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2020.03.08

フォード・エコノラインで巡った3000kmの砂漠旅

国内のみならず海外でもさまざまなルートを走らせてきた筆者。その中でも、思い出深い旅行中に起こったハプニングとは?

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文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト) イラスト/溝呂木 陽

岡崎宏司の「クルマ備忘録」連載 第129回

砂漠、、3000kmの家族旅行

1970年代の終わり頃だったと思う。友人ご夫妻とわが家の3人で砂漠を旅した。

友人ご夫妻とは、当時、集英社に勤めていらした原多加志さんご夫妻。週刊プレイボーイでクルマ担当をなさっていた縁で知り合い、今も親しくさせて頂いている。

わが家は、まだ小学生だった息子を含めた3人。総勢5人での旅だった。 

原さんも僕も砂漠が好き、、そんなことで、旅は、LAを起点に、カリフォルニア、アリゾナ、ニューメキシコのデザートエリアを巡るルートにした。

旅の足は、フォード・エコノラインの最大にして最上位のモデル(ベッド付)を選んだが、正解だった。

ほぼ3000kmを6日で走ったが、エコノラインは快適だった。3列目シートを倒すと、大人二人がゆっくり横になれるほどのベッドになるのも有り難かった。

原さんと二人で交互に運転したが、少し疲れたりすると、ベッドで身体を伸ばして横になれるのは気持ちがよかった。

ここで、話しは前に戻るが、出発直前、思いがけないトラブルが起きた。息子が腕を骨折。僕がぎっくり腰をやってしまった。

幸い、息子の骨折治療は峠を越えていた。痛みもなく、副え木を付け包帯を巻いてだが、医者から旅の許可は出た。

問題は僕のぎっくり腰。出発の前日か前々日だったと思うが、ギクッと来たときは目の前が真っ暗になった。

すぐ針治療に行き、強固なサポーターを買い、なんとか歩けるようにはなった。でも、重いものは持てない。

となると、トランク運びは原さんにお願いせざるをえない。旅の後半辺りにはほぼ回復したが、重いものを持つのは怖い。結局、旅が終わるまでの「重量物運搬」は全部、原さんに頼ることになってしまった。
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スタートでは躓いたが、旅は予定通り進んだ。初日はLA郊外のモーテルに飛び込みで泊まった。LAは珍しく濃霧に包まれ、いつもとはまるで違う表情を見せていた。

モーテルはこじんまりした木造の小屋風。変わった形のプールを囲むように建てられたそれは、濃霧とも相まって、山小屋にでも行ったかのような不思議な感覚として覚えている。

旅のスケジュールはなにも決めていなかった。「とりあえずはグランドキャニオンを見よう」と西に向かってスタートした。

LAを抜けて内陸部に入ると、すぐ砂漠が広がる。広大な砂漠の中をゆったりとうねるインターステート・ハイウェイは、アメリカ西部のもっとも特徴的な景観のひとつだ。

奥様方も、はじめのうちは「わーっ、すごい!」「こんなスケール感って初めて!」などと楽しんでいた。

時折出会う小さな町にも「映画のセットみたい!」と、楽しそうだった。

砂漠に沈む夕陽を心ゆくまで味わおうと、場所を選んでクルマを停めた。アイスボックスに入れた飲み物とお菓子を持ってクルマから降り、大自然の描く壮大なドラマを楽しんだ。

その夜は砂漠の中の町の小さなレストランで夕食を食べ、小さなモーテルに泊まった。

夕陽のドラマ、小さな町の小さなレストラン、モーテル、、これまた奥様方にウケた。初めての経験が物珍しく、楽しかったのだろう。息子も同様な反応だったように思う。

原さんも僕も、こうした反応にホッとした。ある種単調な砂漠の旅に、「NO !」が突きつけられるのではないかと心配していたからだ。その意味では、上々の滑り出しだった。

2日目はグランドキャニオンに真っ直ぐ向かった。ビューポイントから見たグランドキャニオンの景観にはただただ圧倒された。

馬の背に乗ってのキャニオンツアーでも体験すれば、もっと強烈な体験ができたのだろうが、奥様方の拒絶は明らかだったので、言い出すのはやめることにした。
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原さんと僕は、砂漠の旅そのものが好きなので、同じような景色がいくら続いても退屈などしない。いや、楽しくて仕方がない。

しかし、奥様方はそうはいかなかった。3日目辺りから雲行きは怪しくなってきた。

それはそうだろう。なにせ、行けども行けども広大な砂漠が続くだけ。変化があるとすれば、いろいろな形のサボテンが次々現れることくらいしかない。

町はあるが、1~2分で通り過ぎてしまうような町がほとんど。それも、ほこりっぽい町ばかりだし、気の利いた店など当然ない。西部劇時代の佇まいをそのまま引きずっているような町とでも言えばいいのだろうか。

西部劇と言えば、ハイウェイ沿いの小さなレストランに入った時、カウンターの端に1脚だけ、妙に古ぼけた椅子があった。近寄って見ると「ジョン・ウェインの座った椅子」のプレートと「座ってはダメ」の張り紙が。

原さんと僕は、こんなことも「いいなー!」となるのだが、奥様方は「あっ、そう、、」とまるで乗ってこない。

アルバカーキから、メキシコと国境を接するエルパソまで南下。そこから西に進路を変えた。が、相変わらず広大な砂漠が延々と続く。

そんな中、突然、家内が歯の痛みを訴えた。持っていた痛み止めはまったく効かない。その日は、確かツーソン辺りで泊まろうかと思っていたのだが、急遽変更。

アリゾナの州都なら大きな病院があるはずと思い、フェニックスに向かった。夜の道を飛ばせるだけ飛ばして、夜中を少し回った辺りに救急部門のある大きな病院に着いた。

手続きはすぐできたし、保険も使えた。フェニックスまで飛ばした甲斐があった。
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で、救急外来の待合室に入ったのだが、そこには驚きの光景が待っていた。けっこう広い待合室なのだが、多くの患者で満杯状態。

床に座りこんでいる人、寝ている人、痛みでうめいている人、血を流している人、意味不明な動きをしている人、、その上さらに、救急車が病人をけが人を次々送り込んでくる。

我々は片隅に寄り、我々の常識では「あり得ない!」光景を呆然と眺めていた。怖かった。

かなり待って順番が。もちろん僕は家内に付き添ったが、診療室は静かで清潔だった。
痛み止めを処方されただけで終わったが、痛み止めが効いたので助かった。

そんなこともあって、フェニックスからは真っ直ぐLA(サンタモニカ)を目指した。

サンタモニカに着くと、曇っていた奥様方にもすぐ笑顔が戻った。美しいビーチ、整った街並、楽しいショッピングストリート、気の利いたレストランやカフェ、、当然だろう。

いろいろあったが、いいことも悪いことも含めて「思い出深い旅」だった。

思い出深いと言えば、この旅の間中、FMから頻繁に流れていたビリー・ジョエルの「マイ・ライフ」も忘れられない。今も、この曲を聴くと、40数年前の旅のあれこれが反射的に思い浮かんでくる。

● 岡崎宏司 / 自動車ジャーナリスト

1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。

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