2025.07.20
岡崎流、本音のマイカー選び。「まずはデザインが良くなければ、選択肢から外れます」
自動車ジャーナリストとして数えきれないほどのクルマに乗り、読者の「お役に立てる」記事を心掛けてきた筆者ですが、自身のマイカー選びでは、まずデザインがカッコいいと思うクルマにしか興味がわかないと言います。
- CREDIT :
イラスト/溝呂木 陽
岡崎宏司の「クルマ備忘録」連載 第262回
僕が「いいなと思うクルマ!」/その1

僕のクルマ好きが目覚めたのは5~6歳の頃。つまり、終戦直後辺りからだから、「カッコいい!」といえば、当然外国車=ガイシャにしか目は向かない。
子供の頃はガイシャといえば、いちばん惹かれたのはアメリカ車。特に、僕が十代後半の頃、、1950年代後半のアメリカ車は大きくて、煌びやかで、カラフルで、、否が応でも目立ったものだ。
欧州車にも当然カッコいいクルマはあった。だが、日本では実車を見る機会は少なかった。たとえあっても、10代の子供の目には、単純にカッコいいアメリカ車が輝いて見えたのだと思う。
日野自動車がライセンス生産し、タクシーにも多く使われていたから、ふつうに考えれば「カッコいい」とは言い難い。
それでも「フランス生まれのガイシャ!」だし、僕の目には、日本車よりはずっとカッコよく見えた。だから、「ボディカラーをいい色にすればイケる!」と思ったのだ。
当時はタクシー上がり再生中古車なるものがあり、かなり安価に、好きなボディカラーに塗り替えられるサービスもあった。
僕はそれに飛びついた。そして、「絶対タクシー上がりには見えない、フランスの粋を纏ったルノーに仕上げる」と心に決めた。
考えに考えた末、ボディカラーはホワイトチョコレートのような淡い茶系、それより少しだけ濃いめのチョコレートのような茶系の2トーン」にした。
街を走っていても、交差点で止まっていても、多くの視線が向けられた。「タクシーで大量に使っている安グルマ」とは、完全に別の視点 / 価値観で見られていることがハッキリわかった。
前から「そんな感覚」は持っていたし、同じクルマでも、「見た目の印象」がクルマの魅力を大きく左右するとは思っていたが、それが確信に変わった。
そう、、同じクルマでも、ボディカラー次第で、加えて手入れ次第で、見え方は大きく変わるということだ。
最近はコーティングをする人が多くなってきたが、少々料金は高くても、上質なコーティングを腕の良い職人にやってもらうと、クルマは見違えるほどの輝きを放ち、見違えるほど上質に見えるようになる。
特ににコンパクト系でスタイリッシュなデザインのクルマにもたらす効果は大きい。
で、買う時、ディーラーの塗装に詳しい人に相談したのだが、「おっしゃる通り、このブルーはコーティングしがいがありますよ。絶対オススメです」との答えが返って来た。
セラミックコーティングにするか、ガラスコーティングにするか迷ったが、ガラスコーティングにした。
僕の性癖で、1台に長くは乗らないはずなので、持続性は3年程度で十分だし、「透明感のある光沢」をもたらすという特性も、プジョーブルーには相性が良いと考えたからだ。
施工価格は安くはなかったが、とても満足できる仕上がりだった。多くのクルマが並ぶ駐車場でも、僕のブルーのプジョーは、際立った存在感を示した。
デザインと色、、外観が大いに気に入ったとしても、同時に内装も気に入らなければ、僕はすぐ愛車候補から外す。
エクステリアとインテリアのデザインは、当然一体性のあるものであってほしいし、互いを生かすような高い調和がほしい。
僕はデザインについても、少なからぬメーカーのアドバイザーを務めてきたが、多くの議論が生まれたポイントの一つがここだ。
文章でわかりやすくこの点を説明するのは難しいが、エクステリア デザインが素晴らしいものでも、インテリア デザインでガッカリさせられる例はけっこうある。
なかでも目立つのがダッシュボード周りであり、メーター類やスイッチ類のデザインにガッカリさせられることが少なくない。
最近の日本車は良くなってきたが、数年前まではここで、せっかくの魅力を台無しにしてしまっていたクルマが少なくなかった。
また、メーター類やスイッチ類個々のデザインは悪くないのに、調和が良くないため、全体感としては「魅力なし!」となってしまっているものもある。
これも日本車に目立った弱点だったが、最近は良くなってきている。とてもうれしいことだし、日本車の総合的なデザイン面での魅力度をグンと押し上げている。
かつては、メーカーや個々のモデルで、エンジンやシャシー、ボディ等々の実力の差が大きく、、走りや乗り味、、つまり動的性能に大きな差があったものだが、最近はそんな差も狭まってきた。
それだけに、余計、デザイン面での良し悪しが、クルマの魅力を左右する大きなポイントになってきている。
だから、「これが良いデザイン!」といった決まりなどないし、そうなったらかえってつまらなくなるかもしれない。いや、つまらなくなるだろう。
だから、デザインには限りない幅があり、奥行きがあり、自由があってこそ、楽しさが生まれ、喜びが生まれ、感動が生まれるのだ。
僕にとっては、もちろん、動力性能もハンドリングも大事だし、快適性も大事。これらの性能が、一定の水準をクリアしていなければ、いくらデザインが良くても、購買リストからは外す。
でも、初めに言ったように、まずはデザインから評価は始まる。言い方を変えると、「デザインが良くなければ、そこで、僕のクルマとしては選択肢から外れる」ということだ。
でも、、それでも、、やはり、僕個人の価値観はでてしまう。そして、それが僕の評価基準を大幅に下回っていたら、僕はそれをハッキリ書く。
もう20年前くらいのことになるが、ある新聞社が行った自動車関係の調査で、「記事が購買を左右する率がもっとも高い自動車ジャーナリストは?」という項目で、僕が1位だったと知らされたことがある。
一般公表はしない調査で、僕にも間接的な形で知らされたのだが、これはうれしかった。
少しでも、読者のお役に立てているんだなぁ、、と思うと、なにか胸が熱くなった。
もうセミリタイア状態なので、あまり試乗記は書いていない。でも、書く時は、皆さんが少しでも「面白い」と思ってくださったり、皆さんの「お役に立てる」ような記事」にしたいなぁ、、とは、思い続けている。
また、初代TTは、革新的なデザインによって、プレミアムブランドとしてのアウディの地位を確立したモデルとしても、重要な役割を果たしている。