2018.07.06

マイバッハの旅

約60年ぶりに復活したマイバッハ。その誕生に際して筆者は2回の旅に招かれ、同モデルが富裕層に愛されるわけを実感した。

CREDIT :

文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト) イラスト/溝呂木 陽

マイバッハの歴史は1900年代初頭に始まるが、伝統あるその名を受け継いだ新マイバッハが生を受けたのは2002年。それはダイムラー・ベンツ(当時)の頂点に位置する高級車の誕生だった。

僕はその誕生に際してのあれこれに立ち会う幸運に恵まれた。

それこそ数え切れないほど多くの新型車誕生に立ち会ってきたが、マイバッハのそれは異様とさえ言えるほど濃密なものだった。
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「マイバッハの旅」は2回に分けて行われた。

1回目の旅のほとんどは「マイバッハを知る」ための勉強会。

マイバッハに高級車を製造した歴史はあるが、それは1920〜1930年代にかけての短い期間にすぎない。それ以外はほとんど、エンジンを設計・製造する会社として歴史を綴ってきた。

ダイムラー・ベンツ傘下に入ったのは1950年代。MTUと名を変え、鉄道、軍用、船舶、産業用等々のディーゼルエンジンを造っていた。

旅は、MTUディーゼルを積んだ機関車が牽引する鉄道車両に乗ることから始まり、ツェッペリン博物館へと続いた。ここはMTUエンジンを積んだ飛行船の博物館だ。

ツェッペリン飛行船と言えば思い浮かぶのは、フランクフルトを飛び立ち、ニューヨークに着陸する時に起きた爆発・炎上で、多くの人命を失ったヒンテンブルク号の事故だろう。

この事故は、豪華客船、タイタニック号の事故と並べて語られることが多い。それほど衝撃的な事故だった。

同行してくれた館長は、ヒンデンブルク号の贅沢な旅と、事故当時の悲惨な状況を詳細に話してくれたが、重い話だった。ディナーには、ヒンテンブルク号の乗客が楽しんだメニューそのものが用意されていた。テーブルセットも器もすべてが当時と同じものだという。

ヒンテンブルク号の旅がどんなに贅沢なものだったかが、皮膚感覚で伝わってきた。マイバッハというブランドの重みが、ジワリと染みこんできた演出だった。
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2回目は、ドイツの古都ハンブルクからスタート。最初に泊まったホテルは「ルイス C. ヤコブ」。創業は1791年と聞いた。ハンブルク港に繫がるエルベ河沿いに建った、上質で品格あるホテルだ。

ディナーは由緒ある館。静かで、灯りもかなり抑えられていた。そして、玄関には、マイバッハ・ツェッペリン DS8が。それはまるで1920年代にタイムスリップしたかのようだった。

ディナーが終わりホテルに戻ると、河に面した部屋のテラスに出て、しばらくエルベ河を行き交う船を眺めていた。

翌朝はマイバッハ62(ロングホイールベース)がホテルに。白髪で立派な体格のショーファーと美しい金髪の秘書が迎えてくれた。僕がショーファーを務めた方がずっとサマになるのに……そんな気持ちで後席に乗りこんだ。

ハンブルクの、とくに歴史あるエリアを走り抜け、港に向かった。待っていたのは大型クルーザー。ハンブルクの港沿いに建つ豪壮な邸宅のあるエリアをクルーズした。それはマイバッハに乗るような人には当たり前の世界なのかもしれないが、僕には遠い世界だった。

再びマイバッハ62で空港に向かう。常人には落ち着かないほど広く贅沢な後席には、当時はまだ限られていたDVDモニターが。

用意されていたのは「daiana krall LIVE IN Paris」。

僕はそれまでダイアナ クラールを知らなかった。贅沢な後席で所在なかったのでDVDを見ることにしたのだが、1曲も聴かない、見ないうちにダイアナ クラールに惹き込まれた。以来、ずっと彼女のファンであり続けている。

ダイアナ クラールに心を奪われ、どこをどう走っているのか気にもしなかった。が、曲の合間にふと外を見、速度計を見ると、アウトバーンを200k m/h で走っていた!

むろん、マイバッハ62のキャビンは平穏そのものだった。
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空港に着くと待機していたのはプライベートジェットだ。ダイムラー・ベンツ会長の専用機と聞いた。

そして、シュトゥットガルトへ飛び、ジンデルフィンゲンに新設されたマイバッハ顧客専用の「センター・オブ・エクセレンス」へ。贅沢な顧客たちを迎え、要望を聞き、それを満たしたマイバッハを創りあげるための場だ。

センター・オブ・エクセレンスでのランチの後は、フランクフルトまでの試乗。コースは、一般道、ワインディングロード、アウトバーンの組み合わせだ。

当時の欧州での試乗会は「飛ばす」のが当たり前のようになっていたが、マイバッハというスーパーVIPカーでも変わりはなかった。

長大なマイバッハ62をワインディングロードで飛ばすのは、貴重な経験だった。タイトなヘアピン辺りではさすがに手こずったが、よく走った。

フランクフルトでは、超モダンなホテルの高層階に泊まった。窓側は床から天井まで総ガラス張り。街の様子だけではなく、隣のオフィスビルで仕事をしている人たちの様子もハッキリ見える。

ホテルの部屋のプライバシーは守られているのだが、こちらから見えると、向こうからも見えるような気がしてどうにも落ち着かない。

シャワーを浴びパジャマに着替えてから、部屋の照明をすべて落とし、カーテンを開けた。分厚い歴史に包まれたハンブルクに想いを重ねながら、モダンなフランクフルトの夜景を眺めていると、マイバッハの旅の意味がよく理解できた。

忘れられない旅のひとつである。
●岡崎宏司/自動車ジャーナリスト

1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。

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