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2018.10.19

唯一、病で倒れたドイツの旅の顛末

70歳を過ぎた今でも身体が丈夫で疲れ知らずな筆者だが、たった一度だけ海外旅行中に入院した経験がある。1999年、ドイツでの出来事だ。

CREDIT :

文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト) イラスト/溝呂木 陽

初の海外への旅は1964年。以来、数えきれないほど海外に出た。1年の1/3は海外で過ごす、そんな状態が長く続いた。

しかし、3年前、75才になったのを機に、海外での仕事は基本的に辞退させていただくことにした。でも、どうしても行きたいイベントもあり、そんなときは行っている。

ちなみに、プライベートな海外の旅は続けている。僕と家内の足腰が大丈夫なうちは、これからも年に1〜2度は出かけるつもりだ。

海外に出たときにいちばん困るのは、入院治療が必要な怪我や病気をすることだろう。

僕は幸い、親から丈夫な身体をもらったようで、ハードなスケジュールを繰り返しても、疲れを感じることはほとんどない。周りから不思議がられるほど時差にも強い。

そんな僕が1度だけ入院騒ぎを起こしたことがある。1999年のことだ。
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ミュンヘン空港に近いランツフートという町を拠点に行われた、ポルシェ996、前期型GT3試乗会でのことだ。プログラムが終わったその夜、突然、喘息の発作に襲われた。

その日は朝から咳が多く、少し走っただけでも息切れがしていた。おかしいとは思っていた。

でも996 GT3は存分に楽しんだし、快感に酔いしれもした。ディナーも終わり、その後のお喋りも楽しみ、素晴らしい日を過ごしたはずだった。

ベッドに入ったのは0時を回っていたと思う。

夜中に目が醒めた。すごく苦しくて、ほとんど息ができない。背中を丸め、膝を抱えてうずくまった。初めての経験で、どうしたらいいかわからなかった。

すぐポルシェのスタッフに電話を入れればよかったのだが、夜中に起こすのは気が引けて我慢した。結局、そんな遠慮、ためらいが病を進行悪化させてしまった。

朝6時、まずはフロントに電話。「助け」を求めた。駆けつけてくれたスタッフは、僕をひと目見ただけで深刻な状態ということがわかったのだろう。すぐ救急車を呼んでくれた。

生まれて初めて担架で救急車まで運ばれたが、救急車はふつうのVWトランスポーター。でもベッドはあった。後で聞いたのだが、民間の救急車両だったそうだ。
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救急車に乗って安心したのか、病院へ運ばれる途中で息苦しさは和らぎはじめ、病院に着いた頃はふつうに話せるまでに回復していた。

病院には、ポルシェ・ジャパン広報部の荒瀬さんと、ポルシェ本社広報部のシンプケさんが付き添って下さった。

運び込まれたのは、大きく、施設も充実した大学病院。部屋は大柄なドイツ人との相部屋だったが、彼は痔の手術での入院だった。

診察/治療の時、カーテンは開けっ放し。そして、お尻は僕の方に向いている。ので、否応なく毎日巨大なお尻を見るハメに…。

入院手続きが終わり、諸々の検査も終わった後、ようやく家内に電話を入れた。東京は深夜だった。

ポルシェ・ジャパンの荒瀬さんがすでに連絡して下さっていたので、慌てた様子はなかったが、「すぐ行くから心配しないで」と。身が軽いのは家内の特技だ。

ところが、当日出発、しかも日曜日に値引きチケットを手配するすべはない。現金も引き出せない。結局、カードでチケットが買えたのは成田空港のチケットカウンターだけ。

つまり、正規料金での購入ということになる。当時で70数万円だったと記憶しているが、正規料金で航空券を買った唯一の例だ。

ポルシェは、試乗会で僕が泊まっていた部屋をそのままキープしていてくれたので、家内もそこに泊まることに。

家族経営のこじんまりしたホテルで、部屋も落ち着けるし、食事も美味しい。加えて、暖かで細やかな気配りが心地いい。家内が一人で泊まっても安心できる。ホッとした。
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家内の滞在中、娘さんがずっと面倒を見てくれたと聞いたが、とても安心で居心地がよかったとのこと、予想通りだった。

家内は僕の元気な顔を見て安心したようで、心配そうなそぶりは一切見せなかった。

ランツフートの町も気に入ったようだし、初めての外国での一人歩きも楽しかったようだ。

ホテルと病院とは「できればタクシーに乗りたい」距離だが、毎日歩いて通ったという。店を見ながらブラブラ歩くのが楽しくて、いつの間にか着いてしまうとのことだった。

4日間の入院で印象的だったのは、徹底した検査と食事がまずかったこと。とくに、塩分ゼロ的な味気のない食事はきつかった。

退院の許可が出ると、ルフトハンザ航空の指定医から搭乗許可をもらうため、ミュンヘン市内の指定医の元まで行った。

指定医は小さなビルの4階にあったが、あろうことかエレベーターがない。喘息で緊急入院した患者が、退院許可が出たとはいえ、4階まで階段で上がるのはきつい。

「階段を登ったらまた発作が起きそうになりましたよ」と医者に文句を言ったら、「4階まで上がれないようなら飛行機には乗せられませんよ」と笑いながら切り返された。

ミュンヘンでも、乗り継ぎのフランクフルトでもカートが用意され、家内と二人のゲートへの移動と通関手続きをやってくれた。どこでもスイスイだ。これは気持ちがよかった。

数週間後、病院から請求書が送られてきたが、その内容の細かさに驚いた。例えば、教授の回診、担当医の回診、看護師の見回り等は料金が違うが、それらが細かく書かれている。A4用紙4枚にビッシリと。

さらに驚いたのは、請求金額の小さかったこと。調べたら、外国人旅行者もドイツ人と同じ扱い、ドイツの人たちの税金でサポートされていることがわかった。感激した。

「病で倒れた旅」も悪くなかった。ポルシェの方々にはご迷惑をかけたし、家族にも心配をかけたが、めったには体験できない「特別な思い出」ができた。
●岡崎宏司/自動車ジャーナリスト

1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。

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