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2019.03.17

昭和、それは007ジェイムズ・ボンドの時代だった

CREDIT :

文/丸屋九兵衛(bmr)

いま思えば、彼こそが昭和後半を通じて最も有名だった外国人なのではないか。彼の名はジェイムズ・ボンド。英国情報部のスパイ。コードネームは007。小学生からエエ歳こいたオヤジまで、日本の男たち、昭和の男たちは、こぞって彼に熱狂した。

およそ子供向きとは言い難いお色気(という言葉自体がとても昭和である)シーンに満ち満ちた映画シリーズであるにもかかわらず、子供たちが夢中になったのは……時としてバカバカしくさえあるガジェットの存在が大きい。

つまり、回転ドリル付きもしくは強力電磁石内蔵もしくは超小型FAX機能搭載の腕時計、ミサイル兼用の万年筆、秘密兵器各種が仕込まれたアタッシュケース、等々……。

007の冒険を彩るそれらの小道具があまりに魅力的だったために、かつては少年探偵団エントリー希望だった子供たちは、スパイという職業に焦がれるようになった。当時の駄菓子屋では、「子供のためのスパイ道具セット」などと称する怪しいブツまで売られていたはずだ。
写真:Album/アフロ
写真:Album/アフロ
では、成人男性たちが彼に憧れた理由は?

もちろん、ボンドが女性にモテる、モテまくるという事実は大きい。だが、彼が「男の心に潜むフェティシズム」を体現していたことも重要だったのではないか。質の高いスーツへの執着。食べ物と酒の嗜好(とアンストッパブルなうんちく)。

万年筆、サングラス、コーヒーカップまで、多岐にわたる分野において、それぞれにある特定ブランドへの愛着(ほとんど固執)。

「俺だけのスグレモノ」で自分を飾るというこだわり、そんな形の自己実現は男たちの夢であり、それを成し得たボンドは一種のロールモデルだったのだ、と思う。

また、子供たちがガジェットに惹かれたように、男たちはボンドカーにも憧れた。射出可能な助手席付きや海中潜行仕様は無理としても、通常仕様のアストンマーチンやベントレー、ロータス・エスプリなら……いつかは我が家に、と。

実は、昭和の日本こそが「007に最も熱狂した国」とも聞く。

当時を振り返って、唐沢俊一は書いている……
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「007シリーズの大ヒットによって世はスパイ・ブームまっさかり。日本でも模倣作がツクダニにするほど出回っており、とても国際的スパイがつとまるとは思えないスカスカ頭の色男を主人公に、銃と車と秘密兵器と裸のねーちゃんが出てきさえすれば読者は喜ぶ、と心得て(実際喜んだのだが)いいかげんに書きとばしたような三文小説が続出していた」と。

二番煎じ小説がそれほど盛り上がるのだから、本家の映画は、そりゃもう。特に、日本を舞台にした荒唐無稽大作『007は二度死ぬ』撮影のために一同が来日した時の狂騒は凄まじかった。それに辟易したショーン・コネリーが日本嫌いになってしまう……という禍根すら残したという。

この『007は二度死ぬ』で一言だけ「大丈夫か?」というセリフを発する巨漢ボディガードは、設定上は日本人だが、演じたのはサモア系アメリカ人プロレスラーのピーター・メイヴィア。ハワイ出身の高見山が人気を博していた時期だけあって、製作陣が「こんなスモウ・レスラーがいるなら、サモアン(ハワイアンと同じポリネシア人種)が用心棒役でいいだろ」と押し切ってしまったと見られる。

これ以降、アメリカン・プロレス界で「リキシ」や「ヨコズナ」といったリングネームのお相撲さん設定のレスラー(どちらもピーター・メイヴィアの同族)が米プロレス界で活躍する起源はここにある、と思う。

なお、このピーター・メイヴィアの孫がプロレスラー転じてハリウッド最高給アクター、次期アメリカ大統領選への出馬も取り沙汰されるザ・ロックことドゥエイン・ジョンソンである……。
写真:AFLO
写真:AFLO
007は、時代に応じて変わり続け、常に自分をテコ入れしてきたシリーズでもある。既に確立された一大フランチャイズなのに、流行を見る目の敏感なこと、敏感なこと。

例えば70年代前半。『黒いジャガー』『Superfly』等の黒人映画の流行を見るや、ハーレムやニューオリンズやカリブ海を舞台に、黒人名優ヤフェット・コットーを敵役とした『死ぬのはやつらだ』を制作した(1973年)。

程なく、『燃えよドラゴン』により世界的なカンフー熱が巻き起こると、ボンドが香港や東南アジアへと赴き道場で戦ったりする『黄金銃を持つ男』が銀幕へ(1974年)。
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70年代後半、『サタデー・ナイト・フィーバー』の大ヒットでディスコ・ブーム全盛期に突入すると、雪山でのスキーチェイス・シーンをディスコ・アレンジされたテーマソング“Bond '77”が彩る『私を愛したスパイ』が作られる(1977年)。

 流行映画シリーズ長寿化のキモは、世相に飛びつくフットワークの良さ。こうした軽快さ(とガジェットの奇天烈さ)で際立っていたのが、ロジャー・ムーアによる三代目007だった。そのムーアが、去る5月23日に亡くなった今、時代の移り変わりを痛感せずにはいられないのも事実ではある。

本来、ジェイムズ・ボンドの活躍に欠かせない絶対的バックグラウンドだったのは「冷戦」と「東西対立」だ。ベルリンの壁の崩壊は1989年。昭和が終わったのも1989年。

だから、昭和の後半の風景には、常に冷戦があり、それをエンタテインメントに変えてくれる007がいた。逆に、「007が007らしく輝いていたのは、昭和に限る」という言い方をする人すらいる。

昭和の終焉とともに冷戦時代が終結し、東西二極構造が崩壊してから四半世紀となる今。混迷を増していくばかりの現代を反映したのが、ダニエル・クレイグが演じるダークでシリアスな現行のジェイムズ・ボンドだろう。

この現代版007に「夢を感じない」という声もあるが、いやいや、常に変わり続けてきたこのシリーズのこと。ダニエル・クレイグの降板と共に驚愕の新キャスティングにて再変身が予定されている……と噂されているから、まだまだ予断を許さないのだ。

かつてボンドに憧れ、ボンドと時代を過ごしてきた昭和男たちよ。君たちも、変身を恐れず、鍛錬を忘れることなかれ。そして、フットワークも軽快に、時代と共に生きていかんことを。

●丸屋九兵衛(まるや きゅうべえ)

R&B/ヒップホップ情報サイト『bmr』(http://bmr.jp)の編集長を務める音楽評論家、編集者、ラジオDJ、書評家、SF研究家、自称「プロフェッショナル・ナード」。年齢非公表。著書に、『丸屋九兵衛が愛してやまない、プリンスの決めゼリフは4EVER』等の決めゼリフシリーズ、『史上最強の台北カオスガイド101』等がある。

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