2017.06.09

1956年の運転免許試験

約60年前の免許試験車はまさかのダットサン・トラック! しかもエンストすると…? いまでは考えられない決まりがありました。

CREDIT :

文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト) イラスト/溝呂木 陽

僕が運転免許証をとったのは1956年4月。

16才になってすぐのこと。当時は小型4輪という免許種類があり、16才でとれた。現在の普通免許より2年早く、4輪車(ただし、5ナンバー車に限られる)の運転ができた。

僕が受けた免許試験場は鮫洲。首都の中心的試験場だが、広さや設備はまあまあ。ところが、実地運転試験車はトラック。それも基本的に戦前からの設計を引き継いだダットサン・トラックだった。

まあ、メチャメチャ遅かった。最高速度は公称70k m/h とされたが、実力は60k m/h 程度。免許を取ったすぐ後、同型車を運転する機会があったので、自分で確認している。

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驚いたのはそれだけではなかった。

運転席に受験者が、助手席に試験官が乗るのは当然。だが、次に受験する二人はトラックの荷台に乗せられる。運転席後部に立たされ、「試験コースをよく頭にたたき込みなさい」とのことだった。今では、これって安全面から考えてもあり得ないことだ。

それだけで終わればまだよかったのだが、その試験車、セルモーターが壊れていた。

最初は試験官がクランクを回して始動していたが、試験途中でエンストすると、試験官が荷台の二人に「押しなさい!」と命じる。

つまり押し掛けだ。1度や2度ならまあいいが、僕が荷台にいたときの受験者は、不運なことに「超下手くそ!」。何度も何度もエンストを繰り返した。

エンストする。荷台から飛び降りる。エンジンが掛かるまで押す。掛かると荷台によじ登る・・・超下手くそは7~8回くらいはエンストしただろうか。僕は若いからよかったものの、苦行を共にした荷台の友、中年のおじさんはへろへろ。頭ももうろうとしていたかもしれない。そんなことで、そのおじさんもエンスト連発。再び僕は押し掛けの苦行を強いられることになった。

2度の苦行で緊張感がとれたためか、僕はスイスイと試験をクリア。一発合格と相成ったが、二人のエンスト頻発おじさんはあえなく不合格。まあ、そんな時代だったんだと言えばそれまでだが、せめて「スターターくらいは整備しておいてよ」と言いたかった。

同じクルマで、同じ手順で、今の人が試験を受けたら果たしてどう反応し、どんな結果が出るのか・・・すごく興味がある。自動車関係のフェスティバル辺りで、アトラクションとして再現してみたら・・・きっと面白い。 

でも、思い起こすと、あの頃の世相って、ほのぼのしていたなぁ~とつくづく思う。

●岡崎宏司/自動車ジャーナリスト

1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。

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