2019.09.22

いくつもの国境を超えて

世界中を回り、さまざまな国境を見てきた筆者が、いまも忘れられない想いとは…

CREDIT :

文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト) イラスト/溝呂木 陽

岡崎宏司の「クルマ備忘録」連載 第113回

「国境」に想うこと、、。 

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東西冷戦の象徴、「ベルリンの壁」に初めて行ったのは1986年。「壁の崩壊」は1989年暮れ頃だったから、その3年ほど前になる。

西ベルリンにどんな経緯で行ったかは覚えていないが、1人で行った。たぶん、ドイツでの取材があった折にでも絡ませたのだろう。

西ドイツ(フランクフルトだったかと思う)から西ベルリンへの移動は、今や懐かしいアメリカの航空会社、Pan Am機で飛んだ。

西ベルリンの街は豊かで煌びやかだった。
貧しい東ドイツのド真ん中で、「西側の繁栄を見せびらかすショーケース」のようだった。いや、事実、そんな役割を担っていたはずだ。

東西ベルリンを往き来する唯一の境界検問所、「チェックポイント・チャーリー」付近が観光客の訪れる中心地だったが、この周辺の店に並ぶ商品は「豊かそのもの」。店構えも、ショーケースも、商品も、、すべてが輝いていた。豊かさを誇示していた。

チェックポイント・チャーリーに近い壁は上れるようになっていて、上ると東側が見える。
東側に入らず、壁の上から眺めただけで、西と東の違いははっきり感じ取れた。

「西と東」の違い、、豊かさの格差は想像をはるかに超えるものだった。「冷酷な格差」とさえいっていいほどの違いを目の当たりにした。

壁の上から見えた東ベルリンはシンと静まりかえっていた。豊かさと煌びやかさと喧騒に包まれた西ベルリンを背に、死んだような静けさに包まれた東ベルリンを見る、、その時の僕は、驚きというよりも、恐怖に近いものを感じていたように記憶している。

中層のビルが建ち並んでいたが、その多くはアパートと聞いた。みな同じような形の古びた建物で、整然とはしているのだが、くすんだように赤茶けて見える。

そんな街並にほとんど人影が見られないのにも愕然とさせられた。ときどき、背中を丸めたようなお年寄りがポツンポツンと見られただけ。この町は「廃墟か」と思ったほどだ。
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クルマもたまに見かけるだけ。それも、2サイクル・2気筒のエンジンから白い煙を吐き出しながら走るトラバントとなれば、もの哀しさを募らせるばかりだ。

それにしても、どうしてこれほどまでに「人の生活感」が感じられないのか。どうにも理解がつかなかった。

「東側」の国にもいくつか行ったことはあるし、貧しい国にもいくつも行った。が、背筋がヒンヤリするほどの空疎な感覚を覚えたことはなかった。

西側の人に見られる場所なら、ふつうは虚飾ではあっても街をきれいに見せ、賑わいを見せようとするものだろうと思うのだが、、その気配すらなかった。不思議さを通り越して、ただただ不気味だった。「東ドイツが終焉に近い」ことを否応なく印象づけられた。

話しは同時期のアメリカとメキシコの国境に飛ぶ。サンディエゴからティファナに入るルートはすでに何度か往復していたが、回を重ねても強烈な印象に馴れることはなかった。

「国境」を越えると、すべてが、、ほんとうにすべてが変わってしまう。

サンディエゴまで、いや、メキシコとの国境までのアメリカ側は、木々が豊かな葉を茂らせ、こぎれいな家が整然と連なり、その庭は緑の芝生で覆われている。道路も完全に整備されている。

しかし、国境を越えメキシコに入ったとたん、
景色はガラリと変わる。いや、景色だけではない。すべてが変わる。

芝生も含めて緑はグンと少なくなり、道路は狭くなり、ショッピングエリアの家並みは煩雑になり、派手な色が目を刺激する。

丘稜地の住宅地もまた、煩雑に隙間なく家が埋め尽くし、緑といえば、大小の木々が脈絡無くポツンポツンと見えるだけだ。

ティファナの街には多くのクルマが走っているが、いいクルマ、新しいクルマはアメリカナンバーが多い。そして街を出ると、クルマは一気に少なくなり、道路の整備状態もまた一気に悪くなる。

でも、、豊かではないかもしれないが、メキシコの人たちは明るい。街も生き生きしている。すべてが死んでいるかのような東ベルリンとはまったく違った。

貧しさは同じなのかもしれない。が、メキシコには自由と南国の明るい空があるからか、街も人々も生き生きしてみえた。なにかはわからないけれど、希望が感じられた。

それに対して、「壁の向こうの東ベルリン」には、自由もなければ希望もなかったのだろう。人々にとって、家に閉じこもるのがいちばん楽な選択肢だったのかもしれない。


国境越えで、とんでもない経験をしたことがある。陸路でイランからアフガニスタンに入った時の出来事だ。

1977年だったと思う。アフガニスタン紛争は1978年に始まり、今に至るまで形を変えながら続いているが、1977年にはすでに不穏な状況が報じられていた。
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そんな情勢の中、僕はクルマでイラン/アフガニスタンの国境を越えたのだが、、その時、後にも先にもない貴重な?経験をした。

アフガニスタン側検問所手前でクルマを停め、僕が1人で車両関係書類をもって検問所建屋に向かった。

そのとき、不意に男が1人表れ、僕に近寄ってきた。で、その手には拳銃が!!

銃口を向けてもいなかったし、引き金に指をかけていたわけでもなかった、、が、当然びびった。身体が硬直した。同行の2人はクルマの中にいて、気がついていなかった。

男は立ちすくむ僕に英語でこう言った。
「アフガニスタンはとても危険だから、身を守るために銃が必要だ。安くするから」と。

すぐ車内の2人にも出てきてもらい、3人で丁重に断った。それでも食らいついてきたが、「銃を撃ったことがないので、買っても使えない」のひと言でようやく引き下がった。

当然、警察官もいるアフガン検問所の目と鼻の先でのことだから信じがたいが、たぶん、「見て見ぬふりという暗黙のルール」になっていたのだろう。

多くの国境を越えたが、いわば一本の線のこちら側とあちら側での違い、時には天国と地獄が隣り合わせているような違いも見てきた。

理屈ではわかっていても、国境を挟んでの現実を目の前にすると、心は乱れる。すごく困惑する。いくら多くの経験を積んでも、このことに馴れることはない。

● 岡崎宏司 / 自動車ジャーナリスト

1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。

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溝呂木 陽先生の個展が開催されます

本連載のイラストをずっと手がけて戴いている溝呂木 陽 先生の個展が、開催中です。イタリア、パリの街角と、そこに佇むクルマをおなじみの繊細なタッチの水彩画で描いています。ぜひその画を直に見て戴ければと思います。
溝呂木陽水彩展2019
日時:2019.9.7(土)〜9.28(土) 10:00〜18:00
火曜定休 入場無料
場所:FIAT CAFFE松濤
東京都渋谷区松濤2-3-13
03-68049992

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