2025.06.23
樋口毅宏『クワトロ・フォルマッジ -四人の殺し屋-』【第13話_1】
おまえの野望はここまでだ
孤高のハードボイルド作家、樋口毅宏によるLEON初の連載小説『クワトロ・フォルマッジ -四人の殺し屋-』 。エロス&バイオレンス満載の危険な物語の【第13話 その1】を特別公開します。
- CREDIT :
文/樋口毅宏 写真/野口貴司(San・Drago) スタイリング/久 修一郎 ヘアメイク/勝間亮平 編集/森本 泉(Web LEON)
ヘリコプターの爆音に続き突如、四人の殺し屋の前に現れたのは命を狙っていたその人、源氏首相だった。自らの主張を得々としゃべり始めた源氏に四人は魔術にかかったかのように聞き入るしかなかった。(これまでのストーリーはこちらから)

【20】 北村みゆき 続き
「きょうは大サービスです。今後の私のプランを皆さんにお話ししましょう。これを聞いて頂ければ、皆さん私の暗殺をやめようと思って下さるでしょう。
よろしいですか。よく聞いて下さいね。日本は、アメリカの植民地から卒業します。
私は今でこそ世間から、アメリカの傀儡だ、操り人形だと思われているかもしれない。しかしそれも今年までです。中国と手を組みます。韓国と仲良くします。それが欧米にとって最高の嫌がらせだからです。この三国はパスポートなし。輸入、輸出の税金、制限も一切かけません。ヨーロッパに対抗する経済圏を作ります。コロナ後もすっかり経済は冷え込んでいます。このままだと〝失われた三十年〟は〝失われた半世紀〟にまで手が届いてしまいます。
そこで、私、不肖源氏が今こそ立ち上がり、〝失われた三十年〟から〝満たされる三十年〟へ。なんなら〝満たされる一世紀〟へと変えていきたいと思っております」
「源氏首相、手段を選ばないあなたのことです。そのために何をされるおつもりですか」
躅子様が、はあはあと息をつきながら問い質す。源氏はにこやかに目の前のカップを勧める。
「憲法改正です」
即答だった。
「決まってるでしょう? 戦勝国に押し付けられた憲法にこれ以上縛り付けられるわけにはいきません。日本を真の独立国に取り戻す。そしてこれからの日本は、軍事で稼ぎます。まずは徴兵令。最終的には中国と韓国を手中に収める」

これでも中学生のときは、ハムレットを演じたんですよ
「私のことを、差別主義者だとでも仰りたいのでしょう」
── そのときだった。源氏首相の表情が、俄に歪みだした。
「ぐわっ」
いきなりテーブルに顔を押し付け、苦しみ始めた。口から泡を吹いている。
「ざまあみろ!」
Shunが叫んだ。
「おまえの紅茶に毒を盛ったんだ」
源氏首相はガタガタと震え、嘔吐した。
「おまえの野望はここまでだ」
私たちは事の成り行きを見ていた。すると異変があった。
「……ふう」
源氏は痙攣の動きを止めたかと思うと、顔を起こし、何事もなかったように顔を正面に向けた。そして、にこやかに笑った。不気味なほど白い歯を見せて。
「いかがですか。かなりのものでしょう。これでも中学生のときは、ハムレットを演じたんですよ」
Shunだけではない。私も、ヒロシも、呆気に取られていた。

躅子様が、吐血した。今度は演技ではなかった。
「私のカップといつ入れ替えたか、誰もお気づきになられなかったようだ」
源氏首相はあっさりと言ってのけた。
躅子様はテーブルに倒れ込む。私は悲鳴をあげていた。
源氏は何事もなかったように金無垢の腕時計を見る。
「おっと、もうこんな時間か」
「躅子様、躅子様っ」
私は躅子様を揺すった。
「早く解毒剤を飲ませてあげなさい。こんなところで死なれては困る。私が日中韓連合のトップに立ったとき、あなたには大いに働いて頂かないと。政治利用と言われようと、やって頂きます。それに、結婚もできずに日本に留まることになるでしょうから、よろしいですよね?」
血を吐き続ける躅子様を見下ろして、源氏首相は椅子から立ち上がった。
ヒロシも立ち上がる。この瞬間湯沸かし器にしては行動が遅い。
「抜け」
源氏はヒロシに、撃てるものなら撃ってみろというのだ。しかし、ヒロシはできない。手が動かない。
Shunが睨み付ける。さっきまでと顔つきが違う。ものすごい眼力だ。
「ほう。私と同じ術を使うものがいるとは」
源氏首相とShunが向かい合う。冷静な源氏と、徐々に顔面が引き攣っていくShun。勝負は見えていた。

修羅場を潜り抜けてきたのはきみだけじゃない
「개새끼!」(ケセッキ!)
血飛沫が上がる。思いの外Shunの鮮血は飛び散って、カレンダーの三月二十四日の日付を汚した。テーブルに打っ伏したままの躅子様の顔にも血の雨が降り注いだ。
しかし私も、ヒロシも、廊下のこっさんも、一歩も動けなかった。止められなかった。
ナイフがShunの手から解き放たれる。彼の手元が狂ったのか、それとも源氏首相の意のままか。刃先が深々とこっさんの眉間に突き刺さる。
源氏首相だけがハハハと他人事のように笑っていた。
「困ったものだ。年々この能力が上がっている。そろそろお暇しましょうか」
ヒロシの肩に手をやる。
「なんで私がきょう、ここに現れたと思う?」
ヒロシは何も言えない。
「怖がりだからだよ」
源氏首相はヒロシの目を覗き込む。ヒロシの目が自分の意思とはかけ離れて大きく見開かれる。
「修羅場を潜り抜けてきたのはきみだけじゃない。政治の世界は、もっとだ」
それから、ヒロシの肩を軽く叩くと、ヒロシはばたっと床に倒れた。

源氏は部屋から出ていこうとしていたが、いま思い出したとでもいうふうに振り返った。
「お迎えは不要ですから。それでは皆さん、三月二十四日に再びお目にかかりましょう。石井晴子と夏田銀二には、当日は国会を休むように伝えておきます。彼らには私のような能力はないので。しかしご安心下さい。あなたたちのことは内緒にしておきます。晴子さんとのことですが、今後ともステディな関係を築かせて頂きたいと思っています。もし手を焼くようなことがありましたら、みなさんのどなたかに、お仕事をお願いさせて頂こうかな。……冗談ですよ」
ハハハと愉快そうに出て行った。扉が閉まった。ヘリコプターが去って行く音が聞こえた。羽音が遠くなっていく。
徳川邸の応接間には、毒に殺られて動かなくなった女と、椅子から立ち上がれない女。廊下を這ったままの男がふたり。そして血だらけの男が残った。

● 樋口毅宏(ひぐち・たけひろ)
1971年、東京都豊島区雑司が谷生まれ。出版社勤務の後、2009年『さらば雑司ケ谷』で作家デビュー。11年『民宿雪国』で第24回山本周五郎賞候補および第2回山田風太郎賞候補、12年『テロルのすべて』で第14回大藪春彦賞候補に。著書に『日本のセックス』『二十五の瞳』『愛される資格』『東京パパ友ラブストーリー』『大江千里と渡辺美里って結婚するんだとばかり思ってた』など。妻は弁護士でタレントの三輪記子さん。最新刊『無法の世界』(KADOKAWA)が好評発売中。カバーイラストは江口寿史さん。
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