今からちょうど100年前の1912年。トーマス・マンの妻、カタリーナ・マンは肺病を患い、スイスのダボスにあるサナトリウム(結核治療のための療養所)で半年間の療養生活を送った。ペニシリンが開発されるのが1929年。当時、結核はまだ不治の病と言われていた時代。治療のためには日当たりのよい空気の澄んだ高原が選ばれた。それが“マジック・マウンテン”(魔法の山)、ダボスである。その年の5月に見舞いに訪れたマンはこの地に3週間滞在したが、10日ほどするうちに気管支を冒された。診察をしてもらい、半年ほどサナトリウムにとどまるよう勧められる。しかし、マンは当初の予定通り、3週間で滞在を打ち切り帰国した。この滞在と夫人から聞いた体験談や挿話を元に12年の歳月をかけて、小説『魔の山』を完成させたのだ。 PHOTOAISA/アフロ
物語の主人公ハンス・カストルプは1913年、3週間の予定でスイスのダボスにあるサナトリウム「ベルクホーフ」にいとこのヨアヒムを見舞うため訪れる。ところがサナトリウムに着いてみるとハンスも肺を病んでいることがわかり、ヨアヒムと一緒に療養することになってしまった。幼いころに両親を亡くし、兄弟もいないハンスにとってヨアヒムは数少ない親戚である。ハンスはヨアヒムがいることで療養生活が楽しくなることを期待するのだが、ヨアヒムにはそんな気はまったくなかった。ハンスは、次第にこの高原療養所の魔的な雰囲気に引き込まれ、病気や死に対して深い親近感を抱くようになる。そして、以後7年間も療養生活を送ることになってしまうのだ。 ところが、そこで暮らす人々は、病気とはいえ、贅沢な療養所でのんびり暮らせるだけの財力のある人達ばかりだった。常に死と隣り合わせであるがゆえに、刹那的に人生を楽しんだのかもしれない。朝から豪華な食事を平らげ、スキーや音楽、絵画に興じ、シガーの香りに酔いしれた。ヨアヒムはタバコを一切やらなかったが、ハンスはそんなヨアヒムに対し、シガーの魅力を熱く語るのだった。 『僕にはタバコがのめないって人の気持ちがわからないね。タバコをのまないのは人生のエッセンス、少なくとも人生の極めて優れた喜びを、いわば棄権してしまうことだからね。僕は朝目を覚ますと、今日も一日中タバコが吸えるんだと考えて嬉しくなるし、食事をするのだってやはり後のタバコが楽しくて、食事をしているともいえるね。もちろんこれは少し誇張だがね。とにかく、僕にはタバコのない一日などは、味気ない極みで、誠に侘しい一日だろうね。朝目が覚めた時に、今日は一日中吸うものがないということになったら、僕は起きる元気がすっかりなくなって、寝たっきりでいると思うね。ねえ君、燃えようが理想的なシガーさえあったらばね、空気が抜けたり、詰まったりしては、もちろんいまいましい極みだが。つまり、上等のシガーさえあったら、本当にもう何もかも安心で、それこそこの世で何が起ころうと平気だよ。海辺に寝ているようなもんさ。海辺に寝るのには他に何もいらないからね。仕事も、娯楽もね。ありがたいことに、タバコは世界中どこでも吸われていて、僕の知っている限りでは世界のどんな果てへ吹き流されても、タバコのない所はないんだってね。極地を探検する人も、疲労回復に備えて、タバコだけは十分に用意して行くそうだが、僕はそれを読んで、いつもしみじみと感動したもんだよ。だって、とてもひどい苦労をするだろうからね。しかし、仮に僕が惨めな目にあうと仮定してみよう。もし、そうなっても僕にシガーがある限り、頑張れると思うね、必ずね、シガーが僕に乗り越えさせてくれるよ』 ノーベル賞作家は自身のシガーへの愛を主人公に語らせるのであったが、自己の度の越したシガーへの愛情を客観的に分析し、登場人物のいとこのヨアヒムには、こう戒めの言葉を語らせている。 『少しだらしがないね。君のように溺れてはね。本当にベーレンス院長がいった通りだよ。君は文化人だってね。彼は褒めるつもりで言ったんだろうが、とにかく君は手に負えない文化人だよ。そこが問題なんだよ。もっとも君は健康なんだから、何をしようと構わないんだが』と疲れたようにヨアヒムは突き放すのだった。 マンが『魔の山』を書いた時期(1912-1924)といえば、ちょうど第一次世界大戦(1914-1918)が起きている。ドイツが戦争に突き進み、悲惨な結末を迎えた祖国をマンは憂い、作品に人生の彷徨を投影したのかもしれない。療養所の病人や特異な登場人物はヨーロッパの縮図として映る。政治は病み、遂には人々に大量の死が訪れたのだ。物語の主人公、ハンス・カストルプは人生のいたずらで、時間が止まったような不思議な感覚の7年間を魔の山で過ごすが、最後は山を降りる。しかし、向かった先は戦場だった。人生は、シガーの煙のようにゆらゆらと彷徨うのであった。 では、また来週。 (おまけ) シガーが登場するページに付箋をつけていったら、本が付箋だらけに・・・・。それくらいすごい量でシガーが登場する“シガーオヤジのための教養小説”、それがトーマス・マン、『魔の山』。主人公の青年、ハンス・カストルプは結核療養所の中だというのにシガーを吸いまくり、同好の士を見つけるやシガーの物々交換をしたり、シガー談議に花を咲かせます。例えば、口にくわえた体温計を水銀シガーだとか、均一に燃えるシガーの灰は砂時計の代わりになるだの、もう完全なシガーオタクなのです。一読の価値ありです。
広見護(ひろみ・まもる)
90年にソムリエ資格を取得後、単身キューバへ。銀座のフレンチレストラン在職中の97年、日本で初めて葉巻の書を著す。その後、外資系商社にてシガービジネスに携わり、06年から独自にシガーの輸入販売を開始。07年にはオリジナルシガーのブランドを立ち上げ、08年直営シガーバーをオープン。葉巻を吸い、書き、つくる、マルチプレーヤー。葉巻歴20年。
HIROMI ENTERPRISE HP
今からちょうど100年前の1912年。トーマス・マンの妻、カタリーナ・マンは肺病を患い、スイスのダボスにあるサナトリウム(結核治療のための療養所)で半年間の療養生活を送った。ペニシリンが開発されるのが1929年。当時、結核はまだ不治の病と言われていた時代。治療のためには日当たりのよい空気の澄んだ高原が選ばれた。それが“マジック・マウンテン”(魔法の山)、ダボスである。その年の5月に見舞いに訪れたマンはこの地に3週間滞在したが、10日ほどするうちに気管支を冒された。診察をしてもらい、半年ほどサナトリウムにとどまるよう勧められる。しかし、マンは当初の予定通り、3週間で滞在を打ち切り帰国した。この滞在と夫人から聞いた体験談や挿話を元に12年の歳月をかけて、小説『魔の山』を完成させたのだ。

PHOTOAISA/アフロ
ドイツ帝国の商業都市、リューベックの豪商の家系に生まれる。
1901年に自身の一族の歴史をモデルとした
長編『ブッテンブローク家の人々』で名声を得る。代表作に
『ヴェニスに死す』(1912)、『魔の山』(1924)など。
29年にノーベル文学賞を受賞。33年にヒトラーが政権を握ると、
兄ハインリヒ・マンと共にドイツ・アカデミーを脱退。36年チェコ国籍を取得。
38年、アメリカに移住しプリンストン大学客員教授(後に名誉教授)に就任。
大戦中のアメリカではドイツ、オーストリアからの亡命者を支援した。
44年、アメリカ市民権を獲得。55年6月、80歳の誕生日を記念して
東ドイツで全集が刊行。7月オランダで病に倒れ、8月12日死去。
遺体はキルヒベルクに葬られ、埋葬式に数百人が集まり
ヘルマン・ヘッセが別れの言葉を述べたという。
物語の主人公ハンス・カストルプは1913年、3週間の予定でスイスのダボスにあるサナトリウム「ベルクホーフ」にいとこのヨアヒムを見舞うため訪れる。ところがサナトリウムに着いてみるとハンスも肺を病んでいることがわかり、ヨアヒムと一緒に療養することになってしまった。幼いころに両親を亡くし、兄弟もいないハンスにとってヨアヒムは数少ない親戚である。ハンスはヨアヒムがいることで療養生活が楽しくなることを期待するのだが、ヨアヒムにはそんな気はまったくなかった。ハンスは、次第にこの高原療養所の魔的な雰囲気に引き込まれ、病気や死に対して深い親近感を抱くようになる。そして、以後7年間も療養生活を送ることになってしまうのだ。
ところが、そこで暮らす人々は、病気とはいえ、贅沢な療養所でのんびり暮らせるだけの財力のある人達ばかりだった。常に死と隣り合わせであるがゆえに、刹那的に人生を楽しんだのかもしれない。朝から豪華な食事を平らげ、スキーや音楽、絵画に興じ、シガーの香りに酔いしれた。ヨアヒムはタバコを一切やらなかったが、ハンスはそんなヨアヒムに対し、シガーの魅力を熱く語るのだった。
『僕にはタバコがのめないって人の気持ちがわからないね。タバコをのまないのは人生のエッセンス、少なくとも人生の極めて優れた喜びを、いわば棄権してしまうことだからね。僕は朝目を覚ますと、今日も一日中タバコが吸えるんだと考えて嬉しくなるし、食事をするのだってやはり後のタバコが楽しくて、食事をしているともいえるね。もちろんこれは少し誇張だがね。とにかく、僕にはタバコのない一日などは、味気ない極みで、誠に侘しい一日だろうね。朝目が覚めた時に、今日は一日中吸うものがないということになったら、僕は起きる元気がすっかりなくなって、寝たっきりでいると思うね。ねえ君、燃えようが理想的なシガーさえあったらばね、空気が抜けたり、詰まったりしては、もちろんいまいましい極みだが。つまり、上等のシガーさえあったら、本当にもう何もかも安心で、それこそこの世で何が起ころうと平気だよ。海辺に寝ているようなもんさ。海辺に寝るのには他に何もいらないからね。仕事も、娯楽もね。ありがたいことに、タバコは世界中どこでも吸われていて、僕の知っている限りでは世界のどんな果てへ吹き流されても、タバコのない所はないんだってね。極地を探検する人も、疲労回復に備えて、タバコだけは十分に用意して行くそうだが、僕はそれを読んで、いつもしみじみと感動したもんだよ。だって、とてもひどい苦労をするだろうからね。しかし、仮に僕が惨めな目にあうと仮定してみよう。もし、そうなっても僕にシガーがある限り、頑張れると思うね、必ずね、シガーが僕に乗り越えさせてくれるよ』
ノーベル賞作家は自身のシガーへの愛を主人公に語らせるのであったが、自己の度の越したシガーへの愛情を客観的に分析し、登場人物のいとこのヨアヒムには、こう戒めの言葉を語らせている。
『少しだらしがないね。君のように溺れてはね。本当にベーレンス院長がいった通りだよ。君は文化人だってね。彼は褒めるつもりで言ったんだろうが、とにかく君は手に負えない文化人だよ。そこが問題なんだよ。もっとも君は健康なんだから、何をしようと構わないんだが』と疲れたようにヨアヒムは突き放すのだった。
マンが『魔の山』を書いた時期(1912-1924)といえば、ちょうど第一次世界大戦(1914-1918)が起きている。ドイツが戦争に突き進み、悲惨な結末を迎えた祖国をマンは憂い、作品に人生の彷徨を投影したのかもしれない。療養所の病人や特異な登場人物はヨーロッパの縮図として映る。政治は病み、遂には人々に大量の死が訪れたのだ。物語の主人公、ハンス・カストルプは人生のいたずらで、時間が止まったような不思議な感覚の7年間を魔の山で過ごすが、最後は山を降りる。しかし、向かった先は戦場だった。人生は、シガーの煙のようにゆらゆらと彷徨うのであった。
では、また来週。
(おまけ)
シガーが登場するページに付箋をつけていったら、本が付箋だらけに・・・・。それくらいすごい量でシガーが登場する“シガーオヤジのための教養小説”、それがトーマス・マン、『魔の山』。主人公の青年、ハンス・カストルプは結核療養所の中だというのにシガーを吸いまくり、同好の士を見つけるやシガーの物々交換をしたり、シガー談議に花を咲かせます。例えば、口にくわえた体温計を水銀シガーだとか、均一に燃えるシガーの灰は砂時計の代わりになるだの、もう完全なシガーオタクなのです。一読の価値ありです。