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2026.08.04

樋口毅宏×山崎洋一郎対談【後編】「渋谷陽一とは何者だったのか?」

作家・樋口毅宏さんの新著『なぜ本を読むのか、なぜ映画を観るのか、なぜ音楽を聴くのか──100年後、カルチャーの参考資料になる本』発刊を記念して、敬愛するロッキン・オン社代表で音楽評論家の山崎洋一郎さんとの対談が実現。その後編をお届けします。

CREDIT :

写真/興梠真穂 文/井上真規子 編集/森本 泉(Web LEON)

樋口毅宏×山崎洋一郎対談【後編】「渋谷陽一とは何者だったのか?」

Web LEONの人気連載、樋口毅宏の「手玉にとられたい!」でもおなじみの樋口さんが新刊『なぜ本を読むのか、なぜ映画を観るのか、なぜ音楽を聴くのか──100年後、カルチャーの参考資料になる本』というメチャクチャ長いタイトルの本を出しました。御年55歳というまさにLEON世代である樋口さんが、これまでの人生で愛してきた音楽、映画、本などについて語り倒した本書は同年代のオヤジ世代はもとより、若者にも是非読んでほしい内容。


刊行を記念して、樋口さんが音楽面で最も影響を受けてきたという音楽評論家で編集者の故・渋谷陽一氏とともに「ロッキング・オン」社を舵取りしてきた、現ロッキング・オン社代表、山﨑洋一郎さんとの対談が実現しました。後編(前編はこちら)では、自分の本の宣伝も忘れて、熱く渋谷陽一を語りまくる樋口さん。山崎さんも引いてましたよ。

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「渋谷さんはペシミズムに陥らない現実主義者であり、最強のエンドユーザー」(樋口)

── 山崎さんは樋口さんの著作はかなり読んでるんですよね?


樋口毅宏さん(以下、樋口) 僕、山崎さんには全部送り付けてますからね(笑)。


山崎洋一郎さん(以下、山崎) 読んでないと、会った時にどういう攻撃されるか、わかんないですから(笑)。


── 書き手としての樋口毅宏はどんなイメージですか?


山崎 小説書いてる人って自分の文体に神経質だし、細心の注意をはらっているから、ともするとそこに対しての自意識が強すぎることがあって、自分の文に自分でうっとりしてるみたいに感じることがあるんですけど、樋口さんの場合はそのうっとり感がまったくなくて、そういう意味では文章自体が好きです。


ものを伝えるために文章を書くって割り切っているというか、いわゆる文学チックなナルシズムがなくて。元雑誌編集者でもあるのも、自分が気持ち良くなるために文章を紡ぐ人とは違うのかな。むしろ言わなきゃいけないことがあって、それを吐き出すためのツールとして言葉を使ってるという。そういうところが。

樋口毅宏×山崎洋一郎対談【後編】「渋谷陽一とは何者だったのか?」
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── ということですが、樋口さんとしてはいかがですか?


樋口 山崎さんがそうおっしゃるのだから間違いないと思います(笑)。確かに自分で自分の文章にうっとりというか、耽溺することはないですね。他の作家の方はわからないですけど、ある種突き放した、醒めた部分は持ってないといけないなとは思ってます。この間もいろんな人たちの本をまた読み直したんですけど、詰まるところ自分の好きな作家は有吉佐和子、石原慎太郎、小林信彦、つかこうへい、梁石日、白石一文、山崎さんが嫌いな村上春樹。あとやっぱり渋谷(陽一)さん、山崎(洋一郎)さんの影響はすごく大きいです。


直近では渋谷さんの1997〜2025年の評論集『メディアとしてのロックン・ロール』、読みました。もう面白くて、面白くて。掲載されている評論はすべて出版時に一読しているはずなのに、取り憑かれたように読破しました。改めて、渋谷さんはペシミズムに陥らない現実主義者であり、最強のエンドユーザーだなと感じました。


そして大衆、ユーザー、受け手、観客、もっと言えば当事者を信じ続けた一生だった。ロックについて、エモーショナルとクールな批評を同居して語れることを実証した人だったなと思います。渋谷陽一とは何者だったんでしょうか?

山崎 僕にとって渋谷は、サークルのキャプテンみたいな存在でした。僕が中高校生の頃は、渋谷さんや松村雄策さんがほんとに人気でしたが、僕は正直、渋谷さんの文章にはまったくピンときてなくて(笑)。その後、『rockin’on』に入って、少人数で毎日家族のように渋谷さんと一緒いるようになってからは、キャプテンのように思ってました。


今こうして著作にまとめられると改めて別次元に彼の言論人としてのすごさを感じるけど、当時は並走しながら一緒に戦っていく立場だったので感じる暇がなかったんです。それどころか、「絶対、俺の方がいいもの書いてやる」くらいに思っていた。渋谷も彼(渋谷さん)を見て仕事をする人間ではなく、一緒にその先を見る人間を求めてたと思います。


樋口 山崎さんは上智大学の留年生でしたよね。どうして『rockin’on』に入ったのでしょう?

山崎 就活では、キリンビール、JAL、教師など、いくつか内定をもらっていたんですが、当時学生をしながら雇われ店長をやっていたロック喫茶に『rockin’on』が置いてあって、そこにスタッフ募集の記事が載っていたんです。それに遊び半分で応募してみたら受かって。当時はバブルで就職に対する切迫感もなく、いいや! って感じで全部蹴って『rockin’on』に入りました。でも編集者になりたいとか、渋谷陽一の元で働くんだ、みたいな動機はまったくなかったですね。


樋口 山崎さん以降に入った編集者兼ライターの方たちもそういう感じでしたか。


山崎 僕が入社してから5〜6年を過ぎると、渋谷陽一と『rockin’on』に憧れて働きたいって人たちが入ってくるようになってきました。

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樋口毅宏×山崎洋一郎対談【後編】「渋谷陽一とは何者だったのか?」

「渋谷には、現実に正しく対応することへの誠実さと鋭さがあった」(山崎)

樋口 一方で、渋谷さんは出版業界の中で悪く言われているのもよく耳にしました。亡くなった時も、「英語が喋れなかった」とか、技術的な話でも「コードも知らない」とか言われると僕はムッとくるんです。そういう批評について、どう思われますか。


山崎 慣れっこです(笑)。渋谷陽一に限らず、雑誌も何かと叩かれ続けてきましたから。フェスをスタートした時なんて本当に激しかったです。「ジャーナリズムをしている会社が興業なんてやったら、ジャーナリズムが失われる」「アーティストを公平に見てジャッジする立場なのに、自分たちのフェスに出てもらいたいから褒めてるんだ」と。だから気にしないんです。


樋口 なるほど。


山崎 あとは叩く人の傾向を見ていると、熱心に読んでくれた読者ほど卒業してからめちゃくちゃ叩くんですよ。


樋口 信者からヘイターに変わっちゃうんですよね。それは音楽の世界だけでないです。

山崎 これだけ叩かれるって、宗教性みたいなものがあるんだなと。ただ単に売れている雑誌ではなく、人生に影響を与えるよう雑誌だろうと僕は捉えています。


樋口 昔の原稿を読むと渋谷さんはフェスを肯定的に捉えていなかった印象があります。でも、その渋谷さんがフェスをやると言ったわけで。ジャパンフェスの前年にライジングサンフェスティバルがありましたが、あれでノウハウを学ばれたのかなと思いました。渋谷さんがフェスをやると社内で宣言した時はどう思われましたか。


山崎 僕とブランキー・ジェット・シティのマネージャーの藤井努さん、ミッシェル・ガン・エレファントのマネージャーの能野さん、ウェスの山本さんの4人でライジングサンフェスティバルを立ち上げたんです。「フジロックは洋楽メインだよね? 日本のロックでフェスをやろうよ」って思いつきで決めて。渋谷も来て「なかなかいいフェスだね」って。


渋谷の中では以前にフジロックを見て、こういうフェスティバルの形態はすごくありだなと思ってから、ビジョンが生まれていったんです。でも、その考え方っていう意味では彼の中で大きく変わってるんですよ。なぜなら彼は「ウッドストックフェスが最高だった」とか思っていたわけではなくて、むしろ批評家としては、ロックを1つの集団、幻想として肥大化させることを批評的に見ていました。


批評家、思想家としての彼は面白くて、自分の確固たる思想を貫くタイプではなく、現実に正しく対応することへの誠実さと鋭さがある人。それが後に構築されて最終的には1つの辻褄として合っていったんです。

樋口 本当によくわかります。「なんで俺がこんないいことを言っているのに、バカなお前らはわからないんだ」って自分に正当性を持たせたい世の大多数の人とは大きく違っていました。いい意味での現実主義者。


山崎 そうなんですよ。だから、放つメッセージも「その時代の中で考えたらこれが正しい」と思うものをその都度出していた。そういうのって、普通は風見鶏みたいになっちゃうんだけど。何が正しいのかを本当に突き詰めて考えるから、結局辻褄が合うんですよね。そのスケールのデカさはすごかったと思います。

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樋口毅宏×山崎洋一郎対談【後編】「渋谷陽一とは何者だったのか?」

「結局は批評対象を最初から好きか嫌いかが大きいんじゃないか」(樋口)

樋口 僕は今回、渋谷さんの『メディアとしてのロックン・ロール』を夢中になって読んだのにもかかわらず、1つ引っかかるところがあって。どれだけ渋谷陽一のテキストが素晴らしく、熱意を持って論理的に書かれていても、もともとの批評対象を好きじゃないと、「俺はそこまでノレないな~」と思ってしまう。結局は批評対象を最初から好きか嫌いかが大きいんじゃないかって。この「批評の自律性」の問題って、評論家の限界でもあり、重たい現実なんじゃないかと思ったんです。


山崎 どうでしょう。渋谷は批評に対して絶対的な確信を持っていたのと同時に、そこが彼の現実主義なところですが、アーティストの力や作品のポピュラリティに人は左右されやすい現実もすごくよく分かっていた。例えば、スティーヴィー・ワンダーは渋谷にとってベスト・オブ・ベストのアーティストですが、彼を毎回『rockin'on』の表紙にしても売れない。だからエアロスミスやデヴィッド・ボウイを表紙にしながら、「誰をより高く評価しますか」と聞かれたら、間違いなくスティーヴィー・ワンダーだと答えるんです。


自分の批評性の力と、アーティストが持つ絶対的なポピュラリティやパワーバランスを取らないと人に届かない、ということを分かっていました。渋谷は、一般的には人気がなかったようなアーティストでも、実はものすごく高く評価していたと思います。しかしそれだけでは雑誌は成立しないという現実を受け止めながら編集していましたね。

樋口 なるほど。山崎さん自身も編集長になってから、その感覚は同じだったんでしょうか。渋谷さんは編集長を譲ったあとも、編集方針に口を出すタイプだったんですか。それとも、「もう学んでいるだろう」と任せていたんでしょうか。


山崎 そこは、僕が渋谷の原稿にあまり共感できなかったという話にも通じますが、僕と渋谷は「現実を受け入れるのも、自分の言いたいことや価値観を持つのも、それを現実とうまくすり合わせるのも当たり前だ」っていう感覚が偶然一致していたんです。渋谷は、「山崎は同じようなバランス感覚とセンスを持っている」と多分思っていたから、編集長を任されてからは「こうした方がいい」って言われたことは一度もありません。


樋口 山崎さん以外の人はどうだったのでしょう。


山崎 編集者に限らず評論家でも、「大衆が何を好もうが俺の音楽観が正しいし、このアーティストがすごいんだ」「俺の考え方か大衆の考え方か勝負だ」みたいな考え方の人って多いけど、うちとはまったく合わないからみんな辞めていきました。クビにしたわけじゃなく、結局そりが合わない。いやいや、上手いことやるのが一番重要でしょうって。

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樋口毅宏×山崎洋一郎対談【後編】「渋谷陽一とは何者だったのか?」剣に背負うんですか?」

樋口 でも(ROCKIN’ ON)『JAPAN』の黎明期には、エレファントカシマシを年またぎ号の表紙にしたり、ニューエスト・モデルを表紙にしたり、かなり思い切ったこともしていましたよね。当時はまだ世間的な知名度も高くなかったのに、「なんという勝負に出るんだ」と思いました。


山崎 そうですね。でも、エレファントカシマシについては「いつか絶対にそうなる(売れる)」と確信していました。(雑誌を)売ることが目的でバランスを取るのではなく、一編集者のあり方として、自分の批評性と大衆性の両方を取り入れるのが当たり前っていう感覚はあります。ただニューエスト・モデルに関しては、「これは絶対にいい」「多くの人に受け入れられなくてもやるんだ」という自分の価値観を押し出した部分は確かにありました(笑)。


樋口 ご存知のように、僕は渋谷さん以上に山崎さんの影響を受けています。山崎さんは『JAPAN』をA5判型に変えて、表紙インタビューに石野卓球を抜擢し、そこでザ・スミスとフリッパーズ・ギターについて語りました。22歳の僕は「これが絶対なんだ」と思春期が決まってしまった。思考の価値観を植え付けられた。その後、やはり「激刊!山崎」で取り上げられた白石一文の影響をモロに受けて、白石さんに会って弟子入りをし、小説家としてデビューしていくことになりましたから。

でも、渋谷さんはスミスやフリッパーズについては、あまり積極的には書いていない。エレカシは渋谷さん山崎さんのふたりとも高く評価していましたが、「ここは趣味が合わないな」と感じることはありましたか。


山崎 世代ごとの価値観の違いは明確にありましたね。例えば、渋谷はベックですらあまり好きじゃなかった。あの世代は何もないところから火を起こすようなロックが好きだし、それが原体験だから、そこへのこだわりがすごく強いんです。ベックやフリッパーズ・ギターのように、かつて“燃えた”ものを色々なところから持ってきて音楽を構成することに、どうしても抵抗感があったんだと思います。

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「60代頃から渋谷は、ものすごく研ぎ澄まされていった」(山崎)

樋口 それと昔の原稿を読み返して改めて驚いたのは、90年代にブリットポップが盛り上がっていた頃も、渋谷さんは冷静だったことです。ストーン・ローゼズの頃からそうでしたが、「最近のロックを聴くと、アメリカ勢のほうがイキがいいな」と書いていて、「オアシスには保守性を感じる」とまで言っている。正直驚きました。


山崎 だから、渋谷にはそれがちょうど良かったんですよ。そういうものを全面的に肯定できる“山崎”と、乗り切れない自分(渋谷)という役割分担が自然にできていた。フジロックもよく一緒に回ったけれど、例えば僕はヘッドライナーを楽しみにしていても、渋谷は「山崎、あとは任せる」とホテルへ帰ってしまう。ザ・ストロークスもロックだからあの世代もある程度理解があるのに、僕が最後まで残ると言っても渋谷は「早めに寝るから任せるわ」とあっさり帰ってしまう。そういう役割分担が彼自身の中にはっきりあったんだと思います。


樋口 晩年につれて渋谷さんの原稿は減っていきます。フェスの運営もあったでしょうが、渋谷陽一といえど感性の減退があったのでしょうか。評論家として語るべき対象を失っていったのか、それとも音楽を文学的に語ること自体に疲れてしまったのか。

山崎 それはむしろ逆です。『海には出たけど泳げない』※は、批評の限界について述べた原稿ですが、60代頃から原稿が減ったのはものすごく研ぎ澄まされていったからです。批評の面白さは、ユーザーと共に歩みながら行くところにあるのに、自分はもう答えを見つけている、だからもう書かなくてもいいだろう、と。答えが出ていたのではエンタテインメントは成立しづらいですからね。

※渋谷陽一が1982年に発表した名作評論のタイトル。

樋口毅宏×山崎洋一郎対談【後編】「渋谷陽一とは何者だったのか?」
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樋口 渋谷陽一は最後まで「すれっからし」にならず、ミーハー第一主義だったと思います。実際には口には出さないものの、「これ前にも聴いたことあるな」と思うようなこともあったんでしょうか。


山崎 それも逆です。渋谷が昔、あれだけ原稿を書いていた理由の一つは、「なんで自分がいいと思うものが世の中で売れないんだ」という思いがあったから。現実とのギャップが原動力だったんです。でも近年は、いいものがちゃんと売れる時代になってきた。例えば「Adoってすげえな」と渋谷は思っていたはず。でも、みんながわかってるなら「書かなくていいや」って。昔は言わないと誰も気づかなかったから一生懸命書いていたんです。物書きや批評家の出番って、現実が悪くなってきた時なんですよね。


樋口 大統領選があるたびに再結成するレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンみたいですね。

「っていうか、自分の本の宣伝しなくていいの?(笑)」(山崎)

樋口 最後に。渋谷陽一という偉大なるカリスマが亡くなった後、『rockin’on』はどうなるのでしょうか。渋谷さんは生前、「雑誌は自分の思想だから、休刊したら思想の敗北になる。だから休刊させない」とインタビューで語っていました。今後は、紙媒体も続いていくのですか?


山崎 『rockin’on』も『ROCKIN'ON JAPAN』も『CUT』も、もう何十年も前から渋谷はノータッチです。だから何をおっしゃっているんだろうって感じ!(笑)


樋口 でも、形を作ったのは渋谷さんじゃないですか⁉︎

山崎 それは、ロックの始祖たちがみんな死んじゃったから、ロックはこの先亡くなっちゃうんですか⁉ って言ってるのと同じです。典型的なロックオジさんのパターンですよ。


樋口 またやってしまいましたか僕は! あんなに「猪木プロレスを崇める一方で、今のプロレスを否定する人たち」を批判していたのに、自分が同じことをやっている!


一同 ワハハ。


山崎 別に強がっているわけではなくて、普通にフェスもソールドアウトするし、雑誌も○万部切らないで出せているし、雑誌『ROCKIN'ON JAPAN』も、Vaundy、米津玄師、yoasobiとかトップクラスのアーティストが次々出てきて、どこに危機感があるのかすらわからないです。『rockin’on』はさすがに洋楽ユーザー自体が減ってきているからその危機感はあるかもしれませんが。


樋口 若い人はそんなに洋楽を聞かないですか。

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樋口毅宏×山崎洋一郎対談【後編】「渋谷陽一とは何者だったのか?」

山崎 聞くんだけど、雑誌で知識を深めようという方向にはならないですよね。TikTokで流れてくる洋楽の曲をいっぱい知っていて、昔より洋楽が馴染んでる人がたくさんいるけど、かつてのように音楽を積極的に深掘りしていくみたいな人は減っていってますね。


樋口 それは今のSNS環境、ライフスタイルが変わったということも大きいんですかね。魅力が落ちたとはとても思えないし、どんどん自由になっていく感じがポップミュージックにはあります。


山崎 でも、その時代の中でロッキング・オンって会社は、どうやり続けていくかっていうスキルみたいなものはしっかり持ってる会社だと思うんです。だから、先のことはわからないけど今は危機感は全然ないですね。っていうか、本の宣伝しなくていいの(笑)?

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樋口毅宏×山崎洋一郎対談【後編】「渋谷陽一とは何者だったのか?」

● 山崎洋一郎(やまさき・よういちろう)

1962年、東京都生まれ、神戸育ち。編集者、ライター。株式会社ロッキング・オン代表取締役社長。上智大学卒業後、1986年に出版社・ロッキング・オン入社。1991年より『ROCKIN’ON JAPAN』編集長、2000年より『rockin’on』編集長を歴任、両誌の総編集長として現在に至る。数々のアーティストのインタビューやライナーノーツ執筆を務め、多くの読者からの熱い支持を得ている。また、「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」や「COUNTDOWN JAPAN」をはじめとするフェス、イベントのプロデュースも行なっている。

X/@rockinon_com

樋口毅宏×山崎洋一郎対談【後編】「渋谷陽一とは何者だったのか?」

● 樋口毅宏(ひぐち・たけひろ)

1971年、東京都豊島区雑司が谷生まれ。出版社勤務の後、2009年『さらば雑司ケ谷』で作家デビュー。11年『民宿雪国』で第24回山本周五郎賞候補および第2回山田風太郎賞候補、12年『テロルのすべて』で第14回大藪春彦賞候補に。著書に『日本のセックス』『二十五の瞳』『愛される資格』『東京パパ友ラブストーリー』『大江千里と渡辺美里って結婚するんだとばかり思ってた』など。妻は弁護士でタレントの三輪記子さん。新刊『なぜ本を読むのか、なぜ映画を見るのか、なぜ音楽を聴くのか── 100年後、カルチャーの参考資料になる本』(POST刊)が5月28日に発売。雑誌『LEON』で連載した小説「クワトロ・フォルマッジ-四人の殺し屋-」も単行本化予定。

X/@byezoushigaya


『なぜ本を読むのか、なぜ映画を観るのか、なぜ音楽を聴くのか──100年後、カルチャーの参考資料になる本』

『なぜ本を読むのか、なぜ映画を観るのか、なぜ音楽を聴くのか──100年後、カルチャーの参考資料になる本』

『さらば雑司ヶ谷』『中野正彦の昭和92年』などの小説ででテロとバイオレンスを描き、『凡夫 寺島知裕 BUBKAを作った男』ではノンフィクションに挑み、そして『タモリ論』『さよなら小沢健二』でカルチャーへの造詣の深さを知らしめた作家・樋口毅宏による最新カルチャー・コラム集。ブルーハーツ、山下達郎、長渕剛、エレファントカシマシから、北野武、とんねるず、松本人志、村上春樹まで、日本のカルチャーを「サブカルの語り部」樋口毅宏が忖度ぬきで書き尽くした一冊! 小山田圭吾、阿川佐和子、小西康陽との対談も収録。表紙は江口寿史の描き下ろし。

発行/POST 価格/2200 円(税込)

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