イラスト/溝呂木 陽
そんな僕がエルビスのハートブレイク・ホテルで一夜にして熱心な洋楽ファンに変わった。とはいえ、アメリカ発の限定。それも、エルビスを筆頭に、ニール・セダカ、パット・ブーン、ポール・アンカ・・・といった「甘め」路線が僕のお気に入りだった。
それまで買ったことのないレコードもよく買うようになった。まだカセット・テープレコーダーがない頃なので、レコードで聴くしかない。となれば、「家で聴く」ことになる。 結果、まっとうなプレーヤーがあり、数人の仲間とそのGFたちが集まれる部屋がターゲットになる。
その部屋は大森にあった。オートバイ仲間の家で、しかも親は一切煩いことを言わない。 夜中まで騒いでいても怒られたことはない。
食べ物と飲み物、洋楽レコードを持ち寄り、踊って、お喋りして・・・夜は更けてゆく。
当時の女性は親の縛りがきつく、遅くても10時頃までには家に帰らなければならない。
女性たちを駅まで送って、男は再び集合。
それから再びエルビスに浸るか、バイク仲間なら湘南辺りまでひとっ走りするか、あるいは他のバイク仲間たちのいる溜まり場へ向かうか・・・そんなパターンを繰り返した。
ただし、バイクの写真だけは、トライアンフ、ノートン、BSA・・・英国ものばかり。
アメリカのすべてに夢中になっていた僕だが、ハーレーだけは例外だった。もし、映画「暴れ者」で、マーロン・ブランドがトライアンフではなくハーレーに乗っていたら・・・僕はきっとパスしていただろう。
なぜか。理由はわからない。アメリカ大好きは人後に落ちない僕だが、ここは不思議だ。
高校時代、身につけるものもすべてアメリカン・アイテムだった。学校以外での制服は、夏がリーバイスのジーンズ、アメリカ製の白のTシャツ、ペニーローファー、冬はその上にダブルのライダースジャケットを重ねた。
すべて上野のアメ横で手に入れたものだ。
ちなみに、こんなファッションのお手本はジェームス・ディーン。彼の写真は今でも仕事机の真ん前に飾ってある。
アメリカ尽くしの高校時代、アメリカ以外で強く惹かれ、強く影響された人間がいた。
石原裕次郎だ。ちょっと引きずるように歩く長い脚には痺れた。「股下の長さ」が男のカッコよさの基準の一つになった。裕次郎のカッコよさは、それまでの日本人像とは別物だった。裕次郎のアクション映画を見た後、気持ちが昂り、自分も喧嘩が強くなったような気にさせられたのも、懐かしい想い出だ。
ちなみに、裕次郎の愛車はメルセデス・ベンツ300SL・ガルウィング。日本の路上にはまだ60~70k m/h で喘ぎ出すクルマが珍しくなかった時代、メルセデス300SLは公称300k m/h を謳うレース界の王者でもあった。付け加えておくと、エルビスの愛車は色違いの7台のキャディラック(1週間毎日違う色のキャディラックに乗るということ)。ジェームス・ディーンの愛車は、レースコースに向かう途中、他車との衝突で事故死したポルシェ・スパイダー550が有名だ。
●岡崎宏司/自動車ジャーナリスト
1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。