2018.09.07

アウディ200クアトロ 欧州の旅

大学生の息子に「海外での運転を体験させること」を目的のひとつにした欧州旅行。200クアトロを旅の相棒に、かけがえのないひと時を過ごした。

CREDIT :

文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト) イラスト/溝呂木 陽

1986年春、家族3人で欧州を旅した。大学生だった息子の春休みに合わせて旅程を組んだが、2週間ほどの旅だったと記憶している。

旅の相談に乗ってもらったのは、ロバート・ヤンソン氏。当時、広報部門をはじめ、VWとアウディの日本での活動の多くを担っていた方であり、大のヨーロッパ通でもあった。

旅の足もヤンソン氏を通じてアウディにお願いしたので、クルマを受け取るのにいちばん都合のいいミュンヘンをスタート地にした。

ミュンヘン空港で待っていたのはシルバーの200クアトロ。当時のアウディのトップエンド・モデルだ。

アウトバーンの最初のレストエリアまでは僕が運転。そしてすぐ息子にステアリングを。

息子に海外での運転を経験させるのは、旅の目的のひとつだった。ドイツ、オーストリア、イタリア、スイスを巡るクルマでの旅は、絶好の機会だった。
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ミュンヘンから南に向かうアウトバーンは空いていた。息子には「自分が大丈夫と思える範囲でスピードを上げるよう」に言った。

最初は150km/hペース。徐々にスピードは上がり、180km/hペースになるまでに時間はかからなかった。スピードが上がるに連れて、彼の肩から力が抜けてゆくのがわかった。

小一時間も経った頃には、自然に追い越し車線の常連、といった走りになっていた。「旅の半分は運転してよ」というと、「うん、するよ」と笑顔で即答が。

最初の宿泊地は南バイエルンのベルヒテスガーデン。美しい自然の中にぽつんと建つ、個人経営のホテル。

小さなホテルで部屋も小さかった。でも、年季の入った南バイエルンの民俗調の木造建築は楽しめたし、暖かな応対と、チリひとつない清潔さ、そして上質な寝具が嬉しかった。

オーナーご夫妻が作り、サーブもしてくれる食事も楽しく美味しかった。

5つ星ホテルを繋ぐのなら簡単だが、ヤンソン氏は、小さいけれど快適で寛げるホテル、つまり「小さいけれど上質なホテル」を選んでくれた。加えて、その立地がまたよかった。

大きなホテルに泊まったのは、ヴェニスのダニエッリ、ミラノのエクセルシオール・ガリア、サンモリッツのパレスの3ヶ所のみ。

ヴェニスのダニエッリは、前にも行ったことがあるのでもう一度行きたい…ミラノは、市内を地下鉄で動きたい、ヴェローナにも列車で行きたいので中央駅そばのガリアを…サンモリッツは、スキー・ゲレンデへのアプローチが最高のパレスを…といったことで僕からのリクエストだった。
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旅は順調に楽しく進んだが、ヴェニスで思わぬトラブルに出会った。

ヴェニスは駐車場にクルマを置いて、水上バスか水上タクシーに乗り換えるのだが、ダニエッリで一夜を過ごして駐車場に戻ると、200クアトロのドアガラスが破られていた。

当時のヨーロッパは、クルマを離れるときは車内に一切物を置かないのが鉄則。

僕もそれをしっかり守っていたのだが、小さなミスをしてしまった。カセットテープを置いてきてしまったのだ。犯人はカセットテープ一巻を盗むためにドアガラスを破ったのだ。

幸い、ヴェニスの次の滞在地モンテカッシーニには3泊の予定。ホテルを変えずに、フィレンツェ、シエナ、ピサをゆっくり楽しもうという計画だった。

もちろんアウディに連絡を入れた。モンテカッシーニ周辺の修理工場の紹介と部品手配をお願いした。アウディの対応は早く、滞在最終日の昼までには修理が終わる旨の連絡がすぐ入った。

3月のイタリアでガラスなしは寒かったが、モンテカッシーニに無事到着。このホテルも小さかったが、やはり、清潔で快適だった。

ホテルで紹介されたレストランのパスタもよかった。パルミジャーノの塊をおろし板で自分で摺り、 茹であげたパスタに好きなだけかける。ただそれだけなのに、絶品だった。

家に帰ってすぐ試してみたが、味はほど遠い。パスタ、茹で方、パルミジャーノ、おろし板まですべての条件が揃わないとダメなのだろう。シンプルな料理ほど難しいものだ。
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修理工場への入庫まで1日あり、遠くはないのでガラスが壊れたままフィレンツェまで行った。息子が運転していたのだが、街に入って数分もしないうちに、「ダメだよ、やばい、運転変わって」と言い出した。

当時のイタリアは「頑張った者勝ち」の戦国時代で、旅行者が馴れるのは大変。中でも、ローマ、ミラノ、フィレンツェといった大都市内の運転はかなりタフだった。

なので、ここは僕もすぐ納得して交替した。大きくて高価なクルマだし、プレッシャーがかかるのは当然だと思ったからだ。

翌日、200クアトロを修理工場に入れ、息子の希望でフィアット・ウーノのレンタカーを借りた。で、シエナに行ったのだが、彼の運転は積極的になり、地元ドライバーにも負けない強引さもでてきた。

それを言ったら、「ウーノなら、フィレンツェでだって勝負できるよ」との返事。なにか、妙に納得したことを覚えている。

以後、旅は順調に進み、サンモリッツ周辺の雪道もクアトロは楽々とクリア。スキーを楽しみ、雪の中の日光浴を楽しんだ。

素晴らしい旅だった。ヴェニスのトラブルでさえ楽しい思い出だ。

ルートも、街も、ホテルも、200クアトロも、そして緊急参加のフィアット・ウーノも、みな大切な思い出になっている。

こんな素敵な旅の骨格を作ってくださったヤンソン氏には、今も感謝している。
●岡崎宏司/自動車ジャーナリスト

1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。

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