2019.04.07
あの名車を知ってますか? マツダ・コスモスポーツは当時の常識を越えていた!?
マツダのお家芸、ロータリーエンジン。1960年代にデビューしたコスモスポーツは、そのロータリーエンジンを搭載したマツダ初の量産車だった。その走りは? 当時出来たばかりの箱根ターンパイクへコスモスポーツで向かった筆者は「風のようだ!」と言った。
- CREDIT :
文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト) イラスト/溝呂木 陽
岡崎宏司の「クルマ備忘録」連載 第90回
コスモスポーツは風のようだった!
それ以前にも試作車や写真等々は見ていたが、それほどワクワクもドキドキもしなかった。
たぶん、ひと足先に実用化に踏み込んだNSU のロータリーエンジン車、「ヴァンケルスパイダー」に大きな落胆を味わったことが影響していたのだろう。
単室容積491ccのシングルローター・エンジンを積んだ世界初のロータリー車の走りは、ストレートにいって「ガッカリ」だった。
低速トルクに難があるのは知識として知ってはいたが、これほどとは思っていなかった。
発進のアクセル/クラッチワークにそうとう神経を配らないと、たちまちエンジンストールしてしまう。
回転が上がればレシプロとは違う滑らかさこそあったものの、それも新しい世界に夢を抱かせるようなレベルではなかった。
しかし、1965年の東京モーターショーに展示されたコスモスポーツ・プロトタイプの低く美しいプロポーション、そして、単室容積491ccツインローター・エンジンのスペックを見て、にわかに期待は膨らんだ。
それからほぼ1年半後の1967年春、コスモスポーツは発売された。世界初のツインローター・ロータリーエンジン搭載車として。
僕がすぐ試乗依頼をしたのはもちろんだ。そして、春のある晴れた日、僕はコスモスポーツのステアリングを握り西に向かった。
目的地は1965年に開通したばかりの箱根ターンパイク。空いていて、中高速コーナーが中心のターンパイクは、とくに高性能車の試乗にはうってつけの条件が揃っている。これは半世紀前も今も変わっていない。
ターンパイクに着く前、、いや、マツダからクルマを受け取り、走り始めてすぐ、僕はコスモスポーツの虜になっていた。
ツインロータリーの滑らかさ、静かさ、、そして気持ちよくどこまでも伸びて行くかのような回転感は、まさに未体験ゾーンのものだった。
低速トルクは十分とは言えなかったものの、発進や低速走行で特別な気遣いを求められるようなこともなかった。
当時の高性能車の多く、とくにハイチューン小排気量車の低速トルクは細くて当然だったので、ほとんど違和感もなかった。
最高出力は110ps/7000rpm。現在のレベルと対比させると弱々しささえ感じさせる数値だが、当時としては魅力的な数値だった。
同時代を走ったフェアレディ1600が90ps/6000rpmだったといえば、僕の言っていることに頷いて頂けると思う。ちなみに、トランスミッションはフルシンクロの4速MT。
960kgの重量は当時としては標準的。しかし、すでにフロントミッドシップの考えが採り入れられていた。優れた重量バランスと低重心を求めて、ロータリーエンジンは後方に低く積まれ、バッテリーもトランクに置かれた。
4000〜5000rpmを超えると苦しげな唸りを上げた当時のエンジンに対して、最高出力回転数の7000rpmまで回しても振動とは無縁。だから、どうしても引っ張り気味の走りになってしまうが、それがまた楽しかった。
4速MTを頻繁に操作し、ウソのように気持ちよく伸びる回転とパワーを楽しんだ。
当時のクルマ好きがもっとも気にしていた性能の一つが、いわゆるゼロヨン(0~400m加速)だったが、コスモスポーツの公式タイムは16.3秒と超一級だった。
晴れ上がった箱根ターンパイクをコスモスポーツで走るのは快感だった。1165mmの全高の低さと重心の低さの相乗効果は、まさに、路面に張り付いているような感覚だった。
空気抵抗の低さも大きな効果をもたらしていたのだろう。コスモスポーツのスピードの伸びは予想をはるかに超えるものだった。110psというパワースペックがとても信じられないパフォーマンスだった。
センター部にロータリーのイメージをあしらったスリースポークのウッドステアリング、整然としたメータークラスター、、インテリアも美しく仕上げられていた。
コスモスポーツは姿も佇まいも、爽やかで美しかった。そして、走りも、、。
晴れ上がった初夏のターンパイクを駆けるコスモスポーツを、僕は「心地よい風のよう!」だと感じたことを今も覚えている。
● 岡崎宏司 / 自動車ジャーナリスト
1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。