2025.06.24
樋口毅宏『クワトロ・フォルマッジ -四人の殺し屋-』【第13話_2】
婦人警官のコスプレ。本物の制服だ
孤高のハードボイルド作家、樋口毅宏によるLEON初の連載小説『クワトロ・フォルマッジ -四人の殺し屋-』 。エロス&バイオレンス満載の危険な物語の【第13話 その2】を特別公開します。
- CREDIT :
文/樋口毅宏 写真/野口貴司(San・Drago) スタイリング/久 修一郎 ヘアメイク/勝間亮平 編集/森本 泉(Web LEON)
しかし作戦を練るべく集められた四人の前に突如現れた源氏首相は、特殊な能力で殺し屋たちを翻弄し、大きな痛手を与えると愉快そうに出ていくのだった。(これまでのストーリーはこちらから)

【21】 山田正義
私は足下にある僅かばかりの黄昏を眺めていた。
みゆき嬢はどこでもない空間に視線を泳がせ、虚脱状態で椅子に腰掛けている。
ヒロシは少し離れたところで腕を組み、無言のまま立っていた。
Shun君は彼が呼んだブラックジャックにそっくりな医者によって、顔の上半分に包帯を巻かれた。駆けつけてすぐにビニールテントを張り、簡易無菌室で手術を行ったが、すでに眼球は彼自身の手によって抉り出された後だった。医者はお手上げの態で帰った。
布団を持ってきて、躅子様の遺体をそこに寝かせた。安らかなお顔とはほど遠かった。苦しむだけ苦しんで死んだ人の見本のようだった。チャーミングで理知的な笑みはもう見られない。間に合わせの白い布を顔にかけた。
警察にも救急車にも連絡をしていない。躅子様のフィアンセである白冰冰はきょうから検査入院だ。永遠の愛を誓った人が突然先立ったことを伝えても、彼女がどこまで理解できるか。
官庁の職員が一日に数度、連絡を取りに来る。躅子様がすでに冷たくなったことを知ったら、私たちは後ろに手が回るだろう。

これでも中学生のときは、ハムレットを演じたんですよ
「金を払う前に依頼者が死んだ。仕事を続行するのは無駄。終わったからには帰る」
「俺はやるぜ」
ヒロシの返事は早かった。
「あんたバカなの? 知ってたけど」
ヒロシはその問いに答えなかった。自分でも知っているのだろう。
みゆき嬢は私のほうを見た。私は用意していた科白を口にした。
「私もやるよ。乗りかかった船だしね」
みゆきは私を冷たく睨んだ。ぞくっとする眼差しだった。
「後悔してるでしょう?」
私がここに来る前に、妻と娘を殺めたことを指しているのだ。
「自分まで死んだら、後悔することもできなくなるよ」
みゆきはもっともらしいことを口にした。私がどこぞの編集者だったら、
〝今日から使える簡単な名言集〟に入れてみたいと思った。
「後悔か……。それならもっと遡らなければいかんな。初めて殺しの仕事を引き受けたときまで」

「なおさらやな。もっと後悔してみたいと思う。こんな答えでええか」
みゆき嬢は目が見えない男のほうを振り向く。気配を感じて、包帯の男は話す。
「僕もやる」
みゆき嬢の軽蔑した眼差しを見られなかったことは、彼にとって得だったか、損だったか。
「Shun、あんたも源氏首相みたいに相手の目を見ただけで操れるような術が使えたらしいけど、それももう使えない。それどころかいまや足手纏いだよ」
「こうなったからには、こうなったなりの殺り方がある」
「あんた、自分で目玉を刳り貫いたんだよ? 痛くてそれどころじゃないでしょう?」
「さっき医者に麻酔を打ってもらった。当分の間は効くんじゃないかな」
私は思う。おそらく特攻とはこうした無謀さと、殉教するナルシズムとロマンチシズム、なおかつ断れない空気によって強行されてきたのだろうと。
みゆき嬢は腕を組みながら私たちを一睨した。
「やるなら予定通り、三月二十四日に? SPが大勢張り付くだろうけど」
「裏をかく」
Shun君の問いに、ヒロシは言い放った。
「やるならあしただ」
源氏は私たちに恐怖を植え付けていった。まさか昨日のきょう、私たちが逆襲するとは思わないだろう。とはいえ無謀さに拍車が掛かっている。

ヒロシは〝最後の伝説〟イタミ。Shunは石井晴子。みゆき嬢は夏田銀二。私は源氏首相。
「やらないって言ってるでしょ。バカみたい」
見識のある意見だった。ヒロシはみゆき嬢を見つめる。
「いや、おまえはやる。なぜか。おまえは殺し屋であることにプライドを持っているからだ。おまえがおまえである理由は、女だからじゃない。大金を稼ぐからでも、世界中を飛び回っているからでもない。おまえは依頼されたからには殺しを遂行する。そうしないと、おまえはおまえでいられない」
みゆき嬢はヒロシを一層睨み付ける。目から血が流れていないのが不思議だった。
「おそらく俺たち四人が会うのは、今夜が最後になるだろう」
ヒロシはそう言うと、コレクションボードから件の酒瓶と五つのグラスを引っ張り出してきた。それぞれのグラスに注ぐ。みゆきも渋々受け取った。
ひとつのグラスは、躅子様の枕元に置いた。
私たちはワインを呷った。別れの杯だった。
感傷の時間は長続きしなかった。
徳川邸にミサイルが撃ち込まれたからだ。
【22】 北村みゆき
深夜、源氏首相は緊急会見を開いて、躅子様の徳川邸を襲撃し、殺害したのは過激派によるものと断定。非常事態宣言を出した。旧家が爆撃されたことで警備員は増員された。
明けて昼。物々しい空気の中、国会は一分間の黙祷で始まった。容疑者が逮捕されるまで国民が喪に服すことが検討された。

おまえらが欣喜雀躍するのはこれからだ。
躅子様のファイルによると、夏田銀二は日本屈指の最高級愛人倶楽部の会員で、国会の後には必ず訪れて、女を好き放題に嬲るという。真性サディストの夏田は女を殴り、蹴り、これまで殺害に及んだこともある。すべて金で解決してきた。ましてや源氏首相がケツ持ちなのだ。事件化するわけがない。こいつは女の敵だ。男に生まれたことを後悔するほどの死を与えなければならない。
夏田の行き先が変更になることを恐れた。しかし奴を乗せた黒塗りの専用車は、迷うことなく港区にあるタワーマンションの一室に向かった。
夏田の顔を思い浮かべる。無生物のような眼。クレーターのような凹凸だらけの頬は醜穢そのもの。黒光りして、爬虫類のような細長い舌が見え隠れしそうだった。
SPを扉の外に立たせて、夏田は部屋に入ってきた。
奴のリクエストに応えて、私は婦人警官のコスプレを着ている。本物の制服だった。
「お待ちしておりました」
三つ指をついて私はお出迎えする。唇には瞬殺のリップクリーム。爪を立てただけで絶命するネイルもすでにスタンバイ完了だった。
なのに不用意だった。間髪を入れずに夏田はスタンガンを首元に押し当てた。私はばたりと倒れ込む。目を見開いたまま体が動かなくなった。
夏田は私を見下ろしながら、締めていたネクタイを解きだした。

● 樋口毅宏(ひぐち・たけひろ)
1971年、東京都豊島区雑司が谷生まれ。出版社勤務の後、2009年『さらば雑司ケ谷』で作家デビュー。11年『民宿雪国』で第24回山本周五郎賞候補および第2回山田風太郎賞候補、12年『テロルのすべて』で第14回大藪春彦賞候補に。著書に『日本のセックス』『二十五の瞳』『愛される資格』『東京パパ友ラブストーリー』『大江千里と渡辺美里って結婚するんだとばかり思ってた』など。妻は弁護士でタレントの三輪記子さん。最新刊『無法の世界』(KADOKAWA)が好評発売中。カバーイラストは江口寿史さん。
SNS/公式X