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2018.10.13

「生きたテストコース」を求めて

より高性能で運転が楽しくなるクルマ作りに不可欠なのが、質のいいテストコース。今回は、世界に絶賛される国産車ができるまでのストーリーだ。

CREDIT :

文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト) イラスト/溝呂木 陽

クルマを評価する人間にとって「道を知ること」はもっとも重要なこと、と僕は思っている。昔も今も。

だから、多くの道を知るために、日本を、世界を走り回ったことは以前にも書いた

でも、いくら僕が多くの道を知っていても、クルマを作るメーカーが知らなければ、日本車はよくならない。

そのため、僕はいろいろな形でメーカーにアプローチした。しかるべき人たちに、できるだけ多く世界の道を知ってもらうために。

このアプローチは、一定の理解者、賛同者が得られ、一定の成果をあげることもできた。

そして、同じ時期、もうひとつ力を注いだことがある。日本のメーカーに「生きたテストコース」を作ってもらうことだ。

「生きたテストコース」とは、、? まずは、そこから話を進めよう。
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1980年代前半辺りまで、日本のメーカーのテストコースは、高速周回路、スキッドパッド、
世界の代表的路面を縮小再現したもの、悪路=耐久路、、といったもので構成されていた。

つまり、定常的なテストを中心に考え、構成されたテストコースということ。ザックリいえば、決められたテストを、決められたパターンで機械的に行うということだ。

スキッドパッドでの円旋回、直線路でのスラローム/Jターン、バンクコースでの高速走行、人工的不整路面の走行、パターン化されたブレーキ試験等々。

むろんこうしたテストも重要ではある。だが、一般路での走行条件=現実的走行条件とは、いろいろな点で乖離していることも否めない。

加えて、日本のメーカーのテストの際の安全管理は厳しく、リスクある領域までは踏み込まないのが基本だったし、、テストコースにはまともなエスケープゾーン(いざというときの逃げ場)もなかった。

高速でコーナーを攻めているようなときになにかが起きれば、深刻なリスクを招く可能性が高い。だから、限界領域のチェックはどうしても甘くなる。欧州勢との大きな違いだ。

例えば、F1レースが行われるサーキットには、非常に高い安全性が求められる。ゆえに、ドライバーはギリギリまで攻められるし、マシンもどんどんレベルアップする。

話を戻そう。
そんなことで、定常的テストしかできないようなコースではなく、例えば箱根のような複雑でタフ、クルマにもドライバーにも大きな負荷を掛け、高いスキルを求めるようなテストコースが必要だと僕はずっと考えていた。
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メーカーとは機会あるたびに話し合っていた。
そして、70年代終わり頃から、複数のメーカーが具体化に向けての行動を起こし始めた。

日本車はすでに多くを輸出していたが、海外市場での人気の理由は「安価で」「信頼性が高くて」「サービスがいい」といった消極的なものでしかなかった。

そうした流れを変え、欧州車のように、「高性能だから」「運転が楽しいから」といった積極的な、あるいはプレミアムな付加価値を加える必要に迫られ始めてもいたのだ。

そんな折、N社の実験部門を率いる役員から「お会いしたい」旨の連絡が。

銀座のレストランでお会いし、食事中は四方山話を楽しんだが、食事が終わってデザートになったころ、突然「ご意見を伺いたいことがある」と仕切り直しがかかった。

「岡崎さんが前から言ってらした“生きたテストコース”の話ですが、私も絶対必要と考えています。でも、新たに大きな投資をするのは難しい。で、ふと浮かんだのが耐久試験路用地を利用するのはどうかと、、」

N社の非舗装耐久試験路用地は、勾配はないが、複雑なレイアウトのコースを組み込める可能性は十分あった。僕は直感的に「いける」と判断、「いいと思います」と答えた。

高速周回路を始め、その他の施設とも隣接しているので、多様なテストが効率よくできる。

プロジェクトはすぐ動き出した。

限られた条件の中でできるだけ多くの、できるだけタフなテストができるコースを考え、僕もいろいろな提案をした。

以前ご紹介した「岡崎コーナー」も青図に入れられた。強いうねり路面をほぼ3速全開で抜けるタフなコーナーだ。

けっこう高速の出る緩い左コーナーで、強くブレーキングしながらタイトな右コーナーに切り込んでゆく、、そんなコーナーも入れたし、難しいS字コーナーも組み込んだ。

気を抜けるところは、ヘアピンを立ち上がって短いストレートを抜ける数秒の間だけ。

絶対的速度はさほどではないが、間違いなく「生きたテストコース」になると思った。

完成したのは1984年。僕が知る限り、日本初の「生きたテストコースの誕生」だ。

初めて走ったときは感激した。ほぼ想像していた通りの難度の高いコースだった。

このコースの誕生は、N社車両の動質、とくにシャシー性能の進化を間違いなく早めた。
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その後数年の間に各メーカーから「生きたテストコース」が次々誕生した。

そして、そんな流れの先にあったのがニュールブルクリンク詣で。日本車の走りはどんどん強化され、1980年代末頃には欧州車と勝負できるレベルのクルマが誕生し始めた。

その代表的存在が日産R32型 GT-R、レクサスLS、ホンダNSXだ。当時、欧州メーカーとのミーティングの機会があると、必ず上記3車の名が出た。大いなる賛辞の言葉と共に。

生きたテストコース=優れたテストコースは優れたドライバーを育て、優れたクルマを生み出す。この方程式は、AIが多少進化したくらいで変わることはない。

ちなみに、世界一のテストコースと世界一の開発ドライバーを持つのはポルシェだと僕は思っている。たぶん異論はでないだろう。

最後に追記する形になってしまうが、上記したエスケープゾーンの問題には、依然として大きな改善はみられない。残念なことだ。
●岡崎宏司/自動車ジャーナリスト

1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。

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