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2018.07.27

800kmで手放したデイムラー・ダブルシックス

数多のクルマを見てきた筆者だが、ジャガーは最も好きなブランドのひとつ。30年間思いを募らせ続けて手に入れたものの、思わぬ事態が起きたのだった。

CREDIT :

文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト) イラスト/溝呂木 陽

ジャガーは僕がもっとも好きなブランドのひとつ。大学に入った頃からだったと思う。バイクからクルマに心が移っていった頃から憧れていた。

理由はシンプル。スタイリッシュであり、モータースポーツ界のヒーローだったからだ。

なかでも、マークⅡサルーンとXKEは、見るだけで痺れた。本当に美しいと思った。

マークⅡに乗り、XKEに乗る夢を脳裏に描いたことはむろん何度もある。いや、何度も、といったレベルではない。

テールフィンの時代のアメリカ車に憧れていたことはすでに書いた。だが、その真逆とも言える佇まいのジャガーにも心を揺さぶられていた僕は浮気者なのだろうか?

心を揺さぶられてはいたが、憧れのスターを遠くから見てドキドキしているだけで、直接的なアクションは起こさなかった。

起こさなかったというより、起こせなかった。
若かったしお金もなかったからだが、とくに、「ジャガーのエレガンスを若造が着こなすのは無理」と思っていた。頑なに。
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結局、長年の想いを叶えたのは、確か1990年頃だったかと思う。初めて想いを募らせてから30年以上経っていた。

ボディ周りを始めとした手作業工程が多く残り、サー・ウィリアム・ライオンズの息吹が強く実感できた最後のジャガー、XJ12・シリーズⅢ(日本ではデイムラー・ダブルシックス)の最終モデルを手に入れた。

「50歳になるんだから大丈夫…」と何度も自分に言い聞かせながら、決断した。

当時住んでいたのは個人所有の賃貸マンションでオーナーはアート好き。駐車場にまでけっこう高価な絵が飾られるようなマンションだった。

当然、デイムラー・ダブルシックスはよく馴染んだ。

手工芸品のような造り、秘めやかな鼓動感を伴いながら粛々と回るV12、「猫足」と呼ぶに相応しいしなやかなフットワーク…長年待ち続けた甲斐があった。

余談になるが、仕事で筑波サーキットに行ったとき、遊び半分でダブルシックスを走らせたことがあるが、「驚きの」といえるほど見事なパフォーマンスを示した。

戦いの場で磨き上げられてきたという経歴を納得するに十分なパフォーマンスだった。

「1年に200日はガレージに」と揶揄されていたほどの故障の多さも、80年代後半にはかなり改善されていた。

ただし、V12のガスガズラーぶりはすごかった。90ℓタンクだったと思うが、1日に2度の給油が必要な時さえあった。

でも、僕はめげなかった。「高貴な」とさえいえるほどの粛々とした、V12の回転感/鼓動感がもたらす誘惑には抗えなかった。
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そして、2年ほど経ったある日、デーラーからこんな情報が届いた。「シリーズⅢがいよいよ生産中止になる」と。

だからといって僕がどうこうする理由などないのだが、僕はなぜか「最終モデルを手に入れなくては」という気持ちになっていた。

「デイムラー・ダブルシックスとは一生を共にしよう」くらいの高揚した気持ちを抱いていたのだと思う。

だから、最終モデルというだけでなく、「すべて自分の好み通りに仕上げたダブルシックス」をオーダーしようと決めた。

ボディカラー、内装、シートのパイピング、フロアカーペット…選べるものはすべて選んだ。

納車までには6カ月ほどかかったかと思う。

ところが、その間にまったく予期していなかった出来事が起きてしまった。

親しい不動産屋から「今の家賃もったいないから、戸建てを買えば? ちょうどいい物件があるから」と誘われて見に行き、買うことに。

安普請だが、アメリカのカントリーハウスのような雰囲気が気に入った。そしてクルマが4台、押し込めば5台駐められるスペースがあることが決定打になった。

しかし、大切なことを見逃していたのに気づかなかった。「クルマと家との相性」だ。
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英国王室御用達系のクルマに、白い板壁のカントリー調ハウスが馴染むわけはないのだが、気づくのが遅かった。「やばい」と気づいたときはすでに遅かった。

買った戸建てはかなり大がかりな内外装の手入れ等々で引っ越すまでに時間がかかり、新しいダブルシックスを受け取った時は、まだマンションに住んでいた。

それから数週間後に引っ越したのだが、新しい家の前にダブルシックスを置いたときの落胆は忘れられない。唖然、呆然、愕然、まったく馴染まなかったのだ。

家とクルマが袖を引っ張りあって、互いを惨めな状況に追い込んでいる、なんとも情けない光景だった。

僕はそんな光景が我慢できなかった。そして、ダブルシックスを手放す決心をした。意外に決断は早かった。その時、ダブルシックスのオドメーターは800kmを回ったばかりだった。

でも、いったいどうしてあんな大ドジをやらかしてしまったのだろう。「年輪を重ねたヤツにしか似合わないから」と、30年も待つ理性もガマン強さももっていたはずなのに。

しかし、「家に馴染まない」からと、納車されたばかりのフルオーダー車の即手放しを決断したこと。その部分には、ちょっぴり自己満足を感じているフシはある。
●岡崎宏司/自動車ジャーナリスト

1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。

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