イラスト/溝呂木 陽
カローラ1100は見事なクルマだった。数年前に触れる機会があったが、デザイン、品質、実用性・・・改めてレベルの高さに驚かされた。価格こそ大衆車だったが、「隣のクルマが小さく見えま~す!」のキャッチコピー通り、立派なクルマだった。
一方のサニー1000は一回り小さいだけでなく、デザインもシンプルで、かつ軽量。日本的価値観で勝負したカローラは幅広い人気を得たが、欧州的価値観をベースにしたサニーの人気は「クルマ通」的な人たちが中心だった。ゆえに、販売面ではカローラが圧勝した。
僕が好きだったのはサニー。カローラには大いなる敬意を抱きつつ、サニーに惹かれた。
シンプルなデザインも好きだったが、なにより惹かれたのはパフォーマンス。軽さとしなやかなフットワークが生み出す走りは、当時の日本車では「ありえない」レベルだった。
自動車雑誌「ドライバー」の編集者だった僕は、そんなサニーの魅力/実力を誌面で伝えたいと考えた。それが「ノンストップ日本一周」企画だ。編集長からは一発でOKをもらい、日産からもOKがでた。
編集部はむろん総出だが、社長までドライバーを買って出てくれた。嬉しかった。
ノンストップだから、地続きでなければならない。従って北海道と四国を外し、本州と九州の沿岸部をグルリと一周することにした。給油時以外はエンジンを止めずに。

まだ地方の道路は整備されておらず、いわゆる「砂利道」も多かった。工事中の渋滞や通行止めでの強制迂回も何度となくあった。とくに北陸地方は難航。多くの時間を費やした。
「事故は絶対起こさない」ことが唯一の取り決め/約束だったが、社長も編集長も、それ以外のことはひとことも言わなかった。できるだけ短時間で、高い平均速度で走り切ることが「ノンストップ日本一周」の価値を高めることを理解していたからだ。僕もそのつもりで走り、飛ばした。みんなも飛ばした。でも、速度違反で捕まったのは一人。社長だけ。これは後々まで笑いのタネになった。
サニーはほんとうによく走った。曲がりくねった山道も速かったし、砂利道にもタフで速かった。僕はラリーのようなペースで走らせたが、難なくついてきてくれた。期待通りだった。サニーは日本一周を平均時速50k m/h 超で走り切った。
細かい数字は覚えていないが、50k m/h をわずかに超えたことは覚えている。名神高速道路は開通していたが、それ以外は一般道路であり、渋滞や工事ストップ、迂回等々、さまざまな障害に出会った。なのに50k m/h 超のアベレージはすごかった。今考えても、信じられないハイペースで走り切ったのだ。
僕はもちろんだが、みんながサニーの性能を信頼して、アクセルを深く踏むことに躊躇しなかったのだろう。いや、というよりも、サニーの運転を楽しんでいたという方が正解かもしれない。
目立つ存在ではないが、サニー1000は間違いなく「日本の名車」と呼ぶに値する。
●岡崎宏司/自動車ジャーナリスト
1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。













