2018.06.22

アイルトン・セナの追憶 

夫婦揃ってロンドン旅行が好きな筆者。奇しくも1994年5月1日、"あの事故"の当日もウェストミンスターに滞在していたのだった。

CREDIT :

文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト) イラスト/溝呂木 陽

僕も家内もロンドンが好きで、何度も行っている。なので、いつ、どこで、なにをしたかなど、具体的なことはほとんど思い出せない。

僕たちの旅には基本的に予定がない。あるとすれば、コンサートやスポーツ観戦の予約をとっているときくらい。あとは気の向くまま。そんな旅が好きなのだ。

印象的だった場所や出来事、気に入ったレストランなどはむろん覚えているが、それよりもなによりも、街の表情、人々の表情といった方に興味はそそられる。


ところが、ロンドンにいた1994年5月1日だけは違う。もう24年も経っているのに、「あの日の午後のこと」は鮮明に覚えている。

1994年5月1日。そう、アイルトン・セナが亡くなった日のことだ。
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あの日の予定もいつものとおり、朝食の時に決まった。行く先はグリニッジのマーケット。交通手段はテムズ河のボートで。

マーケット巡りはロンドンでの定番の楽しみになっているが、グリニッジ・マーケットに行ったのはあの日が初めてだった。

ウェストミンスター・ピアからグリニッジ・ピアまで。テムズ河両岸の景色を眺めながらの小一時間の船旅は悪くなかった。グリニッジ・マーケットも楽しかった。

でも、この日のいちばんの楽しみは他にあった。そのために、遅くとも13時までにはホテルに帰らなければならなかった。

1994年度F1 第3戦、サンマリノGPのTV中継があるからだ。

だから、グリニッジ行きは十分な時間的余裕をもって予定を組んだのだが、ウェストミンスター・ピアでボートを下りると、予期していなかったことが起きていた。

ピアの前の道路は封鎖され、マラソン・ランナーで埋め尽くされていた。ランナーの装い、走り方、笑顔などなどから、いわゆる市民マラソンの類であることはすぐわかった。

もちろん、市内に向かう通路は確保されていたし、そのままホテルに向かうことはできた。

でも、晴れ上がったロンドンの空の下、テムズ河畔を楽しそうに、嬉しそうに走る人たちに応援を送る楽しさも、捨てられなかった。

F1のスタート時間を気にしながらも、僕も家内もランナーたちに手を振り、声援を送った。
見知らぬ人から突然、素敵なプレゼントをもらったような、そんなハッピーな気持ちだった。
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ホテルに戻り、部屋のTVをつけたのはサンマリノGPがスタートして30分後くらいだったかと思う。

TVが点いた瞬間目にしたのは、激しくクラッシュしたマシンと、マシンの周りで慌ただしく動く人たち、そして「serious injury」のテロップ。

クラッシュしたドライバーがアイルトン・セナであることはすぐわかった。僕も家内もセナの大ファンだった。言葉を失った。

押し黙って画面を見つめるしかなかった。セナがヘリコプターで病院に運ばれたところでTVを消した。楽しい旅は一気に暗転した。

セナが亡くなったことは夕方のニュースで報じられた。それまでの報道でダメだろうと思ってはいたが、きつかった。

食欲をなくしたわれわれのディナーは、ホテルのカフェラウンジで軽くすませる程度で終わった。外に出た方が気が紛れたのかもしれないが、そうする気にはなれなかった。

その日が旅の最終日であったのは幸いだった。もし、旅を続けても楽しいはずがない。
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アイルトン・セナは「マジック・セナ」とか「史上最強の」とか、いろいろな呼ばれ方をしたが、僕がいちばん好きなのは、古館一郎が実況で使った「音速の貴公子」。

憂いとはにかみが入り交じったような静かで美しい顔立ちには無条件で惹きつけられた。そんな顔立ちと、鳥肌が立つほどの激しいレースぶりとのギャップに惹きつけられた。

アイルトン・セナは今でも僕のヒーローであり続けている。同じ想いを持つ人は多いはずだが、現在の僕のヒーローであるルイス・ハミルトンもそのひとりのようだ。

2017年のカナダGP予選。ルイス・ハミルトンは、通算65回目のポールポジションを獲得してセナの記録に並んだ。

その予選後、インタビューの場でハミルトンにセナのヘルメットが贈られた。ロータス時代の1987年、セナが実際にレースで着用していたもの。セナの家族からの贈り物だった。

ハミルトンが明らかに興奮し感動していることはTV画面からも伝わってきた。インタビューでも「震えているよ!」「最高の栄誉だよ!」といった言葉を連ねた。

トップ3の写真撮影の場でも、記者会見の場でも、ハミルトンはずっとセナのヘルメットを抱えていた。

そうだろう。ハミルトンにとってセナは憧れの存在であり、セナを追いかけることがモチベーションになってきたというのだから。

1994年5月、ロンドンの旅は最悪の結末で終わった。でも、セナの最後のあれこれを、日本ではなくロンドンで見ていたため、「セナの近くにいられた」といった妙な気持ちがよぎったことを覚えている。が、その分喪失感も強かった。

「音速の貴公子」は僕のスーパーヒーロー。これまでも、これからもずっとだ。
●岡崎宏司/自動車ジャーナリスト

1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。

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