文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト)
イラスト/溝呂木 陽
六本木の飯倉片町にあった「ハンバーガー・イン」(正式には「ザ・ハンバーガー・イン」)は1950年にオープンした日本初のハンバーガー・ショップだ。

僕が通い始めたのは高校生になり、夜遊びをするようになってから。肉汁たっぷりの大きなハンバーガーはアメリカの味がした。大きく口を開けてかぶりつくとアメリカ人になったような気がした。

アメリカ大好き人間の僕にはとてもハッピーな瞬間だった。
 

銀座通り(銀座三越)にマクドナルド1号店がオープンしたのは21年後の1971年。テーブル席はなくテイクアウトだけ。なので、銀座通りを歩きながらハンバーガーを食べた。抵抗のある人もいただろう。

が、僕ら若者は「歩きながら食べる」新しい文化を喜々として受け容れた。マックを食べながら銀座通りを歩くのは「カッコいい」ことだった。
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ハンバーガー・インの話しに戻るが、青山に近い、乃木神社の近くにもハンバーガー・インがあった。こちらの歴史は定かではない。が、1956年から58年辺りまでわれわれバイク仲間の夜の溜まり場になっていた。

バイクを通じて知り合ったアメリカ人に誘われたのがきっかけ。彼らの溜まり場にわれわれが合流したということだ。
 

アメリカ人のバイク仲間はほとんどが軍関係の子弟で、代々木周辺の広大な土地に建てられたワシントンハイツ(米空軍の兵舎、家族用宿舎)に住んでいた。

彼らに人気のバイクはほとんどが英国製大排気量車。トライアンフ、BSA、ノートンといったモデルだが、米軍関係者は無税で安く買えるのが羨ましかった。
 

乃木坂ハンバーガー・インは大通りに面した小さな店で、店の前の歩道にはみんなの自慢のバイクが整然と並べられた。そうするのが無言の約束だった。われわれグループのカッコよさと存在感をアピールするためだ。

この日米混合グループ、言葉は通じなくてもバイク好き同志。和気あいあいで、いつも深夜まで盛り上がっていた。
 

ワシントンハイツの住人たちは、われわれをハイツ内の売店に連れて行ってもくれた。そこには、ほしいものがズラリと並んでいた。

僕はよくアメリカ雑誌を買った。当時、新刊のアメリカ雑誌を手に入れるのはけっこうたいへんだった。僕の部屋の壁にピン留めされた写真の多くは、そうして手に入れたアメリカ雑誌から切り取ったものだ。
 

アメリカの仲間は陽気で、バカなことをよくやった。ハンバーガー3個を何秒で食べきれるか、大きな氷の塊を裸になった上半身で何秒抱えていられるか、火のついたマッチを何秒口の中に入れていられるか、果ては、タバスコを一気に飲みきれるか……といったことで賭をする。大笑いできる楽しい賭だ。ちなみに、タバスコを飲んだヤツは、3日間入院したが。
 
そうしたバカなことには強い彼らだったが、バイクを走らせることに関しては、僕たち日本人の方が度胸も根性もテクニックもあった。

軍関係者は帰国する者、転属する者が多く、仲間関係は長くは続かなかったが、いい想い出として心に残っている。ハンバーガーを食べる度にチラリチラリと思いだす。

●岡崎宏司/自動車ジャーナリスト

1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。

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