文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト)
イラスト/溝呂木 陽

初代クラウンの誕生は1955年。110型ダットサンと同じ年。ともにフェンダー一体型の「近代的装い」を纏い、日本車の夜明けを告げたクルマだ。

当時15才。華やかで贅沢なアメリカ車に憧れていた僕の目に、日本車は貧しく遅れた存在でしかなかった。そんなところに突然変異的に現れたのがクラウン。アメリカ車とは較べようもないが、初めて「いいな!」と思えた日本車だった。どことなく「オッさん」ぽかったので、好きではなかったが。

クラウンにはタクシーでよく乗ったが、驚いたのが静かさと乗り心地のよさ。それまでの日本製乗用車は、うるさくて、乗り心地もひどかった。いわば「乗用車のふりをしたトラック」。しかし、クラウンは「本物の乗用車!」だった。しかも、トヨタは100%自前の技術で作ったというのだからすごい!。15才でもそう思った。誇らしい気がした。アメリカのすべてに憧れていたノーテンキな小僧が、日本人の心も持っていたということか?

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クラウンの乗り心地は、「アメリカ車のよう」だった。クラウン以前の日本製乗用車は悪路にもめげない(壊れない)強さは持っていたが、乗り手にも頑健さを求めた。多くのタクシー・ドライバーは胃下垂防止の腰ベルトを締めていた。それほどひどい乗り心地だった。でも、クラウンは違った。悪路でもタイヤが滑らかに動いて衝撃を弱めた。クラウンの乗り心地は「革命」だった。

クロームを多用したボディも日本車らしくなかった。1955年は「神武景気」が始まっており、テレビ、洗濯機、冷蔵庫が「3種の神器」と呼ばれた。日本の経済力が急激に強くなり始めた時期だ。そんな世相にクラウンはピタリと合い、数年で確固たる地位を築いた。

10年ほど前、トヨタの保存する初期型クラウンを運転する機会があったが、違和感や怖さのないことに驚いた。乗り心地のよさにも驚いた。「初代クラウンはすごいクルマだったんだ!」と、改めて思った。

●岡崎宏司/自動車ジャーナリスト

1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。

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