ジル・ヴィルヌーブの横乗り

レース界、ラリー界と、多くの名ドライバーの横乗りを体験してきた。それぞれが素晴らしい体験で、それぞれが僕の宝物だ。

そんな中でも、もっとも鮮烈な記憶として残っているのが、カナダ出身の伝説的ドライバー、ジル・ヴィルヌーブの横乗り。

昔からのF1ファンならむろんご存じと思うが、1977年途中から1982年までフェラーリに在籍、６回の優勝を遂げたドライバーだ。

ヴィルヌーブの激しい走りは、多くのファンを生んだ。僕もその1人だ。彼の走りは、背筋がゾクゾクするほど熱かった。

そんな走りは一方で強い批判にもさらされた。1977年日本GP。前車に追突して宙を飛んだヴィルヌーブのマシンが観戦禁止区域に落下。そこにいた2人が亡くなった事故を覚えている方もおられると思う。

そして、この事故を境に、日本でのF1開催は10年間に亘って中断された。

そんなヴィルヌーブのサイドシートに乗ったことがある。1980～81年頃だったと思う。

FISCOで行われたフェラーリ・イベントのプログラムのひとつに、「ヴィルヌーブの横乗り」があったのだ。

僕はすぐ手を挙げた。知り合いの関係者に頼んで、限られた切符をしっかり手に入れた。

ヴィルヌーブは開けっぴろげな笑顔でサイドシートに招き入れてくれた。普段着のまま。ヘルメットも着けていない。ハッキリ覚えていないが、クルマは512BBだったと思う。


ピットロードからすでに速かったが、コースに出るとすぐ全開！　1コーナー手前ではかなりの速度に達していた。

そこで、とんでもないことが。明らかにブレーキングポイントは過ぎているのにフェラーリが減速しないのだ。

前方は使われなくなったバンクへのコースがそのまま残っていて、パイロン規制されているだけだったので、ヤバイとか怖いとかはなかった。でも、身体はこわばった。

次の瞬間、ヴィルヌーブはフェラーリをスピンさせた。見事なスピンで、パイロンにも触れずに止まった。

止まった後、ヴィルヌーブは「ゴメン、靴が脱げちゃって、、」とにこにこ顔。足下を見るとカジュアルで華奢なサンダル靴の右が脱げていた。
アクセルペダルからブレーキペダルに足を移すとき、かかとのストラップが引っかかったのかもしれない。たぶん、ゆるい履き方をしていたのだろう。

スタートラップだったからこれで済んだが、ストレートを全開できていた時だったらどうなっただろう。ヴィルヌーブはどんな技を見せてくれただろう。恐怖感と興味の両方が頭を掠めた。

ヴィルヌーブはにこにこ顔のままサンダルを履き直して再スタート。いきなり全開で走りはじめた。速かった！　基本グリップ（走行）で、ドリフトも小さなアングル。速く走る基本をしっかり見せてくれた。

2ラップ目の第1コーナーのブレーキングは素晴らしかった。強力で滑らかなブレーキングだった。1コーナーを立ち上がったところで、こちらに顔を向け、ちょっと照れくさそうに笑った。大好きだったヴィルヌーブがさらにさらに好きになった。

ヴィルヌーブは、熱い戦い、見事な戦いを繰り広げ、F1ファンを魅了し続けたが、1982年のベルギーGP予選で不慮の事故死。これは辛かった。

ヴィルヌーブは多くのファンに愛されたドライバーだが、僕の場合は特別だ。だって、サンダルが脱げてスピンなんて、こんな、あり得ないような体験を分かち合った人など他には絶対いないはずだから。

●岡崎宏司／自動車ジャーナリスト

1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。