• TOP
  • LIFESTYLE
  • ラグジュアリーの本質を見失ったイタリアの「コーヒー文化」を憂う!

2026.02.28

【第41回】

ラグジュアリーの本質を見失ったイタリアの「コーヒー文化」を憂う!

イタリア生まれのフード&ライフスタイルライター、マッシさん。世界が急速に繋がって、広い視野が求められるこの時代に、日本人とはちょっと違う視点で日本と世界の食に関する文化や習慣、メニューなどについて考える連載です。

CREDIT :

写真/スガイ マッシミリアーノ 編集/森本 泉(Web LEON)

イタリアのコーヒーのクオリティが見るも無惨に劣化している⁉

「サイゼリヤの完全攻略マニュアル」(note)でおなじみのマッシさんが、今回は深刻な危機に瀕していると指摘されているイタリアのバール文化についてお話しします。

massi   マッシ 思考する食欲 エスプレッソ
PAGE 2

読者のみなさんは、イタリアの街角にある「バール」と聞いて、何を想像されるだろうか。大理石のカウンター、銀色に輝くエスプレッソマシン、そして流れるような手さばきでカップを差し出すバリスタ。そこは、実は僕たちイタリア人にとって「コーヒーを飲む場所」ではない。朝、仕事へ向かう前のスイッチであり、昼下がりの社交場であり、人生の喜びも悲しみも分かち合う、いわば街の「リビングルーム」なんだ。

しかし今、このイタリアの象徴ともいえるバール文化が、かつてない深刻な危機に瀕している。イタリア食文化の最高権威のひとつである「ガンベロ・ロッソ」(※)が突きつけた衝撃的なリポート。それは、僕たちイタリア人が長年「世界一」だと疑わなかったコーヒーのクオリティが、実は見るも無惨に劣化しているという、耳の痛い警告だった。


今回は、一人のイタリア人として、そして食を愛する文筆家として、この問題の深層をLEON読者のみなさんと共に考えてみたいと思う。これは単なる飲み物の話ではなく、僕たちが「豊かさ」をどう定義するかという、美学の問題なのだ。

※「ガンベロ・ロッソ」はイタリアで最も有名なグルメガイド本。出版社の名前でもあり、各種グルメ本の出版の他グルメ番組を放送するテレビ局も運営する。

PAGE 3
massi   マッシ 思考する食欲 イタリア人にとってコーヒーを飲むことは、まるで息をするように自然な行為。

▲ イタリア人にとってコーヒーを飲むことは、まるで息をするように自然な行為。

酸敗した油の臭い漂う一杯が平然と提供されている

イタリアのバールには、長らく「エスプレッソ一杯=約1ユーロ(150〜180円程度)」という、鉄の掟のような相場観があった。イタリア人にとってエスプレッソは「基本的人権」のようなものであり、安価で提供されるのが当たり前。政府や自治体が価格を統制していた時代もあったけど、自由化された今でも、1ユーロの壁を超えることは、客を失う恐怖と隣り合わせの、非常に勇気のいる決断だ。


しかし、冷静に考えてみてほしい。世界的にコーヒー豆の価格が高騰し、光熱費も人件費も上がっている。そんななかで、数十年前と同じ「1ユーロ」を維持しようとすれば、どこにしわ寄せがいくだろう? 答えは、豆の質だ。

多くのバールが、コストを抑えるために安価な「ロブスタ種」に依存するようになった。


ロブスタ種は病気や害虫、高温多湿に強く、栽培が簡単で安価だ。その一方で、コーヒーの渋みや苦味が強く、酸味が弱い。「アラビカ種」のようなフルーティな香りもないが、焼けた麦のような香ばしさを感じる人もいるようだ。これを「イタリアン・ロースト」と称して真っ黒に焦がし、砂糖をたっぷりと入れて「苦くて濃いのが本物のエスプレッソだ」と思い込ませる。それが、イタリアの多くのバールの現状だ。

でもこれは、ファッションでいえば、粗悪な合成繊維を、派手なブランドロゴと過剰な加工で誤魔化して売っているようなもの。LEONを愛読するみなさんのような「本物」を知る男たちが、最も嫌う行為ではないだろうか。

PAGE 4
massi   マッシ 思考する食欲 僕もどんなに忙しくてもバールでエスプレッソを立ち飲みすることは欠かさなかった。

▲ 僕もどんなに忙しくてもバールでエスプレッソを立ち飲みすることは欠かさなかった。

ガンベロ・ロッソの告発は、豆の質だけにとどまらない。さらに深刻なのは、バリスタの「技術」と「衛生」の欠如。美味しいエスプレッソを淹れるためには、厳格なルールがある。豆の挽き具合を湿度に合わせて調整し、抽出時間を1秒単位で管理する。そして何より重要なのが、マシンの清掃だ。


でも、多くのバールでは、ホルダーにこびりついた古いコーヒーの粉をそのままに、次の一杯を淹れてしまう。スチームノズルには牛乳のカスが固着し、マシン内部の温度管理も疎かになっている。ガンベロ・ロッソの調査員たちは、酸敗した油の臭い漂う一杯が、「本場イタリアのエスプレッソ」として平然と提供されている事実に愕然としたのだ。

PAGE 5
イタリア人は皆、甘いものが大好き。コーヒーに甘いものは欠かせない。

▲ イタリア人は皆、甘いものが大好き。コーヒーに甘いものは欠かせない。

日本では対価に見合う、圧倒的なクオリティと体験を提供

ここで少し視点を変えて、僕が住む日本に目を向けてみよう。イタリア人である僕が、日本に来て最も感動したことのひとつが、喫茶店やカフェにおけるコーヒーへの「異常なまでの執着」だ。一杯のコーヒーのために豆の産地を選び、精製方法を吟味し、お湯の温度を1度単位で測り、丁寧にネルドリップする。あの静寂の時間はイタリアの騒がしいバールとは正反対だけど、そこには間違いなくコーヒーに対する深い敬意がある。


最近の日本のスペシャルティコーヒーの盛り上がりは、コーヒーをただの飲み物ではなく、ワインのようにテロワールを楽しむ文化へと昇華させた。


皮肉なことに、今のイタリアが見失いかけている「素材の声を聴く」という姿勢を、日本のバリスタたちは体現しているのだ。「1ユーロ」という価格に縛られず、一杯500円、お店によっては1000円という対価に見合う、圧倒的なクオリティと体験を提供しようとしている。


これこそが「ラグジュアリー」の本質ではないだろうか。高いからラグジュアリーなのではなく、そこに「最高の体験を提供しようとする意志」があるからこそ、僕たちは喜んでその対価を払うのだ。

PAGE 6
どこの町にもこんなバールがあってイタリア人の人生を豊かにしてくれている。

▲ どこの町にもこんなバールがあってイタリア人の人生を豊かにしてくれている。

イタリアの誇りを取り戻すには作り手たちの意識改革が必要

もちろん、僕はイタリアのバールを否定したいわけではない。むしろ、愛しているからこそ、怒り、そして悲しんでいる。イタリアのバールは劇場だ。朝、顔なじみのバリスタと「昨日の試合の判定は酷かったな」「奥さんの機嫌はどうだい?」なんて言葉を交わしながら、くいっと一杯ひっかける。あの数分間の儀式が、僕たちイタリア人の人生をどれほど豊かにしてくれているか。


もし、その中心にあるコーヒーが質の低いものになってしまえば、その会話も、その場の空気も、どこか空虚なものになってしまう。

今、イタリアの志ある一部のバリスタたちは、立ち上がり始めている。1ユーロの呪縛を断ち切り、一杯2ユーロ、3ユーロをチャージする代わりに、最高のスペシャルティコーヒーと洗練された知識、そして清潔な環境を提供する。客に対して「なぜこのコーヒーはこの値段なのか」をロジカルに、かつ情熱的に語る。


こうした意識改革こそが、イタリアの誇りを取り戻す唯一の道だと僕は信じている。

PAGE 7
 僕がよく行く日本のカフェではコーヒーに対する深い敬意を感じる。

▲ 僕がよく行く日本のカフェではコーヒーに対する深い敬意を感じる。

読者のみなさん、僕たち大人には、世界をより良くする「選択の力」がある。安いから選ぶ、なんとなく有名だから選ぶ。そんな受動的な消費は、もう卒業しよう。食も、ファッションも、ライフスタイルも、その背後にあるストーリーや哲学を感じ取り、自分の審美眼にかなったものに投資する。


次にコーヒーを飲む時、ぜひそのカップの中をじっくり観察してみてほしい。クレマの色はどうか、香りに透明感はあるか、そして何より、淹れたてのバリスタの目には「情熱」が宿っているか。たとえそれがイタリアのバールであっても、東京の路地裏のカフェであっても、本物を見抜く力さえあれば、僕たちの人生はもっと彩られるはずだ。


イタリアのバールが再び、世界が憧れる「美学の聖地」へと戻ることを願いながら、近所のカフェで美味しいコーヒーを淹れてくれるオーナーと喋って、僕はまた日本のコーヒー文化へと恋に落ちていく。

PAGE 8
マッシ massi   webLEON イタリア人 思考する食欲

● マッシ  

本名はスガイ マッシミリアーノ。1983年、イタリア・ピエモンテ州生まれ。トリノ大学院文学部日本語学科を卒業し2007年から日本在住。日伊通訳者の経験を経てからフードとライフスタイルライターとして活動。書籍『イタリア人マッシがぶっとんだ、日本の神グルメ』(KADOKAWA)の他 、ヤマザキマリ著『貧乏ピッツァ』の書評など、雑誌の執筆・連載も多数。 日伊文化の違いの面白さ、日本食の魅力、食の美味しいアレンジなどをイタリア人の目線で執筆中。ロングセラー「サイゼリヤの完全攻略マニュアル」(note)は145万PV達成。
公式X

こちらの記事もいかがですか?

PAGE 9

登録無料! 買えるLEONの最新ニュースとイベント情報がメールで届く! 公式メルマガ

登録無料! 買えるLEONの最新ニュースとイベント情報がメールで届く! 公式メルマガ

この記事が気に入ったら「いいね!」しよう

Web LEONの最新ニュースをお届けします。

SPECIAL

    おすすめの記事

      SERIES:連載

      READ MORE

      買えるLEON

        ラグジュアリーの本質を見失ったイタリアの「コーヒー文化」を憂う! | ライフスタイル | LEON レオン オフィシャルWebサイト