2015.12.14
コンセプトカーが未来の世界を映しだす〜Vol.1〜
自動運転や自動安全技術などの言葉を聞いたことのある読者諸兄は多いはず。この分野で世界をリードしているのは、紛れもなくドイツの自動車メーカーだ。つまり、最先端を知るにはフランクフルトモーターショーを見るに如くはない。
人々を魅了するためだけがコンセプトモデルの存在価値
しかし、コンセプトカーという存在は、実は多くのことを語ってくれる。ドイツ・フランクフルトで開催されたモーターショーでも、魅力的なモデルが勢揃い。多くの入場者を楽しませてくれたのは、記憶に新しい。
そもそもコンセプトカーが生まれたのはいつだろうか。先鞭をつけたのは、米国のゼネラルモーターズ(GM)だ。
1953年に全米各地で開催された「モトラマ」なるGMのモーターショーで、当時はドリームカーとも呼ばれた、ジェット戦闘機やロケットのようなコンセプトカーが展示されて、消費者を引きつけた。
走っている時に車体が40cmも伸び縮み

「我々は、毎年のモデルチェンジを提案する度に大衆の考えより2、3年は先を行っていなくてはならない」
と明言したアールは、直接的に機能とは関係がなくても購買欲を刺激するためのあらゆる要素を採用した。ジェット戦闘機の空気取り入れ口や、ロケットのスタイビライザー(羽根)は、性能にはまったく影響はなかったが、クルマの速さを強調するとともに未来のイメージを喚起させるために取り入れられたという。おもしろいエピソードがある。
米国とソ連(当時)が冷戦状態にあった1959年にあって、訪米を敢行したニキタ・フルシチョフ第一書記を、ジョン・F・ケネディはテールフィンを持ったキャデラックで出迎えた。
その際、フルシチョフが、送迎用キャデラックの巨大なテールフィンを指して「これは何のために?」と訊ねた。ジョン・Fの答えは「………」何も答えられなかったという。
そんな時代がしばらく続いた後、コンセプトカーは、自動車メーカーの未来へのビジョンを見せるための役割をもつようになった。
ケネディ米大統領とフルシチョフ第一書記のエピソードから半世紀以上が経った今、フランクフルトショーに華を添えたのは、どれも環境問題を強く意識したモデルだった。
ビジネス的観点で見ればまた違ったおもしろさがある
コンセプトカーの有り方が変わってきた今日
「今日の購買層は、20年前と違って、新しいスタイルを積極的に受け入れる」
そうアールが書いたのは、1954年のことだ。では今、コンセプトカーの存在価値はどこにあるか。現在、自動車メーカーが見せるコンセプトカーは、環境問題や安全問題など、各地域で強まる規制への対応などと密接に関係している。
さらにそのメーカーに投資価値がどれだけあるかというIR(投資家への情報)の一端としてコンセプトカーが扱われることもある。


「私たちにとって初めてのトランスフォーマー、ただし映画でなく。」
そう述べて、ほのかな笑いを誘ったのは、メルセデス・ベンツの乗用車部門を統括するダイムラーAGのドクター・ディーター・ツェッツェ取締役会会長だ。
インテリジェント・エアロダイナミックオートモビルの頭文字を車名にもったこのモデル。

車体の変型によってIAAコンセプトの空気抵抗値は0.19(現行車では0.3を切ると凄いと言われている)。当然燃費にも影響し、走行キロあたりのCO2排出量は28gにとどまる。
量産車ではディーゼルハイブリッドで100gを切るのがせいぜいという現状を鑑みても「これだけ技術力のあるメルセデスならやってくれる(儲けてくれる)」と投資家が考えても不思議ではない。