2026.05.09
ジャン・レノが自身の半生を舞台で語り、歌う。成功の裏に秘められた、ひとりの男の真実とは?
世界的名優ジャン・レノが自叙伝的ひとり舞台『らくだ』を日本で制作、世界に先駆け5月10日から東京公演がスタートします。彼の人生に深い影響を刻んだ出会いや出来事を出演映画の記憶と重ね合わせながら描く本作について、じっくり話を伺いました。
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文/安田薫子 写真/渡辺修身、加古浩将(Hd LAB) 編集/森本 泉(Web LEON)

映画『レオン』で世界を魅了した名優ジャン・レノが脚本を書き、舞台で演じ、歌う舞台作品『らくだ』が日本で制作され、世界に先駆け5月10日から東京公演がスタートします。
本人によって鮮やかに描かれるのは、少年時代から、ロバート・デ・ニーロ、リュック・ベッソンらとの出会い、代表作の制作エピソード、何度かの結婚……。「これまでにやったことのないことをやってみたい」というジャン・レノのあくなきチャレンジ精神から生まれた本作は、東京を皮切りに日本全国でも公演、さらに世界へと発信されます。
今まで築いてきたキャリアから一旦離れて、ピュアな気持ちでクリエーションをしたい、と日本を創作の場に選んだというジャン・レノに、舞台にかける思いと、これまでの人生についても話を伺いました。
映画や演劇の登場人物ではなく、私自身の人生を子供たちに伝えたい
── 『らくだ』はジャン・レノさんの人生が詰まった舞台です。日本の観客にどういうところを見て欲しいでしょうか。
ジャン・レノさん(以下、ジャン) 私は私の人生、歩みを語りたかったのです。私の職業は誰かを演じることであり、皆さんが見ているのは私自身ではない、誰か別の人です。だから、私自身の足跡を子供達に伝えたいと思ったのがこの作品を作ろうと思ったきっかけです。私自身、私の祖父母の人生を知りませんでした。父が寡黙な人で多くを語らなかったからです。後に、従兄弟に話を聞いたり写真を見たりして、スペインのアンダルシアで貴族の馬の世話をする人たちだったとわかりました。
「私自身の足跡を伝えたい」という思いは、どうして日本で制作し公演するのかについての答えにもなります。私はおよそ四半世紀前から日本に特別な思い入れがあります(2001年映画『WASABI』公開)。私が誰なのか、私はどこからきて、どのように私が今のようになったのか。私はポスターの中の俳優ではなくて皆さんと同じく生きた人間であると日本の皆さんに伝えたいと思いました。自惚れでしょうか? わかりません。でも、男性だろうと女性だろうと、まずは人間です。私が興味を持っているのはまさに人間なのです。

▲ 記者会見が行われたのは舞台の稽古場。
── 今回の脚本を書くにあたり、人生で何を切り取るか、何を選んで何を捨てるか、どのような基準で書きましたか。
ジャン なにしろ私はらくだですから、時間がかかりました(笑)。まず、小さなシンボルを選びました。バルコニーです。母と5歳の私はランチの後、バルコニーで道を行く人を見ていて、母が私に問いかけました。「見てごらん。道を通るあの男の子がどうなると思う? 当ててごらん」。そうやって人を観察するバルコニーのシーンから芝居が始まります。
その後、人生の冒険を重ねていき、芝居と出会い、映画『グラン・ブルー』をきっかけにヨーロッパをはじめ世界を巡ります。こうした人生の旅からその時々を切り取って、できる限り正直に物語を語りました。伝えるための物語ですから。私が経験した喜び、美しさ、そしてロバート・デ・ニーロなど人々との出会いも描かれています。
── ジャン・レノさんは映画で世界的に有名になりましたが、元々は舞台俳優としてキャリアをスタートしました。本作品で自身を語るうえで、舞台という方法を選んだのは原点に戻るという理由があるのでしょうか。
ジャン 私にとって自分を語るうえで芝居という方法を取るのは明らかなことでした。フィルムで撮ることは頭に浮かびませんでした。私は舞台から来た俳優ですから、生身の自分が舞台で演じることが私にとって自明の理でした。実際、劇中に「演劇」という歌があります。「私は劇場から来た」という歌詞です。
『グラン・ブルー』の大成功の後、私のキャリアに空白の時期があります。私は自分を見失ってしまったんです。その時、私は舞台に戻りました。地方の劇場で舞台に立って初心に帰り、自分を取り戻すことができました。常に私がどこから来たのか、自分が元々いた場所へのリスペクト、こうしたすべてを子供たちに伝えたかったわけです。

人生の喜びと悲哀を背負った「らくだ」に自分を重ねて
── ご自身を「らくだ」に例えた意味を教えてください。
ジャン これまでいろんな動物や子供と共演してきましたが、「自分の内なる動物って何だろう? お前は何に似ているのか?」と自問した時、明らかに「らくだ」だったのです。人を運ぶ、荷物を運ぶ、ゆっくり歩く、ゆっくり生きている、ゆっくり反芻する、ゆっくり観察する。自分は「らくだ」だと思いました。背に乗せて運んできたのは、家族、苦しみ、孤独……。私が演じてきた役は孤独な人物が多かったですから。もちろん人との出会いもたくさん運んできました。
── 本作品で自分自身を表現します。他の誰かではなくて自分を演じることの難しさとは?
ジャン 演じる対象との距離についてどう思っているかをお話ししましょう。「距離」というのはある種の「鏡」です。今回は演出家のラディスラス・ショラーが私にとっての鏡のようなものになってくれています。「君は君が語る人間にならないといけない」とラディスラスに言われました。自分で書いた脚本ですから、私は始終、変えてしまいたくなるのですが、彼は「今書かれているテキストを君が表現することが根源的な演出だ」と言いました。彼は、実際に生きてきた人間と俳優の間を取り持ってくれたのです。
── 特に人生の中で影響を与えた作品、演じた人物は?
ジャン どれか一つ挙げるのは難しいですね。特にこれというのは言えません。父が子供たちに対する愛情で優劣をつけられないのと同じです。この役が影響を与えましたと答えるのは俳優として傲慢なことだと思います。その役をよく演じられたと思うからそう答えてしまうわけですから。今日誰かを演じて明日また違う人を演じるのが俳優の仕事です。もし過去の役が自分の中に残っていたら、「俺のことは放っておいてくれ。あっちに行けよ」と思います(笑)。

── あなたはリュック・ベッソン監督のお気に入り俳優で、ベッソン監督の代表作にはいつもあなたが出演しています。ベッソン監督はあなたにとってどのような存在ですか。
ジャン 彼は私の中に可能性を見出してくれた人です。彼の映画と共に私は世界に進出することができました。お互い離れて暮らしているからいつも会うわけではないですが、いつでもよき友人ですよ。
25年以上、愛着を感じている日本への特別な思い
── 本作品で東京だけでなく、地方11都市を巡ります。どんな気持ちでしょうか。また、日本国内でこれまで行ったところで好きな都市はどこですか。
ジャン まず日本に来られたことがうれしいし、今回11都市を回りますが、24都市に増やしたいくらいです! より長く日本にいられるように。
これまで行ったところで印象に残っているのは、京都と富山。京都が大好きです。それに、日本酒がうまいから富山が好きです。
── この25年で日本は変わったと思いますが、日本の変わらない良さがありますか。
ジャン 日本の皆さんの優しさ、いつも受け入れて歓迎してくれて、他者をリスペクトする気持ちは、25年前と変わらないと思います。世界をたくさん旅したけれど、日本はそうした教育面など、変わらずにいると思います。
── 今後はこの公演を海外でも開催する予定ですか。
ジャン もちろん! 観客がいる限り、この公演を世界で行い、旅を続ける予定です。

私は嘘が嫌い。複数の女性と一度に付き合うことはできない
── あなたが若い時から、「こんな男になりたい」と憧れてきた男性像はありますか。 今、自分はそのイメージに近づけたと思いますか。
ジャン そのような男性像はないですね。ヒーローみたいな存在は特にいませんでした。私にはできないことがありますし、やらなかったことがあります。ダルタニアン、ヴィクトル・ユーゴー、レオンといった特定の人物に憧れたわけではありません。その時現実に一緒にいる人と生きるのが自分の流儀です。
私は嘘が嫌いです。複数の女性と一度に付き合うこともできませんし、したこともありません。私の友人にはそういう人たちがいますよ(笑)。ブラボー! でも私にはできない。毎晩酔っ払いませんし、ドラッグもしません。(憧れの人がいなくても)そうやって私は日々うまくいっているわけです。
── では、あなたの理想の女性像は?
ジャン それは妻のゾフィアです。私は2回離婚を経験しました。私にとって失敗した2回の結婚生活は「疑問」ばかりでした。どうして彼女は私のありのままを望まないのか、どうしてうまくいかないのか、どうしてお互いに喧嘩ばかりしているのか。どうして、どうして、どうして! ゾフィアとはこうした疑問が一切ないんです。
私が「ゾフィアは私の人生の女性(運命の伴侶)だよ」というと、友人は「彼女は君の死の女性(死ぬまで愛し続ける女性)だよ」と言います。どうして妻が好きなのか、どこが好きということは説明できません。つまりすべてを愛していると言うことです。

▲ 取材現場にはジローラモも駆けつけ、LEONの表紙撮影も行った。ジャン・レノ×ジローラモの表紙のLEONは5月25日発売(7月号)。乞うご期待!
生まれ変わってもジャン・レノになりたい!
── 表現者として感性を保つために心がけていることはありますか。例えば何かに挑戦するなど。
ジャン 感性を保っていると言うのは生まれ持った性質です。苦労してするものではありません。したことがないことにチャレンジして保てるかと言えばそれとは違うと思います。
いつも同じことばかりしている俳優もいます。私はコメディやったり、ピアノ弾いたり、いろいろ違うことをするのが好きなんです。最大限、人を演じることが私の仕事ですから。しかし、それは果たしてチャレンジでしょうか。確かではありません。問題は、それが観客に気に入ってもらえるかどうかです。
何かしてうまく行ったら「いいぞ!」、うまくいかなかったら「クソッ! だめだ」と思う。結果を考えながら行動することはできないのです。
── もう一度生まれ変わってもジャン・レノになりたいですか?
ジャン もちろんです! ジャン・レノ以上にジャンになりたいですね。他の誰かになりたいなんて考えたこともありません。私は私でいることに満足していますからね。

▲ 記者会見に登壇した『らくだ』の演出家ラディスラス・ショラー(左)とジャン・レノ(中)、ピアノ担当のパブロ・ランティ(右)。

● Jean Reno(ジャン・レノ)
1948年スペイン人の両親のもとモロッコ・カサブランカに生まれ、以後、フランスで育つ。舞台俳優としてキャリアをスタートし、映画監督リュック・ベッソンとの出会いで世界的に知られるようになる。代表作はベッソン監督との共作『グラン・ブルー』『ニキータ』『レオン』のほか、『WASABI』『ミッション:インポッシブル』『RONIN』『GODZILLA ゴジラ』。

ジャン・レノ ソロパフォーマンス『らくだ』
名優ジャン・レノによる自叙伝的な舞台。自身が、脚本を書き、舞台で語り、演じ、歌う。表現されるのは、役柄ではなく、ジャン・レノその人の半生。リュック・ベッソン、ロバート・デ・ニーロなど、彼の人生に影響を与えた出会い、出来事を音楽と物語で鮮やかに描き出す。7歳、10代、演じることを夢見ている若い時代など、複数形のジャン・レノが自身により体現される。8曲の楽曲が芝居にリズムを与え、漫画のような演出もあり、笑いと悲哀あるミュージカルのような仕上がりとなっている。
作/ジャン・レノ
演出/ラディスラス・ショラー
ピアノ/パブロ・ランティ
フランス語上演・日本語字幕付き
5月10日〜5月24日
東京芸術劇場シアターウエスト
https://www.jeanreno-rakuda.jp
他、富山、兵庫、静岡、宮城、石川、高知、福岡、山口、京都、愛知、岡山にて公演。
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