2021.04.18

BMWが認めたアルピナという奇蹟

小さい自動車メーカーながらもそのクルマの実力は、知る人ぞ知る「アルピナ(ALPINA)」。裏側には家族経営ならではの良さが詰まっていた!?

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文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト) イラスト/溝呂木 陽

岡崎宏司の「クルマ備忘録」連載 第157回

アルピナと創業家の人たち

アルピナ(ALPINA)は、年産で最高1700台規模の小さな自動車メーカー。だが、ミュンヘン郊外の小さな工場から送り出されるクルマの実力は「知る人ぞ知る!」だ。僕は以前、その本社 / 工場を訪ねたことがある。そして、社長(当時)のブルカルト・ボーフェンジーペン氏にもお会いできた。お会いできたというよりも、「暖かく迎えて頂いた」といった方が正しい。

そんな話に入る前に、まずはアルピナという会社の成り立ちをおさらいしておこう。アルピナの歴史は1961年から始まる。ブルカルト・ボーフェンジーペン氏が手掛けたBMW車の性能をBMW本社が高く評価。「アルピナによってチューンされたBMW車は保証の対象になる」とされた。

その流れで、1965年にアルピナ社が設立。BMWをベースにした高性能車を少量生産する「小さな自動車メーカー」は誕生した。そして、1968年からは、事実上の「BMWワークス」としてツーリングカーレースに参戦し、1970年にはヨーロッパのスプリントと耐久レースのほとんどを制覇。その後、1977年でレース活動を終えるまで、アルピナの名は世界に轟きわたることになる。

その間アルピナのステアリングを握ったドライバーの名を挙げると、、ニキ・ラウダ、ジャッキー・イクス、ジェームス・ハント、デレック・ベル、、まさに錚々たる顔ぶれだ。

以後、ロードカーの開発・生産に専念することになるが、ブルカルト・ボーフェンジーペン氏は、レースで培った高度な技術と経験、そしてマイスター精神を、全力で「アルピナ車」に注ぐことになる。
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僕が初めて、アルピナのステアリングを握ったのは1982年。BMW 6シリーズ・クーペに、330ps / 51kgmの3.5リッター・ターボエンジンを積んだ「B7・ターボクーペ」だ。世界限定30台の内の1台で、当時の価格で1780万円というスーパーなモデルだった。

ヨコハマが、高性能タイヤ「アドバン」開発のために購入したのだが、ニュールブルクリンクでの初テストのとき、僕も呼んでくれ、ステアリングを握らせてくれたのだ。当時のターボ車は、いわゆる「ドッカン系」が多かったが、アルピナは街でも穏やかに平静に走れた。しかし、その気になって踏み込むと様相は一転。中速回転域からのトルク / パワーは強力そのもので、大量のアドレナリンが溢れ出るような強烈な加速を見せた。

「強烈な」というと、なんだ、結局はドッカンじゃないかと思うかもしれないが、違う。アルピナは、踏めば強烈な速さを示すが、そこでも「滑らかさ」を失うことはない。

「アルピナの追うものはフォース(力)ではない。スムースさであり、コンフォートである。しかし、いざという時は速くなければならない」、、、これは、ブルカルト・ボーフェンジーペン氏の言葉だが、要は、この言葉通りに仕上がっていたということだ。

より具体的に言えば、すべての可動部分が精緻にバランスされており、ピークを高めると同時に全体のレベルをも高めることに力を注いでいる、、といったことになろうか。それは、アルピナの奏でるサウンドにも表れていた。緻密でありながら冷ややかではなく、リアルでありながら疲れない、、、優れた音響効果をもつコンサートホールで聞く一流のライブにも例えられる。

ところで、この1982年のヨコハマのお誘いは、僕のニュールブルクリンク初体験の場でもあった。そう、僕のニュールブルクリンク初体験は「アルピナ B7 ターボクーペ」が相棒だった。なんと贅沢な初体験だろう!  走るのを許されたのは2ラップだけ。しかも初体験なのだから、当然追い込んだ走りなどできない。

しかし、アルピナが手掛けたシャシーとボディは、素直な身のこなしと優れた高速スタビリティを発揮。初体験の僕にけっこう大胆なトライをさせてくれたことを覚えている。
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アルピナ本社を訪ねる機会に恵まれたのは、ニュールブルクリンク初体験の20数年後。2000年代初め頃だったと記憶している。アルピナ本社はミュンヘン郊外の静かな町にあった。モダンで清潔で落ち着いた佇まいのショールームを持つ本社は、静かな街並みによく溶け込んでいた。

「まずは社長とランチを、、、」との連絡を受けていたので、会社に近いレストランでも予約してあるのだと思っていた。だが、違った。本社の裏手にある社長の自宅に案内されたのだ。これには驚いた。広い庭では小さな子供が遊んでいる姿が見えたが、なにかうれしくなる光景だった。

ランチには、現社長のアンドレアス・ボーフェンジーペン氏(長男)も参加してくれた。案内された部屋も華美なところなどまったくなく、心地よく寛げる雰囲気だった。

社長は大きな成功と名声を手にし、モータースポーツ界の重鎮でもある方。でも、そんな素振りなど微塵も見せない。遠来の客を、優しく暖かく、寛げるように迎えてくれた。奥様も同じ。飾ったところなどまるでない。控えめで、素朴、、、。だから緊張はすぐ解けた。そして、奥様自らが肉とジャガイモの素朴なドイツ家庭料理を振舞ってくれた。

「1952年は素晴らしいビンテージイヤーだったんだが、その年の最後の一本を皆様をお迎えした記念に開けましょう!」と、貴重なワインまで開けてくれた。

アルピナの走りの中には、並外れた技術と情熱だけではなく、心のどこかに語りかけてくるような優しさ、温かみ、労り、、、そんなものが塗りこめられている。ボーフェンジーペン家の居間に迎えいれられたあの日から、そんな新たな確信が加わった。

ちなみに、アルピナはクルマだけでなく、世界各地から上質なワインを集め、それを販売する事業でも成功を収めている。
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アルピナは家族経営の企業。というと、前近代的に思えるかもしれない。でも、僕は、フランスやイタリアの「大きな成功を収めている小さな企業」を思い出す。「味わい」や「心地よさ」といった、大企業では真似できない付加価値を徹底して追う企業、、、ある種、芸術に近い領域の品質や味わいを追い、製品化する家族経営企業を。

父親のブルカルト・ボーフェンジーペン氏は、60~70年代最高のエンジニアであり、テクニシャンであり、コンセプトワーカーであり、戦う男であり、真に豊かなライフスタイル・プランナーであり、、、。そして、現社長である息子のアンドレアス・ボーフェンジーペン氏は、そんな才能と思考を父親から受け継ぎ、さらに新しい時代が求めるエレメントを加えている。

軽々しく表面的な時代風潮など見向きもせず、自らの限度を超えないところで最高のものを造り続け、提供し続けている。家庭的な、、、とも表現できるような工場。そこで、独自の価値観を何層にも積み重ね、優れた職人の手で組み上げられてゆくアルピナを見ていると、ラグジュアリーなファッションブランドとも重なるものを思い出す。

家族経営企業の後継者は他企業で経験を積んで、、、ということをよく聞くが、現社長のアンドレアス・ボーフェンジーペン氏も部品メーカーとBMW本社で約15年を過ごした。その間にツーリングカーレースをも戦っている。
「必要なものは徹底して追うが、多くは追わない」。現代が見失いがちな価値観を頑なに守り続けるボーフェンジーペン家。

BMWの今を築いた一本の重要な支柱にさえなったアルピナ、、、ブルカルト・ボーフェンジーペンという人物の、彼を支える家族の、そして彼を尊敬し、彼の想いを支える人たちの身体には、、ちょっと古びた言い方だが「アルピナブルーの血が流れている」のかもしれない。

● 岡崎宏司 / 自動車ジャーナリスト

1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。

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