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広見護の極上シガータイム
パドロン来日(5)
12 December 2011
POSTED BY 広見 護

パドロンのジャパンツアー。3日目の10月19日(水)は「スモコレ」でホルヘ・パドロン社長によるシガーセミナーです。セミナーのタイトルは「パドロンとは」。ほんのちょっとだけ、どんなセミナーだったのかを紹介しましょう。

今から47年前、1964年の話です。ホルヘさんのお父さん、ホセ・パドロンさんは葉巻職人を一人雇って1日に200本の葉巻を作っていました。その葉巻をホセ氏が夜に販売するというスタイルだった。当時からホセ氏は、二つのことを守っていました。

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スターのやるいちばん大事な仕事はサインなのでした。
ポスターに次々とサインをしていたら、うちのブースには
行列ができちゃいました。ハグする女子まで殺到、
こりゃサイン目当てに葉巻が完売御礼か!?と淡い期待も束の間、
ブースはやじ馬でごった返して商売はあがったりでした。チャンチャン♪

ひとつは品質管理を徹底するということ。数量よりも品質。会社の発展よりも品質へのこだわりを重視し、顧客からのロイヤリティに応えるかたちで葉巻を提供しました。ホセ・パドロン氏はキューバのピナール・デル・リオの葉タバコ農家の生まれです。葉巻を製造していたわけではありませんが、キューバの葉巻産業の中にいました。最高の葉巻をつくるには、最高の葉タバコが必要です。最高の葉タバコをコンスタントに入手するには、他者から買い入れていたのでは難しいですよね。相手が売ってくれなくなったらおしまいです。これでは他人に葉巻の品質を左右されてしまいます。理想形は、タバコの栽培から葉巻の製造、販売までを自らの手で一貫生産することだと学んだのです。

もうひとつは家族を大事にすること。パドロン社の考えは、パドロン家の家族全員がパドロン社のビジネスに関わると同時に、葉巻の製造から販売に関わる全てのプロセスを責任持って管理し、最高の品質を保証するという姿勢にあらわれています。その証がシガーアフィショナード誌において世界で最も高得点をマークしているシガーのブランド、という点です。

ホセ氏は1967年に当時のニカラグアの首相に招待されニカラグアを訪問。ニカラグアのタバコの品質の固さに感銘し、初めてニカラグアのタバコをアメリカに輸入し、マイアミの工場で葉巻製造を始めました。1970年、ニカラグアのエステリで葉巻工場を稼働。当時の葉巻職人は4人。1978年に市民戦争が始まり、戦禍を避けるためにホンジュラスに業務の一部を移転しますが、ニカラグアの工場は焼失してしまいました。工場の再建は行ったものの、米レーガン大統領時代の経済制裁によって、ニカラグア製品の対米輸出はストップし、全てのビジネスをホンジュラスにシフトせざるを得ませんでした。1990年にニカラグアの民主化選挙が行われ、対米貿易が正常化。その結果、工場などのニカラグア再移転を進め、2007年にはすべての工場がニカラグアに戻り、現在の体制となりました。

現在は400名のフルタイム労働者がいて、収穫期などの繁忙期にはパート社員を含め1000人以上が働いています。全ての出荷はマイアミの物流センターで行われていて、そこでは25人の従業員が働いています。内、10人がパドロン家の家族だそうです。このようなわけで、パドロン社の製品にはパドロン社とパドロン家の歴史やアニバーサリーが商品名として刻まれているのですね。

今や、ドミニカ共和国で葉巻を作っていた一流シガーメーカーまでもがこぞってニカラグアに葉巻工場を建設しています。でも、その先鞭をつけたのがパドロンでした。その道のりは政変の波に飲まれ、何度も工場の焼失に遭いながらその度に再建を果たしてきた苦難の連続です。葉巻業界のスターがサインをする姿の裏に隠された、ちょっとしたお話なのでした。

では、また来週~!

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PROFILE

広見護(ひろみ・まもる)

90年にソムリエ資格を取得後、単身キューバへ。銀座のフレンチレストラン在職中の97年、日本で初めて葉巻の書を著す。その後、外資系商社にてシガービジネスに携わり、06年から独自にシガーの輸入販売を開始。07年にはオリジナルシガーのブランドを立ち上げ、08年直営シガーバーをオープン。葉巻を吸い、書き、つくる、マルチプレーヤー。葉巻歴20年。

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