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2021.10.21

元バレーボール日本代表・木村沙織「私が厳しくて辛い時ほど笑ってしまう理由とは?」

コロナ禍によって人と人とのリアルな繋がりが大きく毀損され、コミュニケーションは大きな危機を迎えています。でも、こんな時だからこそ、我々オトナはいい笑顔を忘れてはならない。そんな思いを込めて皆で笑顔について考える特集です。今回は元バレーボール日本代表の木村沙織さんに話を伺いました。

CREDIT :

文/アキヤマケイコ 写真/トヨダリョウ スタイリスト/森本友香 ヘアメイク/イワタユイナ

木村沙織
バレーボールの全日本代表を14年間務め、オリンピック4回、世界選手権3回、ワールドカップ3回出場という偉業を成し遂げた、不世出のレジェンド・木村沙織さん。2017年に引退するまでファンを魅了したのは、攻守ともに抜きん出たプレーに加え、弾けるような「笑顔」ではないでしょうか。ストイックな練習と緊張感溢れる試合が連続するアスリート生活の中も笑顔をたやさずいられた理由、また引退後の暮らしについても伺いました。

厳しければ厳しいほど笑ってしまう。子供の頃はそれで怒られることも

── 全日本代表の時代、プレーでの実力はいうまでもありませんが、その「笑顔」も人気でした。ご自身はそういうことは意識されていましたか?

木村沙織さん(以下、木村) 「笑顔」のテーマで今回、お声をかけていただいたのはうれしいです。でも、現役時代には、自分が何で人気になっているかとか、考えたこともなかったんです。試合に勝つか負けるか、自分がチームに貢献できるようにがんばりたい── その気持ちしかなかった。チームスポーツなので、皆にスポットライトが当たって欲しいとも思っていました。別の選手が活躍して試合に勝ったのに、新聞などで私の方が大きく扱われていると申し訳なく思ったこともありました。

私は「笑顔」は自然に出るというか、子供の頃からすぐ笑ってしまうんです。それはむしろちょっと悪い癖でもあって、悪いことをして母に怒られている時、母が真面目に怒れば怒るほど笑ってしまって、ますます怒られる、みたいなことがよくありました。

大人になってバレーに取り組んでいる時も、厳しくてきつい練習の時ほど笑ってしまう。走り込みで、周りの人に「笑って走ってる」って呆れられたり。残っているトレーニング映像を自分で見ても「何でこんなに笑っているんだろう」って思うくらいです。

── それは何故ですか? メンタルを維持するため、とりあえず「笑顔を作る」といったトレーニング方法もあるようですが……。

木村 そういうのではなく、意識せずです。現実逃避の感覚もあったのかな。でも、きつい練習って、きついって思って言葉や態度に出したりすると、やりたくなくなって、体も動かなくなってしまう。だけど、チームでやらなくてはならない練習だし、ナシにはならない。それなら苦しくても前向きにやってやろう、みたいな気持ちはあったかもしれません。でも本当に、私にとっては、笑ってやるほうが自然で、笑わないほうが苦しいことだったんです。
木村沙織
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意識して笑顔を作ったことってないんです。キャプテンになるまでは

── 試合中の「笑顔」も、ごく自然に出たものばかり? 苦しい場面でわざわざ表情を作る、みたいなこともなかったですか?

木村 もちろん自然にですけど、実際に、ネガティブにならない効果はあったと思います。ただ、全日本のキャプテンになってからは、意識して表情を使い分けていたかもしれません。状況によって「メンバーを落ち着かせるために、今は笑顔で声をかけてあげた方がいいな」とか、「キリッとした顔で声をかけて、ピシッと締めたほうがいいな」とか考えて。

── キャプテンになられたのは、バレーボール人生の中で、終わりごろですよね。

木村 はい。最後の4年間、リオオリンピックの時です。私はずっとキャプテンに向いているタイプではないと思っていましたし、やっている間ですらチームを引っ張るとか苦手だなと思っていたくらいです。でも、キャプテンになった時から、メンバーには自分の挙動を見られているので、さすがに自然体ではいられなかったかな。その経験をしてから、今までキャプテンを務めてくださった方、監督たちって、大変だったんだなと改めて大尊敬しました。

── トルコリーグにも2シーズンいらっしゃいました。

木村 ああ、その時は確かに、笑顔に助けられました! 監督がイタリア人で、皆の共通言語である英語とトルコ語の3カ国語で会話が成り立っていたんですが、私は英語もあまり上手じゃないから、表情でコミュニケーションする感じでした。ボールが動きはじめたら、バレーの専門用語は分かるので問題なかったですが、それ以外の時はとりあえず笑顔で(笑)。それでどうにかなっていました。生活面では、日本のVリーグのチームのように寮があって栄養管理もしてくれてというわけではなく、スケジュールも食事も全部自分で管理しないといけない。海外で生活する忍耐力や対応力もついて、鍛えられました。

そんなこんなを考えると、子供のころからバレーしかしてない生活でしたけど、たくさんのことを学ばせてもらいました。なかでもバレーボールはチームで、ボールを次の人に繋いでいくスポーツなので、周りの人に思いやりや気遣いをすることが、意識していなくても身についた気がします。これは、今の生活でも役に立っていると思いますね。
木村沙織
▲ ジャケット7万1500円、パンツ6万3800円、Tシャツ1万1000円/すべてディーゼル(ディーゼル ジャパン)  その他/スタイリスト私物
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毎日、後悔なく練習する。だから、いつ引退してもいいと思っていた

── 31歳でスッと引退されて。もっと長くやりたかったとか、引退後もバレー界に関わっていたい、という思いはなかったんでしょうか?

木村 自分ではもっと早く引退すると思っていて、意外に長くやったなという感覚なんです。トルコリーグにいる時、当時全日本の監督だった眞鍋(政義)さんが会いに来てくれて、私が「このシーズンで引退する予定です」って言ったら、「えっ! 僕はキャプテンをやって欲しいって頼みに来たんだよ」って言われて。お互い「え~!」みたいな感じになったくらいです。

実際に引退した理由は、点を取りたい時に決められなかったり、試合に負けたりした時に、次の目標に向かっていこうと思うエネルギーが、年々薄れていっているのを感じたからです。プロとして続けるうえで、体のここが動かなくなった、このプレーができなくなった、ということより、そういう気持ちの面で続けるのが難しいと思いました。

でも、もともとずっと長い間、「明日バレーを辞めて」って言われても、「いいですよ」といえるくらいの気持ちではいたんです。それは毎日毎日、悔いなくバレーボールに取り組んでいたから。

私は、試合の勝ち負けよりも、自分が自信をもってプレーができたかどうかが大事というタイプなんです。だから毎日の練習、特に団体練習よりも個人の練習を重要視していて、納得がいくまでやる、感覚のズレがないように、ちょっとでも気になることがあればボールを触って確認する、ということを続けていました。その練習が足りていないと、試合でボールが自分のところにきた時に不安になるし、それで勝ててもスッキリしない。逆に十分、練習したと思える状態で試合をしていたなら、ミスしても気にならないんです。

悔いが残るとか、妥協したりとかが好きじゃないと思って、毎日、練習をしていた。だからこそ現役の間、ずっとポジティブにバレーボールを楽しめていたんじゃないかな。

── その日々の練習の納得感が、試合のときの「笑顔」にもつながっている?

木村 そうかもしれません。逆に、よく試合が終わった後「苦しかったことは何ですか?」って聞かれることがあったんですけど、いつもうまく答えられませんでした。試合に負けたりミスしたりすれば、悔しいし、次にはこうしようとは思うんですけど、苦しいとは思わなかったので。そうネガティブに思わないために練習して、試合に臨んでいたわけですしね。
木村沙織
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人生一度。別の楽しい夢に挑戦したくて、カフェを始めました

── 現在は、夫である元ビーチバレー選手の日高裕次郎さんと、大阪で「カフェSUNNY(サニー)」を経営されているわけですが、バレーとはまったく違う分野に転身されたのはなぜですか?

木村 現役時代から、引退後にカフェをやるのが夢で、休みには雑誌を見てカフェ巡りをしたりしていたんです。で、実際に店を持ちたいと夫に相談したら、「いいね!」って勤めていた奈良の会社まで辞めて協力してくれて。今は、夫の出身地・鹿児島の調味料を使った食事とお酒を楽しんだりする「カフェ&バー」みたいなスタイルでやっています。でも、夫の好みで、インテリアが男の趣味部屋っぽい感じなので(笑)、将来は小さくていいので、私好みのナチュラル系のお店もやれたらいいなと思っています。

私は子供の頃からバレーボールをやってきて、もちろん一番得意なことでもあるし、お世話になった世界が盛り上がって欲しいなとは思っています。でも引退したら、バレーの延長線で講師になるとか教室を開くとかではなくて、違う夢に挑戦したいと思ったんです。だって人生、一度しかないんですから。

カフェのいいところは、仲間が会いに来てくれること。バレーを引退したら、先輩や同級生となかなか会えなくなってしまう。特に女性は結婚・出産の時期もあるし、まとまって会う時間もとりにくい。でもカフェなら、ちょっと時間ができた時に立ち寄ってもらえます。

キッチンに立って、お客さんの喜んでもらう顔を見るのも楽しみ。こういうバックヤードの仕事が自分は好きなんだなと思って、これからも頑張りたいなと思っています。他にもいろいろやりたいことはあるんですけど、バレーボールとの繋がりでいえば、コーヒーと焼き菓子のキッチンカーで、試合会場を回る、ってこともやりたいですね。日本全国、バレーを盛り上げながら、その土地土地の人と出会って話をしたりするのも面白いかなと。
木村沙織
── 引退したバレーにも悔いがなく、新しい夢を楽しんでいらっしゃると。それでは最後に、笑顔になりづらい人に、木村さんのように笑顔になれるコツを教えてください。

木村 私は笑顔じゃないほうが苦手なので、どうしたらいいんだろう(笑)。でも、皆、自分の好きなことを一生懸命やればいいんじゃないかなと思います。それが仕事にできれば一番いいですが、そうでなくても、頑張って何かを続けていけたら、ときには自分に優しくして、ご褒美をあげて自分で自分の機嫌を上げてあげる。そうすればポジティブにいられるし、苦しいと思うことも少なくなるんじゃないかと思います。

●木村沙織(きむら・さおり)

1986年、埼玉県生まれ。両親の影響で、小学生からバレーボールを始める。バレーボールの名門、成徳学園中学校、成徳学園高校(現・下北沢成徳高等学校)で主力選手として活躍。2003年に17歳で全日本代表に初招集される。2004年には、アテネオリンピック出場に大きく貢献し、「スーパー女子高生」としてブレイクする。高校卒業後は、東レアローズに入団し、チームを常勝集団として定着させる。全日本代表としてもエースとして活躍、2012年ロンドンオリンピック銅メダルにも大きく貢献する。2012年には世界最高峰リーグのトルコへ移籍し、2シーズン過ごす。2013年からは全日本代表のキャプテンに就任し、2016年のリオデジャネイロオリンピックではチームを牽引した。2014年東レアローズに復帰、2017年に引退。2016年に結婚。現在は夫婦でカフェを経営している。

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