にまでアイデアを貸してほしいとオフィスにも頻繁に打合せに行った。

会うと必ず、ラルディーニをお願いします、ガブリエレをもっと広めたいんですなどと必ずパートナーブランドのことを話してきた。ビジネス上の社交辞令ではなく、そこにはブランドに対しての愛情やビジネスへの意志の強さが感じられて、若輩の自分はそのパワーをいつももらっていた。

やんちゃな方でもあったが、それは強い愛情をもつがゆえのものだと僕は感じていた。たまに「おう!」と肩をたたかれるときは正直誰よりも強かった。

ピッティ前に偶然ミュンヘンの空港で会い、時間があったため社長がラウンジに連ていってくれたが、渡辺はチケットの関係で一緒に入れなかった。社長だけラウンジでゆっくりしてください、と別れてすぐに連絡があり「出るから一杯飲みましょう」とドイツのワンパイントビールを結局ひとり3杯ほど飲んだ。

社長は僕が食べるソーセージや煮込みを信じられない、そんなにもう食べれないといいながら笑っていた。イタリアでも飯にいきましょう、いけなかったら日本でも行きましょうといつも気にかけてくれていた方で、エディターとしてだけでなく個人としてもこの喪失感に対してどう向き合っていいのかわからない。

人が死ぬ時ってこういうものなんだろう。コービーも目的地についてからの予定を考えていただろう、コロナで亡くなった方には来月の予定があっただろう、田島社長もやりたいことが山ほどあっただろう。

月並みな考えではあるけれど、田島社長にお世話になった人、社長のことを好きだった人は、彼の意志をなんらかの形で受け継いで次に進まなければいけない。

僕はもし死んだときに仮に天国で社長に会えるなら、いつも社長が気にかけていたブランドたちの元気な姿を必ず伝えなければいけない。心を埋めるものが何かあるとすれば、きっとエディターとして、ビジネスマンとして服作りの友人たちとともに上がっていくことなんだろう。

行こうと約束してくれていた焼き鳥も鮨もなくなってしまったが、僕もいずれは死ぬのでもし向こうで会えたら今度は僕が社長に偉そうにご馳走してあげよう。

田島さん、ありがとうございました。どうか安らかに。

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