2020.05.05
"名車の父"の魂は経済再開に明かりを灯すか
イタリア再生を託された「謎のクルマ屋」の正体
今や世界のレース界はこの会社なしには成立しないと言われるイタリアのレースカー・コンストラクター、ダラーラ社。徹底した安全性の追求を社是とし、多くのメーカーと協業しながら真面目なクルマ作りを続ける彼らの目指す道は“コロナ後”の製造業のあり方を示唆している。
- CREDIT :
文/越湖信一(PRコンサルタント、EKKO PROJECT代表)
こう語るのは、3月16日配信の記事「イタリア北部で今いったい何が起こっているか」でコメントを寄せてくれた、モデナ在住の自動車メーカー勤務R氏だ。同記事でも触れたとおり、イタリア北部は新コロナウイルスによって深刻な状況に追い込まれている。ただし、未来に向けての明るい兆しもようやく見えてきたようだ。
「この不自由な生活にも、そこそこ慣れてきました。リモートワークでの仕事も適度に忙しく、気がまぎれます。そして、感染者数がピークを過ぎたという報道で、私たちは少し前向きな気持ちになってきています」
自動車産業に広がる"連帯の輪"
「フェーズ2に向けての対応マニュアルが、会社から全従業員に届きました。従業員は施設に入る前に体温を測定する。勤務シフト、社員食堂のオペレーションが変更される。全員に使い捨て手袋とマスクを1日2枚配布し、リスクを下げるという案内です。少しずつですが今までのような日常へと戻っていく気配にワクワクしています。それは今までとは少し違う、新しい社会の誕生となるかもしれないと私は思うのです」(R氏)
「モーターヴァレー」と称される、モデナを中心としたエミリアロマーニャ州においては、現状、ごく限られた人のみがオフィスで勤務することが許されている。自動車メーカーやサプライヤーに勤める彼らは、こうした困難にもかかわらず、皆を救うためにさまざまな試みを行っている。
フェラーリやランボルギーニをはじめとする現地のメーカーは、世界的な産業規模でいえば、まがうかたなき中小企業である。そのフットワークの軽さを生かし、自前で動かせる設備を使って、彼らは知恵を絞っている。フェラーリからは人工呼吸器バルブと防護マスク部品の生産を開始したというニュースも流れてきた。
こういったメーカーの開発部門では、相当な数の3Dプリンターが稼働している。吸入器などに使われる特殊形状パーツを作るのは朝飯前だ。また、カーボンファイバーパーツの製造部門では、自動カッティングマシーンなどを活用すれば、布類の切り出しも可能だ。明らかに、今までとは少し違った、未来に向けての連帯が生まれている。
ダラーラ社による人工呼吸器接続バルブ(写真:ダラーラ社)
「状況を的確に把握して、いま何をすべきか判断する。そして、速やかに方向転換することが今の私たちにとって必要なことです。われわれのイタリア本社では、人工呼吸器とマスクに関するプロジェクトに焦点を当て、北米法人では地域社会を守るために医療機関用の衣料生産を手伝うプロジェクトを速やかに立ち上げました」
現在、同社本来の自動車産業としての稼働は、当地にある同業他社と同様に止まったままだ。しかし、3月から開発部にある3Dプリンターで人工呼吸器接続バルブを製作するプロジェクトを立ち上げ、医療機関に提供し続けている。
それだけでなく、そのCAD(コンピューター支援設計)データをオープンソースとしてウェブサイト上にて無償提供した。地域に広がる自動車産業とタッグを組み、限られた人員を有効に使いながら、さらに多くの数量を必要とする医療機関に提供すべく、奮闘しているのだ。
ダラーラ社とはいかなる存在か
ダラーラ社は、1972年にスポーツカー・エンジニアであるジャンパオロ・ダラーラによって創立されたレースカーの設計・製造コンサルタント会社である。1936年に当地に生まれたジャンパオロは、幼少期からレースの世界に強い憧れを持ち、レースカーを作るという夢に向けて邁進し続けた。そして、大学卒業後、その夢が叶い、フェラーリ、マセラティ、ランボルギーニ、といったイタリアを代表するすべてのスポーツカーメーカーに籍を置いて活躍した。
彼の設計者としての名声は世界中にとどろき、ダラーラ社は多くのレースカーを設計してきた。結果的に、北米で開催されるインディレースでは、すべての車両にダラーラ社のシャーシが採用されている。フォーミュラEや、日本で開催されるスーパーフォーミュラも同様だ。今や世界のレース界はダラーラ社なしには成立しない状況となっている。
ではなぜ、同社だけが“レース界の巨人”として君臨することになったのだろうか。1つには、彼らが裏方に徹し、幅広いクライアントを獲得するビジネスストラクチャーを作りあげることに専念したことであろう。
ジャンパオロ・ダラーラと「ランボルギーニ・ミウラ」(写真:ダラーラ社)
今や1台のクルマを完成させるには、空力や動的挙動などの多くをバーチャルでシミュレーションし、効率的な開発を行う。ダラーラ社は早い段階から最新の設備を導入していたが、多くのモデル開発に従事し、そこで得た収益から必要な計測機器やドライビングシミュレーター、風洞実験室のアップデートなど、高価な設備の導入に先んじて投じていった。そこまでくると、もはや世界にライバルは不在だった。
レースカーの開発や製造は、決して割のいいビジネスではない。レギュレーションの変更で緊急を要す仕事も突然飛び込んでくる。レース・シーズンの前は忙しいが、シーズンが始まると急に暇になるといった具合で、稼働にも波がある。さらに、レースのチーム運営には多額の資金が必要となるので、景気の浮き沈みでレースから撤退というような事態もよくある。
つまり、クライアントが安定しない。まさにレースは“水もの”なのだ。そういった浮き沈みをカバーするため、レースカー・市販車両の双方において多くのクライアントを抱え、開発を請け負った。
「安全」に懸ける並ならぬ信念
私がジャンパオロに初めてインタビューをしたときのことを今でも思い出す。多くの場合、いかに苦難の末に現在の地位を獲得したかというヒストリーや、最新のトピックからインタビューは進んでいくのだが、彼は違った。モータースポーツ界では有名な“F1神父”こと、故ドン・セルジオ・マントヴァーニが作った『レースで命を落としたドライバーたちに捧げる』という小冊子を手に、こう語ってくれたのだ。
「これまで何人のドライバーが命を落としたことでしょう。かつてレースにおいては『安全』という概念すら存在しませんでした。ですから、私はドライバーにできるかぎりの安全を与えることのできるクルマを作りたい。これこそがこの会社の使命なのです」
レースで速く走るのは当たり前。それよりも重要なのは、すべてのクルマにおける安全性の追求だ――。彼はこの誓いにこだわり、基準値の何倍もの強度を持つシャーシを開発し、廉価なシリーズにもそれを採用した。
ジャンパオロの安全にかける強い執念にはいっさいの妥協がないと、彼を取り巻くエンジニアたちは証言する。そして、そのこだわりは企業活動のあらゆるところに表れ、顧客から従業員まですべてを大切にする、至極“真面目”な企業風土を醸し出している。それゆえ、ダラーラ社に対する業界からの信頼は絶大なのだ。
人材の育成に関しても、とことん真面目だ。同社の敷地内には「ダラーラ・アカデミー」という教育施設兼ミュージアムがある。そこでは少年少女から大学生までが、さまざまなレベルでレースカー作りの”作法“を学ぶ各種授業が用意されている。
パルマ、モデナ、ボローニャの大学と共同で、より実践的なレースカー設計を学ぶための学科も、ジャンパオロらの努力によって誕生した。単なる机上の理論だけではなく、ダラーラ社のファクトリーを用いて実際のレースカー製作までを行うから、徹底している。まさにスポーツカーは文化そのものであることを思い知らされる。
「次の世代がしっかりと学び、それを引き継いでくれることが大切なのです。ダラーラ社の即戦力を求めているわけではありません。このことによってモーターヴァレー、ひいては世界のレース界の人材が厚くなることが重要です」と、ジャンパオロは力説する。
ジャンパオロが示唆する"コロナ後"の製造業
ダラーラ社が製造した「ダラーラ・ストラダーレ」
こうして完成した「ダラーラ・ストラダーレ」は、クライアントである自動車メーカーを邪魔したくないと、モーターショーやカーイベントに出展しないという“真面目”さでセールスを開始した。しかし、フタを開けてみると、自動車メーカーとしてはまったく実績のないダラーラ社の第1号モデルにもかかわらず、オーダーが殺到した。
当地においてクルマは単なる工業製品でなく、文化としてとらえられていることをこの至極“真面目”なダラーラ社の活動から理解することができる。そして、その文化は自社だけで創るのではなく、横のつながりをもって共に育てていく。今回の新型コロナウイルスの感染拡大によって再考を促されている製造業の未来について、ダラーラ社の進む道は1つの示唆を与えてくれるように思う。(一部敬称略)