2026.06.28
運転歴70年、走行距離250万キロのレジェンドジャーナリストがいま振り返る刺激的なドライブ
2017年6月から始まった本連載。おかげさまで気づけば9年に亘る長期連載となりましたが、今回でついに最終回。日本自動車界を牽引し続けた著者が、運転歴70年、走行距離250万キロの運転人生を振り返ります!
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イラスト/溝呂木 陽 編集/高橋 大(atelier vie)
岡崎宏司の「クルマ備忘録」連載 第284回(最終回)
免許証取得以来70年、、世界を走り続けた「僕のクルマ人生は、ほんとうに素晴らしいものでした!!!」

16歳で運転免許証をとってから86歳になった現在まで、、たぶん、250万キロくらいは走っているでしょう。
ほんとうによく走ったものだと思います。
そんな僕のクルマ人生を軸にしたこの連載も、そろそろ300回に近くなろうとしていますが、よく書いたものだと思います。
これだけの長期連載が続けられたのは、ひとえに読者の皆様の強いご支持があってのことであり、ここに改めて深く感謝いたします。
僕としても、まだ続けたい気持ちはあるし、編集部からも「続けてほしい」旨のありがたいお言葉をいただいています。
でもこの4月、「85歳を超えた」時から、「お前、そろそろ退け時だぞ!」という心の声が強くなり、今回の決断に至りました。
「まだ書ける」「まだ書きたい」という気持ちはむろんあリます。いや、あるというよりも、「強い」と言った方が正しいでしょう。
でもその一方で、「気持ちのいい引き際」への拘りもまた強かったのかもしれません。
加えて、「どうしても書きたい‼」と思ったテーマがあったら、「いつでも書いてください。大歓迎です!」と言ってくださる出版社も何社もあります。
そうした支えも、今回の決断をさせてくれた大きな力になってくれたのだと思います。つくづくありがたいことだと思っています。
そもそも、Web LEONの連載は「軽い気持ち」で始めました。LEON本誌とは創刊時からの付き合いで、クルマを中心とした重要な記事を担当しました。
ファッション関係にも手を延ばし、ミラノ、パリ、ロンドン、、、といったところでの最新のトレンドをピックアップ。LEONの読者にいち早く伝えたりもしました。
そんな繋がりがあったので、Web LEON創刊時にもお手伝いすることになったのですが、初めの話は「ごく短期間の創刊サポート」といった軽いものでした。
なので、僕も、数カ月から半年くらいのお手伝いをするつもりで、気軽に受けたのです。
ところが、、みなさまもご承知のように、結果はまったく違うものになリました。月2回の連載は、そろそろ300回に近いところにまで来ています。
1回分の字数は4000字前後。なので、それに300をかけると、400字の原稿用紙換算で3000枚(120万字)くらいのボリュームに、、。これを新書換算にしてみると、ざっと120冊分⁉ といったところになります。
月2回という余裕のある連載なので、きついと思ったことはありません。でも、改めてこうした計算をしてみると、ちょっと驚きます。
でも、大好きなクルマ、大好きな旅、大好きなアドベンチャー、、世界を舞台にしたさまざまな体験を、出来事を思い出しながら、文字にしてゆくのはとても楽しい作業でした。
僕の仕事の集大成というか、人生の集大成というか、、そんな記事を、自由に、気ままに、楽しく書かせてくださった出版社、そして、それを「楽しく読んでくださった⁉」読者のみなさまには、ただただ感謝の気持ちしかありません。
先日も投稿した通り、この4月に86歳になった僕ですが、運転免許証は更新しました。
そして、日々、自分の身体と心としっかり対話をしながら、運転を続けています。
「運転するのは自分のクルマだけ」、「夜は運転しない」、「長時間運転はしない」、、といったルールも作り、守っています。
未だに、友人知人たちがいろいろなクルマでよく遊びに来てくれますが、僕は助手席に乗ることを守っています。
当然、自分でステアリングを握ってみたいクルマも少なくありません。でも、そこはじっと堪え、助手席で楽しんでいます。
助手席といえば、F1ドライバーや、WRCのチャンピオンをはじめ、歴史に大きくその名を残しているような名手たちの助手席にもずいぶん乗っています。
その一つひとつが、僕の宝物として、僕の宝石として、僕の脳裏で輝き続けています。
名車を生み出した、多くのエンジニアやデザイナーとの思い出にしても同じ。世界の自動車産業を牽引した偉大な経営者の多くと深い話ができたことも、何物にも変え難い僕の貴重な財産です。
日本車の開発には、1970年代からつい数年前まで、多く深く関わらせていただきましたが、欧州車やアメリカ車の開発にもまた、少なからず関わらせていただきました。
欧州メーカーの著名な経営者であり、同時に優れた技術者でもあった方の、スペシャルチューニングを施した「プライベートカー」の評価を依頼されたことなども、この上ない喜びであり、名誉なことでした。
クルマを評価評論するジャーナリストとしての仕事の他に、僕にはもうひとつ、大切にしてきたことがありました。いや、「大切に、、」というよりも「好きだったこと」と言った方が合っているでしょう。
それは「旅」です。この連載でも旅をテーマにした記事は多く書きました。なかでも、「クルマでのチャレンジングな旅」は、僕の「貴重な足跡」のひとつだと思っています。
もっとも厳しく過酷だったのは、「ロンドン~シドニー 3万キロ ラリー」でしたが、この過酷なイベントのあれこれは、かなり小さなことまで、今も鮮明に覚えています。
なかでも厳しかったのはオーストラリア砂漠地帯の走行でしたが、その過酷さに惹かれて、僕はその後2度、オーストラリア砂漠地帯へのドライブにチャレンジしています。
メキシコ、バハ半島の荒地を1000マイル走るレースにも参加。ただひたすら突っ走るオフロードレースは、残念ながら、クルマ破損によるリタイヤで終わリました。
でも、僕はコースの下見と、コースマップ作りのためにも走っているので、過酷なバハをたっぷり味わっています。
当時のバハ1000の完走率は30〜55%だったとされますが、僕には素直に納得できます。
アラスカのフェアバンクスから、カナダ経由でLAまで走ったドライブも忘れられません。特に過酷なことはありませんでしたが、広大な自然の懐を走る毎日は最高でした。
LA~NYの往復は気楽な旅でした。、、が、そうした経験ができたことは、当然、大切な思い出になっています。
バルセロナを出発。欧州を縦断してノルウェイに入り、オスロからベルゲンまで走った旅も忘れられません。
ミュンヘンを出てベニスに寄り、フィレンツェを楽しんでミュンヘンまで戻る家族旅行もまた、忘れられない旅のひとつです。
上記の「家族旅行」とは、家内と息子の3人での旅を指しますが、5回行っています。
家内と二人の初めての旅は1970年代初期でしたが、80年代半ば頃からは、年に1~2度が恒例になりました。僕の旅は当然「ぶっ飛び系」が多かったわけですが、家内との旅は「のんびり系」に徹しました。
フィンランドで行われたWBCの1000湖ラリー(1975年)を、ヘリコプターで追うという忘れ難い体験もしています。
ヘリのパイロットはフィンランドでは名の知れたラリードライバーだったという方で、面白い場面を、「ヤバイんじゃないか‼」と思うほどの超低空飛行で見せてくれました。
そしてその翌日には、優勝ドライバー、ハンヌミッコラのサイドシートで、1000湖ラリーのコースの一部を走るという名誉な経験もしました。ハンヌ ミッコラは、多分、全開の90%くらいでは走ってくれたと思います。
ラリー ドライバーといえば、ラウノ アルトーネン、ワルター ロールなどのサイドシートにも乗っています。
F1ドライバー、ジルヴィルヌーヴのドライブするフェラーリのサイドシートで、派手なスピンを味わったのも自慢に値する経験です。
思いつくままいろいろな思い出を綴ってきましたが、どれもみな「素晴らしい体験‼」ばかりです。
僕はほんとうに恵まれた自動車ジャーナリスト人生を送ってきたとつくづく思います。
そして、そんな貴重な体験を、物書き人生の最終章になったWeb LEONで書かせていただき、みなさまに読んでいただけたことは、ただただ感謝のひと言に尽きます。
「ほんとうに、ほんとうに、ありがとうございました!!!」













