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2025.10.12

その昔、オートバイの「三ない運動」という理解しがたい施策があったのをご存知ですか? 他 岡崎宏司、傑作エッセイ5選

自動車ジャーナリストのレジェンド岡崎宏司氏が綴る、人気エッセイ。日本のモータリゼーションの黎明期から、現在まで縦横無尽に語り尽くす人気長寿連載から特に人気だった5編をご紹介します。

BY :

文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト)
CREDIT :

文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト) イラスト/溝呂木 陽

人気連載「岡崎宏司の「クルマ備忘録」より

レジェンド自動車ジャーナリストが綴る、運転への思い

自動車ジャーナリストのレジェンド岡崎宏司氏が綴る人気連載、岡崎宏司の「クルマ備忘録」より特に人気だった5編をご紹介します。

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子供を守り、事故に巻き込まれない、本当の安全運転とは何か?

自動車 岡崎宏司 傑作エッセイ チャイルドシート
チャイルドシートが日本で義務化されたのは2000年。先進諸外国と比べるともっとも遅い。ちなみに、もっとも早かったオーストラリアでの義務化は、確か、1970年代後半。

その他の先進国も、だいたい1980~90年代までには義務化されている。つまり、日本での義務化は、先進国の中ではもっとも遅かったことになる。情けない話だ。
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大人用ベルトは1992年から一般道路での義務化(前席のみ。後席は2008年から)が始まり、事故での死傷者数は大幅に減った。

ところが、乗車中の子供の死傷者数だけは、1990年代後半になって急増した。そこで役所の重い腰はようやく上がり、2000年のチャイルドシート義務化に結び付いたのだ。

しかし、それでバンザイとはいかなかった。

義務化以前のチャイルドシート使用率は10%にも充たなかったが、義務化された2000年でも40%でしかなく、まずまずと言える70%に達するまでほぼ20年かかった。

その理由は、警察や保健所などによる、幼児向け交通安全指導などが積極的に行われなかったことも挙げられるだろう。、、が、僕としては、「親の安全意識の低さ」を、いちばんの理由に挙げたい。
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“The Lady"と呼ばれた特別なポルシェが、安モーテルの僕の部屋の前に止まっていた!

自動車 岡崎宏司 傑作エッセイ ポルシェ 「ロード&トラック」誌 ウィリアム モッタ
アメリカの著名な自動車画家であり、「ロード&トラック」誌のチーフ アートディレクターでもあったウィリアム モッタ氏と知り合ったのは1964年。初めてLAに行った時のことだ。

「ロード&トラック」は僕の愛読誌であり、その誌面に素敵な自動車のイラストを描くと同時に、チーフアートディレクターをも兼務していたモッタ氏は、僕の憧れの人でもあった。

できることなら、挨拶だけでもいいからお会いしたかった。そこで、アポイントメントをとってもらえないかと、当時、働いていた「ドライバー」誌の編集長に頼んだ。
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編集長は快く引き受けてくれ、すぐアポイントメントをとってくれた。返事の手紙には、「到着日時と宿泊場所が決まったら教えてください。私が迎えにいきます。ランチでもご一緒しましょう」と書かれてあった。

たぶん、名も知らないだろう日本の雑誌の、それも若造編集者を、こんなにも温かく受け容れてくれるとは、、、これだけでも僕は大感激! モッタ氏の人柄に惹きつけられた。

「ロード&トラック」の編集部はニューポートビーチにあった。LAからはフリーウェイ405号線で、空いていれば1時間20分くらいで着く。 、、が、混んでいれば2時間くらいかかることもある。

ニューポートビーチは、静かで美しい町。当時は豊かな人たちの別荘も多くあった。

僕は小高い丘の上に立つ小さなモーテルを予約した。サンタモニカをよく知る知人に勧められたのだが、環境が良く、小さいながらも快適なモーテルだった。料金も安かった。

到着して少し休んだ頃、約束の時間が来た。そして、聞きなれないエンジン音が聞こえ、僕の部屋の前で止まった。
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歴史に名を遺す名車が綺羅星のごとく誕生した1960年代の日本車事情とは?

自動車 岡崎宏司 傑作エッセイ トヨタ 2000GT マツダ コスモ  ベレットGT
自工会の資料によると、1951年の日本車の生産台数は3万8490台。乗用車に限ると3611台にすぎなかった。

日割りにすると、乗用車の1日の生産台数は10台ほどということになる。つまり、ほとんどゼロに近い台数だったわけだ。

ちなみに、日野ルノーや日産オースチン、いすゞヒルマン等、海外メーカーのノックダウン生産車は、日本車の生産台数には含まれていない。

その乗用車数が、1955年になると2万268台、1960年には16万5094台、そして、1970年には、実に237万台にまで急成長を遂げたのだ。
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まさに「恐るべき急成長ぶり!」だったわけだが、僕が自動車ジャーナリストの世界に足を踏み入れたのは1964年。

つまり、この急成長期にピタリ合せたように自動車ジャーナリストの世界に入ったのだが、とてもラッキーなタイミングだった。

自動車雑誌はどんどん増え続け、クルマの記事は一般紙誌にまで「際限なく」といった勢いで広がっていった。

僕はまず自動車専門誌の編集部に入ったが、新人時代から多くのクルマに乗り、多くの記事を書いた。家に帰るのも、月の内の半分くらいは、夜中過ぎか朝方になった。

初めの内は「大変なところに入ってしまったな!」と、後悔の念が強かった。だが、だんだん面白くなり、楽しくなり、朝帰りも、数カ月後には苦にならなくなった。

この雑誌で鍛えられたことが、後にフリーランスになった時に非常に役に立ったことは、前にも書いた。
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岡崎流、本音のマイカー選び。「まずはデザインが良くなければ、選択肢から外れます」

自動車 岡崎宏司 傑作エッセイ アウディ TT
僕のクルマ選びは、まず「デザイン」から入る。ということは、いくら性能が良かろうと「カッコいいなぁ‼」と思わなければ、愛車候補には挙がらないということ。

僕のクルマ好きが目覚めたのは5~6歳の頃。つまり、終戦直後辺りからだから、「カッコいい!」といえば、当然外国車=ガイシャにしか目は向かない。

子供の頃はガイシャといえば、いちばん惹かれたのはアメリカ車。特に、僕が十代後半の頃、、1950年代後半のアメリカ車は大きくて、煌びやかで、カラフルで、、否が応でも目立ったものだ。

欧州車にも当然カッコいいクルマはあった。だが、日本では実車を見る機会は少なかった。たとえあっても、10代の子供の目には、単純にカッコいいアメリカ車が輝いて見えたのだと思う。
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そんな僕が「わが愛車」として初めて買ったのは、すでに何度も話しているルノー 4CV。僕がカッコいいと思っていたアメリカ車とは対照的な、フランス生まれの小型大衆車だ。

日野自動車がライセンス生産し、タクシーにも多く使われていたから、ふつうに考えれば「カッコいい」とは言い難い。

それでも「フランス生まれのガイシャ!」だし、僕の目には、日本車よりはずっとカッコよく見えた。だから、「ボディカラーをいい色にすればイケる!」と思ったのだ。

当時はタクシー上がり再生中古車なるものがあり、かなり安価に、好きなボディカラーに塗り替えられるサービスもあった。

僕はそれに飛びついた。そして、「絶対タクシー上がりには見えない、フランスの粋を纏ったルノーに仕上げる」と心に決めた。

考えに考えた末、ボディカラーはホワイトチョコレートのような淡い茶系、それより少しだけ濃いめのチョコレートのような茶系の2トーン」にした。
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その昔、オートバイの「三ない運動」という理解しがたい施策があったのをご存知ですか?

自動車 岡崎宏司 傑作エッセイ オートバイ 三ない運動
「三ない運動」、、たぶん、現在、50歳代半ばから、80~90歳辺りの年齢の方々の多くは、この言葉を覚えていると思う。

なかでも、オートバイが好きだった人たちには、「最悪の言葉」として記憶されているはずだ。

「三ない」と聞くと、一般的には「見ない、聞かない、言わない」といった言葉が浮かんでくるだろう。周囲との無駄な摩擦や混乱を生まないための生活の知恵としての言葉だ。
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こうした「三ない」はうまく使えばいいし、大切なことでもある。しかし、今回取り上げる「三ない運動」は、多くが納得せず、首を横に振った言葉だった。

1982年、「全国高等学校PTA連合会」が生み出したものだが、オートバイの「免許証を取らない」、オートバイに「乗らない」、オートバイを「買わない」という運動のキャッチコピーである。

1970年代の半ば以降だったかと思うが、クルマとオートバイの急速な増加によって交通事故は急拡大していった。

なかでも、暴走族による、これみよがしの危険運転等も急増し、それと並行して事故件数も急拡大。社会問題化していった。

そんな状況だったので、特に若者の生命を守ろうと、高校生とオートバイに関する様々な議論/提案が行われたのは当然だった。

しかし、「事故を減らす」、「若者の命を守る」のは大切なことだが、その手段として取られたのが「三ない運動」という、極めてお手軽な方法だったのだ。
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