2026.03.25
【イベントリポート】日本の「ポルシェ」ここにあり! 銀座の上空で1万人を超える観衆を魅了した「LUFT TOKYO」
2026年3月14日(土)、廃線となった東京高速道路KK線の一部を特設会場に仕立て、約220台の空冷ポルシェを集結した展示イベント「LUFT TOKYO」が開催された。1日限りの前人未到のカーカルチャーイベントとはどんなものだったのか、現地からリポートする。
- CREDIT :
写真/安井宏充(YASUI Hiromitsu Weekend.)、真壁敦史(MAKABE Atsushi)、LUFT TOKYO

カリフォルニアで生まれた空冷ポルシェの祭典
空冷ポルシェとは、主に1948年の初代356(Pre-A 356)をはじめ、901、Gシリーズ(930)、964、そして1998年に生産を終えたタイプ993までの911シリーズをさす。またそれ以外にも914や同年代のレーシングカーなども含まれる。

▲ 日本ではじめてレースに出場した1958年式356A 1600。
“空冷”とはエンジンの冷却方法のひとつで、文字通り空気でエンジンを冷やすことを意味する。993以降は一般的な水冷方式を採用するようになったが、ポルシェの空冷水平対向エンジンは、独特のフィーリングを生み出すことから世界中に熱狂的なファンがいる。
それは日本にもあてはまることだ。日本に初めてポルシェが輸入されたのは、1953年のこと。当時の正規代理店だった三和自動車(のちのミツワ自動車)が2台の356を輸入したことに端を発する。そして1965年には初代911が日本にも輸入されるようになった。日本には実に70年を超えるポルシェの歴史がある。

▲ 会場を訪れたLuftgekühltの創設者、パトリック・ロング氏(写真左)。
2014年、空冷ポルシェのファンであり、ルマン24時間で2度のクラス優勝経験をもつ、元ポルシェのワークスドライバー、パトリック・ロング氏とクリエイティブディレクター、ハワード・イデルソン氏の2人はカリフォルニアでこれまでにないカーイベントを立ち上げた。
「Luftgekühlt(ルフトゲクールト)」。ドイツ語で“空冷”を意味するこのイベントは、ひと言でいえば空冷ポルシェの祭典である。しかし、会場はサーキットやゴルフ場などでなく、これまで誰も見たことがない場所を探してあて、こだわりの演出を重ね合わせ、従来のカーイベントとは一線を画す体験型カーカルチャーイベントとしてつくりあげてきた。イベントは回を追うごとに評判をよび、2018年からはヨーロッパ各地でも開催されている。

▲ かつての首都高の料金所を使った演出。左はなんと公道走行可能な962C。
そして今回、初開催となったLuftgekühltの日本版が「LUFT TOKYO」。そのきっかけは2015年、2回目となるLuftgekühltで、先のパトリック・ロング氏と雑誌『モーターヘッド』、『ポルヘッド』を創刊し、箱根ターンパイクや岡山県真庭でヒルクライムイベントを立ち上げた編集者・プロデューサーの髙田興平氏が出会ったことだった。いつかは日本でこのイベントを実現させたいという両者の想いが、コロナ禍を経て10年越しに叶った。
銀座のビルの合間に並ぶ約220台の空冷ポルシェ
日本での会場探しは難航したと高田氏は振り返る。決め手となったのは、東京高速道路KK線にたどりついたことだった。日本を代表する高級繁華街であり、ミツワ自動車が1974年から2022年までショールームをひらいていた銀座にあって、また日本の走り屋にとって聖地ともいえる首都高速でもあったこの地は、まさに日本のポルシェ文化を発信するにふさわしいまたとない場所だった。

▲ 車両を搬入する様子。ここが東京高速道路KK線であったことがよくわかる。
ちなみに東京高速道路KK線とは、1966年に開通した銀座周辺のビルの合間を縫うように汐留、京橋、神田橋をつなぐ、首都高速C1のさらに内側を走る路線で、正確には走行料無料の一般自動車道という位置づけにあった。
2025年4月、首都高速の日本橋区間の地下化、および新京橋連結路の建設計画に伴いKK線は廃止に。その後はウォーキングやマラソンなどイベント会場として活用されてきた。昨年末の紅白歌合戦で米津玄師が『IRIS OUT』をパフォーマンスした場所としても知られる。今後は緑に囲まれた歩行者中心の空中回廊「Tokyo Sky Corridor」へと再生するプロジェクトが進められる。いましかできない絶好のタイミングだった。
快晴のもと、銀座のビルの谷間には総額100億円を超える、約220台の空冷ポルシェが集結した。エントリー数は400台を超えたというから、選ばれし空冷モデルの競演となった。

▲ 故・高倉健氏の356A1600Sカブリオレ。当時のシングルナンバーが受け継がれている。
空冷ポルシェの原点である「356」は、Pre-AからSCまで30台以上が集結。俳優、高倉健が新車で購入した「356A1600Sカブリオレ」や、俳優、八名信夫が新車から20年以上にわたって愛用した「356SC」も当時のナンバーのまま展示されていた。
レーシングカーの展示内容も素晴らしいもので、1964年の第2回日本GPを制した「904」、1968年の第5回日本GPで生沢徹がドライブし2位になった「910」など、日本のレースシーンを彩った伝説のレーシングマシンが登場した。

▲ 式場壮吉がドライブし、1964年の第2回日本GPを制した「904」。

▲ 1968年の第5回日本GPで生沢徹がドライブし2位になった「910」。

▲ 1984年の全日本耐久選手権で活躍した「TRUST ISEKIポルシェ956」。

▲ 高橋国光がドライブして1985~87年、89年に全日本チャンピオンに輝いた2台の「アドバン・アルファ962C」。
またこのイベントのいいところはオリジナル至上主義ではないところ。新車当時のまま動態保存されているものや、オリジナルに忠実にレストアされたものばかりでなく、チューニングされたエンジン、カスタムされたホイールなど、いまもそのまま日常使いされている適度なヤレ感が雰囲気な個性的なモデルもたくさん見ることができる。またRUFやSinger Vehicle Designなど、世界的に有名なカスタム&チューンド・ポルシェも勢ぞろいしていた。

▲ RUFがBTRエンジンのテストに用いたプロトタイプ、「RUF BTR “NATO”」。

▲ 数寄屋橋交差点を見下ろす一等地に飾られた日本発のカスタム・ポルシェ「MADLANE 935ML」。
約1万1600人もの観衆が押し寄せた伝説のイベントに

▲ あえてナンバーを隠さない演出がリアリティを高めていた。
そして何よりリアリティを感じさせてくれたのが、展示車両のナンバーをあえて隠さない演出だった。一般的なイベントではほとんどがデコレーションプレートなどで覆ってしまう。ナンバープレートの分類番号が1桁なのか2桁なのか3桁なのか、地域名はどこなのか、そんなことからもそのポルシェの歴史の一端を垣間見ることができる。関東近郊でなく、東北も東海も関西もさまざまな地域のナンバーを見るにつけ、日本全国に空冷ポルシェが根付いていることを感じた。
しかし、冷静に考えてみると、もし主催が大企業であったなら、雨や風や極寒のリスクを想定し、屋根がなくまったく逃げ場のないこの場所でこのようなイベントを開催することにゴーサインは出さないだろう。実際に周囲の多くの人が反対したという。しかし、高田氏をはじめとする少数精鋭のチームは、強い意志のもとに断行。当日はこれ以上は望めないほどの快晴となり、大博打に勝利した。

▲ 銀座のビル群とのコントラストが美しい。
Luftgekühltがこれほど都心部を舞台にしたのは初めてのことであり、また銀座の夜のきらびやかなネオンの光を活かすためイベントは日没後の19時まで行われ、想定を遥かに超える約1万1600人もの観衆が押し寄せた。およそ3分の1はインバウンド客でわざわざこのために来日した人もいたようだ。

▲ ポルシェファンだけでなく、国籍もさまざまな老若男女が約1万1600人も押し寄せた。
なぜこんなハイリスク・ハイリターンなイベントを企てたのか、あらためて高田氏に尋ねてみると「ボクはね、伝説をつくりたいんです」と真顔で答えが帰ってきた。
まさに“日本のポルシェここにあり”を体現する、1日限りの奇跡のイベントだった。同じことはやりたくないから、来年はないと話す。カリフォルニアにはLuftgekühltの派生イベントとして空冷だけでなく、水冷ポルシェも一堂に会する「Air|Water (エア|ウォーター)というイベントがあるのだという。次は日本のどこかで水冷ポルシェの歴史を目撃することができるかもしれない。


藤野太一(自動車ジャーナリスト)
大学卒業後、自動車情報誌「カーセンサー」、「カーセンサーエッジ」の編集デスクを経てフリーの編集者兼ライターに。最新の電気自動車からクラシックカーまで幅広い解説をはじめ、自動車関連のビジネスマンを取材する機会も多くビジネス誌やライフスタイル誌にも寄稿する。またマーケティングの観点からレース取材なども積極的に行う。JMS(日本モータースポーツ記者会)所属。写真/安井宏充
こちらの記事もいかがですか?














