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2019.02.08

日産R32型GT-R、アウトバーンとニュルブルクリンクで見せた脅威の走り!

いまだに伝説として語り継がれる90年代の名車、日産R32型のスカイラインGTR。その開発に携わった筆者が語る、日本車の黄金期とは?

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文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト) イラスト/溝呂木 陽

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1980年代後半、日本はバブルのピークで盛り上がっていた。いや、「沸騰していた!」といった方がより当たっている。

僕にも、いわゆる「美味しい仕事」が続々と舞い込み、収入はかなりの額に達した。その結果、贅沢なクルマを複数台所有するといったことにもなった。そんな中、日本のメーカーは潤沢な資金を使って、世界に注目される、世界を驚かせるレベルのクルマ作りに力を注いだ。そんな注力は大きな実を結んだ。レクサスLS400、日産R32 GT-R、ホンダNSXといった、歴史に名を残す名車が次々誕生した。

1970年代後半から、僕が複数メーカーの車両開発のお手伝いをしてきたことにはすでに触れたが、数多く関わったクルマの中でも、とくに思い出深いのはR32 GT-Rである。

スカイラインとしては8代目に当たるR32型は、当初から大きな目標を掲げて開発された。

目標とは「日産は1990年代までに技術力世界一を目指す」というものであり、その名もズバリ「901活動」と命名された。そして、その先頭を走る重責を担ったのがR32型スカイラインであり、さらにその中核を担ったのがGT-Rだった。

GT-Rの開発メンバーにはすごい面々が揃っていた。メンバーを見ただけで「901」がカケ声だけで終わることはあり得ないと思った。

ちなみに、この901メンバーは活動終了後も強い絆で結ばれている。30年以上経った今でも年に1度の親睦会には多くのメンバーが集い、「あの時の話」で盛り上がっている。
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開発は楽しかったが、みんな真剣だった。議論がけんか腰になることも少なくなかった。外部から招いた人の意見は、気に入らなくても、そうじゃないよと思っても、ふんふんと頷いているふりをするのがふつうだが、901の時は違った。反論はもちろん、怒りをストレートに爆発させ、ぶつけ合うようなこともあった。これほどモチベーションの高い開発現場に身を置いたのは、後にも先にも901だけだ。

スペックの詳細は省くが、あらゆる技術を惜しみなく投入したR32 GT-Rには、開発当初から高いパフォーマンスが容易に予測できた。901チームが、走りの参考試験車として選んだのは、当時「世界一ハンドリングの優れたクルマ」とされていたポルシェ944ターボ。

僕ももちろん異論はなかったが、「これを超えるのは難しくないな」と思うまでに時間はかからなかった。そして、その通りにコトは進んでいった。とくにすごいと思ったのはスタビリティの高さ。開発の終盤に差しかかる頃のスタビリティは、かつて経験したことのない、いや、想像したこともないゾーンに入っていた。それを最終的に試す場に選ばれたのは、当然のことながら、アウトバーンとニュルブルクリンク。

参考試験車のポルシェ944ターボも持ち込んだが、最初のアウトバーン・セクションで早々に決着は付いた。誰もが予想していたことだが、944ターボはすぐガレージに退いた。

アウトバーンでは160k m/h を超える速度領域での直進安定性、レーンチェンジの挙動、緊急回避性能を主にチェックしたが、GT-Rは200 k m/h を超える領域での緊急回避動作も
難なくこなした。まるで不安は感じなかった。国内テストでも十分にわかっていたことだが、やはり、一般車両が走るアウトバーンでの確認には格別に重いものがある。

ニュルブルクリンクもGT-Rは豪快に駆け抜けた。ニュルを熟知しているドライバーの出したタイムは8分24秒。1989年当時の量産車世界最速タイムをアッサリ刻んだ。当時はニュルで9分を切れば一級のパフォーマンスカーとされていたのだから、8分24秒は驚異的なタイムだった。このタイムはあっという間に世界に拡散し、とくに欧州のメーカーを訪ねる度にホットな話題として持ち出された。すごい反応だった。
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それまで、4 WDや4WSの電子制御にはあまり興味を示さず、「なにより重要なのは基本性能を高めること」といっていた欧州勢にも大きな衝撃を与えたということだ。

ところで、僕もその時ニュルを走ったので、その結果も書き加えておこう。

僕はなぜか、テストコースを走るのは好きでも、サーキットを走るのは好きではない。今も同じだ。だから、GT-R以前にニュルをまともに走ったことはなかった。タイヤメーカーの誘いで2周走ったのが唯一の経験だった。しかし、GT-Rはそんな僕をも8分44秒で走らせてくれた。2周走った2周目のタイムだが、これはもう驚き以外のなにものでもない。

市販仕様なので、タイヤもノーマル。シートもベルトもノーマル。レーシングスーツもヘルメットもグローブもなし、、つまり、普段着のまま走った結果ということ。ちなみに、上記した8分24秒も同じ条件下のタイムだ。

1周目は当然抑えたが、ストレートは元より、コーナーでのスタビリティも驚くほど高い。となれば、目視情報だけでもけっこう踏める。そんなことで、未知とも言えるコースをほとんど恐怖心なしで走れた。

2周目はボンヤリながら記憶に残ったコーナーもあり、1周目で実感した安心感もあって、より踏み込めたのだが、その分ブレーキへの負担が大きくなり、後半でのコーナー進入はセーブしなければならなかった。

それでも8分44秒で走れたのだから、R32 GT-Rの実力や恐るべしとしかいいようがない。

あれから30年経った今、市販車の上位タイムは7分を大きく切るようだが、30年前に8分台を自らの手で経験できたのは貴重だ。

その後もGT-Rは休みなく進化を続けてきた。最新のGT-Rもすごい。だが、その原点で深く関われたことは僕の宝物、、最高の宝物だ。

● 岡崎宏司 / 自動車ジャーナリスト

1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。

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