2026.06.14
意外に知られていない!? デイムラー ダブルシックスの魅力と実力
小型車ばかり乗り継いできた筆者が生涯で唯一愛車に迎えた大型サルーンが、デイムラー ダブルシックス。なんとサーキットでの全開走行もしたことがあるといいます。なぜデイムラー ダブルシックスだけが選ばれたのか? その理由と、思い出をあらためて語り尽くします。
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イラスト/溝呂木 陽 編集/高橋 大(atelier vie)
岡崎宏司の「クルマ備忘録」連載 第283回
生涯で唯一所有した大型サルーン、、デイムラーダブルシックスの思い出‼

もう何回も言っているが、僕も家内もクルマはコンパクト系が好き。なので、大きなクルマを持ったのはたった2台だけ。
1台は1957年の華やかな2ドア ハードトップ車「デソート ファイアスイープ」、そしてもう1台は、かの、サーウィリアム ライオンズが遺したデイムラー ダブルシックス。
正確に言えば、デイムラーダブルシックス(シリーズⅢ)は1991年モデルと1993年モデルの2台を所有しだが、デザインもスペックも基本は共通である。
強いて言えば、最終の1993年モデルは、カタログには出ないような、細部の熟成が行われているのが違いと言えば言えるだろう。
が、この、「カタログには出ないような違い、、細部の熟成」は、目には見えないし、データーにも出ないが、大きな違いだった。
なにが大きく違ったのかというと、目には見えない部分、、そう、信頼性だ。
デイムラーダブルシックスのエレガントな佇まいと贅沢なスペックには多くの熱心な愛好家がいた。いくら故障が多発しようが、そんなことなど気にもしないような人が多かったということである。
いや、気にもしないというより「故障の多さを自慢し合うような」、、いささか病的とさえ言ってもいいような、深い「ダブルシックス愛⁉」を持つ人が少なからずいた。
そう、「俺のダブルシックス、年に半分以上は修理工場でお休みしてるんだよ!」とか、「去年1年の整備代は〇〇万円かかったよ!」とか、、そんなことを自慢のタネにして盛り上がるのだ。
しかし、僕のダブルシックスはかなり良くなっていた。1台目は1991年モデルだったが、故障率は大幅に下がっていた。
故障するのは当たり前のこととして受け容れる覚悟で手に入れた。ところが、予測はうれしい方に外れ、ほとんど故障しなかった。
それまでのダブルシックス愛好者と同じく、僕も倒錯者⁉の仲間入りを覚悟していたのだが、そうはならなかったということだ。
つまり、あっちこっち次々と故障して、しょっちゅうデーラーに通って、仲のいいセールス担当者と雑談を楽しんで、、そんなことを想像していたのに、、予想は外れた。
常識的にはラッキーだったというべきなのだが、、なぜか、ちょっと肩透かしを喰ったというか、なんとなく寂しいというか、不思議な気持ちだった。
「これだけトラブルが起こらないと、なんとなく寂しい気もしますね、、笑」とはセールス担当の言葉だが、僕も「そうですよね」と返した。
「もっと頻繁にお会いして、楽しいおしゃべりができるとばかり思っていたので、確かにちょっと寂しいですよね、、笑」と相槌を打ったのだ。
ふつう、購入者とセールス担当者との間で、こんな会話が楽しく交わせるなんてありえないこと。、、だが、デイムラーダブルシックスの存在感はそれほど特別なものだったということなのだろう。
メルセデスの上級モデルのオーナーだって、こんな大らかな気持ちにはなれないだろうし、RRのオーナーだって同じだろう。
具体的には言えないが、デイムラーダブルシックスには、なにか特別なオーラ的なものがあったのだろう。いやきっとそうだ。
サー ウィリアム ライオンズの遺産に、なんとも言えない「特別なオーラ」を感じとる人は少なくないはずだ。僕の周りにも少なからずいたし、今もいる。
僕が、デイムラーダブルシックスに強く惹かれた理由はいくつもある。が、まずは、サー ウィリアム ライオンズの作品であること。
基本を共有するジャガー XJ12でもいいが、デイムラーのマスクにすると、不思議なことに風格が一段と上がる。加えて「V12」と名付けず、「ダブルシックス」と名付けたことで、さらに格が押し上げられている。
呼び名とマスクの違いだけで、ジャガー XJ12とデイムラー ダブルシックスは、見事に別世界に棲むクルマになっている。
そういえば、ロンドン辺りでも、ジャガー XJ12とデイムラー ダブルシックスでは、乗っている人の様相はかなり異なっていた。
家内が、一人では絶対にダブルシックスに乗らなかったことは前にも触れたが、その理由は「自分にはまったく馴染まない高い格式に引いてしまった」ことにある。
「絶対に借り物にしか見えない」というのが口癖で、僕と一緒の時以外は一度も乗ったことがない。
納車時に1度だけ運転したが、難なく運転できたし、大きいからとか運転しにくいとかいうことはまったくないことはわかっていた。
当時のわが家のもう1台のクルマはポルシェ 964。家内のお気に入りだったので、家内が一人で出かける時は必ずポルシェを譲った。
でも、かといって、家内がデイムラーダブルシックスを嫌っていたわけではない。
「すごくいいクルマねぇ! 自分ひとりで乗るのは照れ臭くて無理だけど、あなたの横に乗っている時は最高にいい気分よ!」と言ってくれた。
元々英国車のインテリアは好きだったが、デイムラーダブルシックスのそれは文句なし。
ウォールナット、、特に、ダッシュボードやドアパネルにあしらわれた美しい木目のバーウォールナットと、これまたとても上質なレザーで包まれたインテリアは贅沢そのものだった。
落ち着けない類の贅沢さではないのもうれしかった。細いグリップのステアリングホイールもシンプルながら、美しく、そしてエレガントだった。
デイムラーダブルシックスは、5.3ℓのV12を積んでいるのだから、むろん、性能にも抜きん出たものを持っていた。
でも、僕は余程のことでもない限り、飛ばすことはなかった。いつも流れに乗って淡々と走った。それが、デイムラーダブルシックスにふさわしい走りだと思っていたからだ。
停止中のアイドリングにも強く惹き込まれた。「静謐な生命感!」とでも言えばいいのだろうか、、その鼓動感は、他では味わいようのないものだった。
ただし、91年モデルの燃費には首を傾げざるをえなかった。ほとんどアクセルを深く踏みこまないような走りでも、45ℓ× 2=90ℓのガソリンタンクはすぐ空になった。
燃費は平均で3.5~4km/ℓくらい。ちょっと条件が悪くなると3km/ℓを切った。だから、90ℓタンクを1日に2度給油しなければならないこともあった。
この燃費の話もまた、倒錯者たちの間では、大笑いしながらの自慢話の一つになったものだ。しかし、僕が2台目に乗った93年モデル(最終モデル)では、5~6km/ℓへと大きく改善されていた。
上記のように、デイムラーダブルシックスで飛ばすことは滅多になかった。粛々とまではいわないまでも、日常のほとんどを、流れに乗って淡々と走った。
でも、1度だけ全開で走ったことがある。これも以前に書いたかもしれないが、仕事で筑波サーキットに行った時のことだ。
仕事が終わって少し時間があったので、なんとなく、「一度、ダブルシックスを全開で走らせてみたいな!」という気になったのだ。
当然、徐々にペースを上げていったのだが、走り出してすぐに、「これはかなりいけそうだ‼」という感覚が持てた。
その感覚は間違っていなかった。1.9トンを超える超ヘビー級ながら、身のこなしに重苦しさや、怖さにつながるような違和感はなく、ドライバーのイメージをほぼ正確にトレースしてくれた。
僕は無理無茶は絶対にしないと決めていたので、できるだけ速く走ろうとはしたが、同時に、すべての操作は滑らかに丁寧に走った。
徐々にペースを上げてゆき、5ラップほど走ったかと思うが、「もう少しいける!」というところでアタックを止めた。
ピットに戻るとみんなが、ちょっと興奮したような笑顔で迎えてくれた。その雰囲気で、「いいタイムが出た」ことはすぐわかった。
残念ながらタイムは覚えていない。 だが、市販車そのままのヘビー級大型サルーンとしては、ちょっと驚くようなタイムだったことは記憶に残っている。
1964年、イギリスに行った時RRを訪ね、シルバークラウドⅢでシルバーストーンを走らせてもらえたハッピーな話はすでにした。
あの時、「RRがサーキットでこんなに速く走れるんだ‼」と驚いたが、それと同じような感覚と驚きをデイムラー ダブルシックスでも体験したことになる。
僕の生涯で、唯一所有した大型ラグジュアリーサルーンが遺してくれた思い出は、貴重な宝物ばかりだ!













