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2017.06.29

江戸の花火は婚活だった?意外と知らない花火の歴史

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監修・写真/冴木一馬(ハナビスト)
文/岩佐史絵

次の花火が打ち上がるまで45分もかかっていた?!

夏の風物詩、花火。漆黒の夜空をあやしく彩る光の祭典は、恋が芽生える絶好のチャンス!そう思っていたのはなにも平成男だけではありません。全国津々浦々で開催される花火大会に女性をお誘いしたら、さりげなくウンチクや歴史も語って花火をめいっぱい楽しんで頂く。

はい、それが大人の余裕というものでしょう!

……がしかし、問題は花火が始まるまでのあの“間”。多くの場合、花火大会では混雑を避ける意味でも前乗りするのが当たり前。早めに着いちゃったけど、花火開始まであと何分!? そんなやきもきした気持ちをうまく利用したのは江戸の男たちも同じです。
提供:アフロ
提供:アフロ

 江戸時代、花火は1つ1つを揚げるのにいちいち打ち上げ筒を倒して掃除して、また火薬を詰めなおし……という作業をしてから2発目が揚がる、それが当たり前。

1発目から2発目の花火が揚がるまでの間は45分ほどもあったのだといい、その間に居合わせた男女が仲睦まじくなることもままあったそう。

文久(1860年)の頃に読まれた歌にも「上がる龍勢 星下り 玉屋がとりもつ 縁かいな」というものがあるそうで、「龍勢(打ち上げ花火)を見るための夕刻に、花火師(玉屋)さんが運よくこの仲を取り持ってくれたなぁ」という、男性の気持ちが込められています。

つまり当時は花火大会が男女の出会いのきっかけであって、婚活目的で訪れる人も少なくなかったと思われます。

とはいえ、45分間も間をもたせ、彼女の気持ちをつかむには気の利いた会話のひとつもできなければ。前置きが長くなりましたが、そんなとき、こんな話題はいかがでしょう。

不老不死の薬をつくろうとしたら「火薬」ができた?

日本では夏場だけでも4500にものぼる花火大会が全国で開催されており、花火といえば日本!というくらい、日本のお家芸のようになっていますが、日本で花火文化が花開いたのは意外と遅く、江戸時代になってから。
そもそも火薬が日本に入ってきたのが戦国時代の後期、天文12年(1543)のこと。そう、種子島に流れ着いたポルトガル人によってもたらされた火縄銃に入っていたもので、国産の火器を作るために火薬を輸入しはじめたことから、主に武士によって利用されてきました。

火薬自体は秦の始皇帝の時代、紀元前200年ごろに不老不死の薬を作る錬丹術のなかで偶然に硝石が発見されたことによって、中国では作られるようになっていたのに、日本に伝わったのが遅いのが不思議。まぁ、火薬は武器としても使用できるものだったので、お隣の国にそんなものを気軽に渡すわけない、といえばそうかもしれません。

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三河の鉄砲隊が最初の花火をつくった?

三河の鉄砲隊が最初の花火をつくった?

火薬は中国で作られたあと、シルクロードを経てヨーロッパに伝えられます。

もちろんここでも主に武器として利用されてきましたが、戦勝パレードなどでも祝砲として楽しむ文化がでてきており、日本に火薬が伝わった16世紀半ばまでには英国でも王族の結婚式などで花火が披露されたことが記録されています。

関係ありませんが、シルクロードの途中、中東にも火薬はもたらされたはずなのに中東に花火が根づかなかったのは、石油があるので火薬自体の需要がそれほどなかったからだそう。なるほど。
さておき。このように、かなり花火に関してはだいぶ後れをとった日本でしたが、慶長18(1613)年、唐人によって徳川家康に花火が披露されたときにコトは起こります。

傍らにひかえていた三河(今の愛知県)の鉄砲隊がそれを見ており、故郷に帰って花火を作ったのです。これが日本初めての鑑賞用花火といわれ、三河が花火発祥の地とされるのもそれゆえです。

こうして国産花火が誕生し、時は戦もなく平和な江戸時代。もっぱら武器として使用されてきた火薬は優美なお遊びの花火に姿を変え、江戸中にブームを巻き起こします。なにしろ電灯もない時代。夜の闇を切り裂きぱっとあたりを明るく照らす花火はさぞや魅力的だったことでしょう。

ですが、当時のお江戸は木造家屋ばかり。花火が原因の火事も頻発し、何度となく「町なかでやっちゃいけないよ」というおふれが出たそう。慶安元(1648)年には初の花火禁止令まで出たというので、江戸っ子たちがどれだけ花火をやりまくったか、想像に難くありません。

江戸の旦那衆は水面に映る花火を肴に呑んでいた?

このころの花火は噴出し式で、花火師が手で持ってそれを囲んで鑑賞するのが一般的。現在のような打ち上げ式の花火が登場するのはもう少しあとのお話です。

当時の楽しみ方としては、大川(現在の隅田川)を行き来する納涼船の合間を花火師の乗った花火船が行き交い、お客の注文に応じてその都度花火を披露したり、「宵越しの金はもたねぇぜ」の江戸っ子ですから、その日に稼いだ賃金で飲み食いしたら、余ったお金をみんなで集めて花火を揚げてもらったり。
もちろん、花火は女性を惹きつけるための小道具でもあり、屋形船に芸者を伴って乗り込んで花火を揚げさせ、女性たちを喜ばせる旦那も多かったもの。旦那たちは粋なもので、直接花火を見上げるのではなく水面に映る花火を肴に呑んだのだそうですよ。

日本で花火ができてから約400年。花火大会の人出を見ていると、花火に熱狂するのは今も昔も変わらないんだなぁ、と思いませんか? これってもはや日本人のDNAのせいにちがいありません。

●冴木一馬

写真家。世界を股にかけ花火を撮り続けて30年。撮影だけでなく、花火の歴史や民俗文化をも調査・研究し、花火のことならなんでもござれ、花火師の資格まで有する日本唯一の“ハナビスト”。山形県出身。

写真集『花火』光村推古書院刊

A4判 オールカラー96頁
ソフトカバー 本体2400円
ワンシャッター、多重露出をおこなわず、花火本来の姿をとらえることにこだわりぬいたハナビスト冴木一馬による花火写真集。

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