2016.04.07

時計を工芸品として改めて考える Vol.01

機械式時計もマスプロダクションの一種だが、なかには少数しか制作されない"工芸品"のような時計がある。

エナメルや彫金などの芸術的技法を凝らした時計は、ふたつとして同じものがないレア・ピースであると同時に失われつつある伝統的な時計作りの文化を未来へと受け継ぐという特別な価値をもっている。

つまり"工芸品のような時計"を所有するということは、時計文化に対するパトロネージということになる。

Hermès[エルメス]

立体感と奥行きによって美しい表情を作る

エルメス アルソー ティーグル
アルソー ティーグル/1018万円(予価)
ティーグルとはTigre(虎)のこと。美しい縞模様や毛並みを表現すべくエナメル層の厚みの違いによる陰影を使ってモチーフを浮き上がらせる「オンブラン技法」という手法を採用。彫金職人とエナメル職人の共演だ。自動巻き、18KWG(41㎜)、アリゲーターストラップ。世界限定12本。今夏発売予定/エルメス(エルメスジャポン)

械式時計の歴史とは、“工芸品”としての歴史だった。工芸品とは、美術意匠と技巧によって美観を与えると同時に日常生活にも役立つ物を指す。そこが用途をもたない芸術品との違いであり、携帯できる機械式時計が生まれた16世紀頃から、他者との差別化を進める目的もあって、時計に美しい装飾を施すようになる。

工芸技法のなかでもっとも有名なのは「エナメル」だろう。最盛期は19世紀で、懐中時計の風防カバーやケースへの装飾技法として好まれた。ところが腕時計の時代になると、風防カバーもなく裏蓋は腕に隠れてしまうので、装飾を施す場所がなくなってしまった。ニーズがなければ、技術も廃れる。こうして長らく工芸技法は、表舞台から姿を消してしまうのだった。

左:まずは精密なデザイン画を上げる。特に毛並みの美しさにこだわった。■右上:金属板の上に虎の姿を彫っていく。■右下:彫った箇所に黒いエナメルをのせていく。焼くと半透明になり、立体感が生まれる。
立体的に見せるためのテクニック
■左:まずは精密なデザイン画を上げる。特に毛並みの美しさにこだわった。■右上:金属板の上に虎の姿を彫っていく。■右下:彫った箇所に黒いエナメルをのせていく。焼くと半透明になり、立体感が生まれる。
ではなぜ再び工芸技法が注目されているのか? 最新の工作機械とCADによる設計によって、時計の平均レベルが格段に上がった結果、ラグジュアリーブランドでは、他社との差別化に迫られた。そこで新たな付加価値として、工芸技法に目をつけたのだ。

幸運にも多くの名門ブランドでは、スペシャルオーダーなどのおかげで細々とではあったが技術は残っていた。そこでベテランが若手を教育することでノウハウを受け継ぎ、過去の伝統技法を復活させようと躍起になっている。

残念ながら、まだまだ圧倒的に職人の数が足りず、ごく少量の時計しか製造はできないが、続けていかない限り未来は開けない。つまり工芸品のような時計を手に入れるということは、一種の文化支援なのである。
手がけたのは、特別な職人たち

手がけたのは、特別な職人たち

手がけたのは、特別な職人たち

この作品を仕上げたのは、数々の有名ブランドの文字盤を手がける達人たちが揃うアトリエ。写真は代表のオリヴィエ・ヴォーシェさん。


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エナメル技法という文字盤上の絵画

エナメルとはガラス質の被膜のことであり、工芸技法のなかではもっとも有名。
手法もかなり細分化されており、美的表現の自由度も高い。
華やかな色彩や繊細な表現が可能であり、ダイヤルを美しく演出してくれるのだ。

Ulysse Nardin[ユリス・ナルダン]

エナメルの名門らしい凝ったデザイン

ユリス・ナルダン クラシコ ゴート
クラシコ ゴート/510万円
長年エナメルダイヤルを得意としてきた同社は、文字盤会社を傘下に収めたことでさらに高度な表現が可能に。このモデルは「シャンルベ」技法を使って、ヤギの親子を描き出した。どこか温かみを感じさせるデザインも素晴らしい。自動巻き、18KRGケース(40㎜)、アリゲーターストラップ/ユリス・ナルダン(ソーウインド ジャパン)
ゼンマイオヤジであれば、エナメルという言葉には、耳なじみがあるだろう。しかしそれは恐らく、金属板の上に釉をかけて焼いたガラス質の“エナメルダイヤル”のこと。もちろんこれも立派な工芸技法のひとつだが、今回紹介するのは、もうちょっと芸が細かいモデルたちだ。
■左上:べースとなるゴールドプレートを彫り込み、ヤギの姿を描く。■右上:さらに背景の奥行きを作るためエナメルが施される。■左下:一色ずつエナメルを入れていく。現在は母ヤギの体部分を作業中。■右下:各々の彫りの構造のおかげで色が混ざらず、メリハリの利いた絵が生まれる。
心休まる絵を作る複雑な工程
■左上:べースとなるゴールドプレートを彫り込み、ヤギの姿を描く。■右上:さらに背景の奥行きを作るためエナメルが施される。■左下:一色ずつエナメルを入れていく。現在は母ヤギの体部分を作業中。■右下:各々の彫りの構造のおかげで色が混ざらず、メリハリの利いた絵が生まれる。
エナメル技法の歴史は古く、あのツタンカーメン王の黄金マスクの装飾も一種のエナメル技法だとか。ジャンルも細分化されており、細密画を描く「ミニアチュール」、金の線で枠を描き、その内側にエナメルを入れて焼き上げる「クロワゾネ」、金属に図柄を彫ってエナメルを重ねる「シャンルベ」がその代表的な手法。近年ではこれらの技法を組み合わせることで、立体的な表現を生み出している。

一色ごとに窯で焼き上げるので手間がかかるうえに、焼く際の温度調整に失敗すると簡単に割れてしまうという制作上の難点がある。しかし完璧なエナメル工芸は強靭であり、数千年レベルで劣化しない。そのためいつまでも、美しさを保つことができるのだ。

Van Cleef & Arpels[ヴァン クリーフ&アーペル]

詩的な世界をエナメルで見事に表現

ヴァン クリーフ&アーペル ミッドナイト ポエティック ウィッシュ ウォッチ
ミッドナイト ポエティック ウィッシュ ウォッチ/5120万円
橋の上を人形が動き、その位置と音で時刻を知らせるオートマタモデル。金属枠だけでエナメルを支える「プリカジュール エナメル」を使用し、パリの街並みは彫金やミニアチュール ペインティングで表現。手巻き、18KWGケース(43㎜)、アリゲーターストラップ/ヴァン クリーフ&アーペル(ヴァン クリーフ&アーペル ル デスク)

文/篠田哲生

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