2017.10.12

夜な夜なスポーツカーが集まった

文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト)
イラスト/溝呂木 陽
1963年、日本初の本格的自動車レース、第1回日本グランプリは日本中を湧かせた。クルマ好きはもちろん、そうでない人たちの関心も集めた。生沢徹や式場荘吉は一躍ヒーローになった。
 
2002年のワールドカップ日本大会で、にわかサッカーファンが大騒ぎし、中田英寿らが一躍ヒーローになった状況とよく似ている。ちなみに、僕もそんな中の一人だったが、以後、熱心なサッカーファンであり続けている。
 
日本グランプリを境にスポーツカー人気は急上昇した。スポーツカー・オーナーは、クルマ好きからだけでなく、多くの人たちから羨望の目を向けられた。一種のヒーロー扱いだ。
 
そんな人たちが、日本グランプリを境に夜な夜な集まるようになった場所があった。もちろん愛車と共に。週末が中心だが、平日でもそこそこ集まった。ジャガー、ポルシェ、トライアンフ、MG・・・といったクルマたちだ。
 
チューニングアップした国産車も加わっていた。エアロパーツなどない時代だが、低い車高、太いテールパイプ、エンジン音、キャップを外したホイール等ですぐそれとわかった。ゼッケンナンバーを張ったクルマもあった。
 
日本グランプリに出場したドライバーたちの顔もあった。当時の僕はMGBに乗っていたので、違和感なく仲間に入れた。ちなみに、大借金の末に手に入れたMGA MK1だが、あまりにもパワーがないことにガマンならず、早々にMGBに乗り換えた。
さて、その場所とは、赤坂一ツ木通りのTBS本館前。2 軒の喫茶店が軒を連ねていたが、1軒はアマンド。もう1軒の名は忘れたが、居心地のいい店だった。テレビ関係者や出演者なども利用していて、華やかでもあった。
 
当時の赤坂は、伝統の花街の粋な佇まいに加えて、新しいホテル、レストラン、クラブ等も多い人気スポットだった。スポーツカーが集う場所としては文句なしだ。
 
集うと言っても、大通りでもないし広場でもないので、できるだけ道の端に寄せて駐めた。店への出入りを邪魔しないようにも気を配った。みんなの暗黙の約束事だった。
 
華やかなスポーツカーが店の前に並ぶのは、店にとっても悪くなかったようで、ルールを守り、マナーを守る限り、文句はでなかった。スポーツカーが整然と並ぶ、赤坂一ツ木通り・・・いい眺めだった、と今も思う。
 

TBS出演者にもクルマ好きは多く、声をかけられ、話し込むこともよくあった。有名な俳優さん女優さんもいた。
 
集う仲間には「その筋の人」もいたが、他愛ないクルマ話しに一切壁はない。「なんかあったら俺に言ってこい。話しつけてやるからな!」との有り難い言葉はもらったが。
 
こんな場所での集まりは、今なら、間違いなく取り締まりの対象になる。が、当時は警察も鷹揚だった。巡回の警察官も立ち話に加わったり、運転席に乗り込んだりして、一緒に盛り上がっていた。
 
「TBSの前にスポーツカーが・・・」という話しは、いつのまにか広まり、週末などは見学者も集まるようになった。顔の知られたドライバーはサインを求められたりもした。僕たちは、そんな「サポーター?」とも仲良くなった。運転席に乗せてあげるだけで、すごく喜んでくれた。
 

赤坂だけではなく、日本のあちこちでこうした集まりはあったのだと思う。そして、自動車ファンは増え、多くの人たちの自動車への夢が膨らんでいったのだろう。
 
こうしたことひとつとってみても、第1回日本グランプリが、日本のモータリゼーションに与えた影響は大きかったと思う。
 
●岡崎宏司/自動車ジャーナリスト

1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。

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