1962年のとある日。二人のオヤジが丸テーブルを囲んで、シガーを吹かしながら映画の話をしている。一人は丸まると太ったイギリス・オヤジ。口にとても長くて大きな葉巻をくわえており、先端が焦げてポカリと煙が立っていた。もう一人はスマートなフランス・オヤジで、慣れた手つきで右手に短めの葉巻を持っている。イギリス・オヤジは英語しか喋れない。フランス・オヤジはフランス語しか喋れない。だから丸テーブルには通訳の女性がいた。ニューヨークのフレンチ・フィルム・オフィスで働くヘレン・スコット女史である。彼女はフランス育ちのアメリカ人で、無類の映画好き。英仏両国語で映画の専門用語を完璧に駆使できた。さて、二人のオヤジの会話とは…。 写真:AP/アフロ
イギリス・オヤジとはアルフレッド・ヒッチコック(1899−1980)、63歳。アメリカではテレビサスペンス番組『ヒッチコック劇場』(1955〜1962年)を総監修し“サスペンス映画の神様”と呼ばれていた。フランス・オヤジはフランソワ・トリュフォー(1932−1984)、30歳。映画批評家から映画作家になり、『大人は判ってくれない』(1959)が大ヒットし、カンヌ国際映画祭で監督賞を受賞。“ヌーベルバーグの旗手”と呼ばれた新進気鋭の監督である。二人の映画狂の話は50時間に及んだ。それは後に、『定本 映画術』ヒッチコック/トリュフォー(晶文社)として一冊の本にまとめられる。ヒッチコック・ファンのための書であり、聞き手がトリュフォーである。 その本によれば、ヒッチコックは休み時間に校庭へ出ても他の子供たちと決して遊ぼうとしない、無口で孤独な少年だったという。いつも壁に背をつけて突き出たおなかを両手で支えるようにして、仲間の少年たちが校庭で無邪気に遊び回るのを軽蔑のまなざしでじっと見ていた。子供のころから肥満症で、大人になると減量のためにありとあらゆる食餌療法を試みたがすべてダメ。有名になってからはそのことを逆手にとって、そのぶざまな姿を他人から笑い者にされる前に自ら戯画化した。それがテレビヒッチコック劇場のトレードマークのシルエットであり、自分の作品に必ずワンカットだけ登場自らその姿をさらけ出し、それをひとつのギャグにまで昇華させてしまった。自分のすべてをうまく編集する根っからのハサミ好き(編集屋)であり、プロデューサーなのだ。 トリュフォーはヒッチコックの映画をこういった。サスペンスの巨匠はまたアブノーマルの巨匠でもある。映画館の中でアラブ人にはピーナツの皮をむかせる余裕を与えず、イタリア人にはタバコに火をつける余裕を与えず、フランス人には隣の席の女の子に手を出す余裕を与えず、スウェーデン人には客席を二列またがってセックスする余裕を与えず、ギリシャ人には…。そう、観客の全神経をスクリーンに集中させることこそ、ヒッチコックの駆使する映画の秘術なのだ。 確かにヒッチコックの映画には平凡でありふれたシーンはない。ハラハラドキドキしてスクリーンに釘付けになってしまう。見る者のエモーションに訴えかけてくる。それはひとつには“恐怖”である。観客の注意をそらさないように、緊張感を与え続ける。ありふれた日常の中にある予定調和が突如狂い始める。日常が異常に変わるのだ。『鳥』に見られるように、かわいい子鳥が人間に襲いかかって来る恐怖感!そしてもう一つは“映像美”である。一番わかりやすい特徴は、ブロンド美女の存在だろう。グレース・ケリー(裏窓、泥棒成金、ダイヤルMを廻せ!)、ティッピ・ヘドレン(鳥、マーニー)、イングリッド・バーグマン(白い恐怖)、キム・ノヴァク(めまい)、ジャネット・リー(サイコ)、ジョーン・フォンテイン(レベッカ、断崖)。女の趣味がイイ。そして彼女たちの衣装がこれまたイイ。しかし、それもすべては映画のためであった。 ヒッチコックの80年の生涯は映画がすべて。それはまるで敬虔な信者が神と共にあるように、日々、映画と共にあったのである。ヒッチコック・タッチと呼ばれる独特のサスペンス映画を切り開いた巨匠は、人まねを嫌った。他人にはよく真似されたが。クリエイションや美を愛した。メッセージ性を排し、ドライマティーニの切れ味のような英国風ブラック・ユーモア溢れるシニックな作品を好んだ。とにかく巨匠は大きなシガーを愛した。一人沈思黙考する時間を持つことで見えてくる何かがあるのかもしれない。 では、また来週。
広見護(ひろみ・まもる)
90年にソムリエ資格を取得後、単身キューバへ。銀座のフレンチレストラン在職中の97年、日本で初めて葉巻の書を著す。その後、外資系商社にてシガービジネスに携わり、06年から独自にシガーの輸入販売を開始。07年にはオリジナルシガーのブランドを立ち上げ、08年直営シガーバーをオープン。葉巻を吸い、書き、つくる、マルチプレーヤー。葉巻歴20年。
HIROMI ENTERPRISE HP
1962年のとある日。二人のオヤジが丸テーブルを囲んで、シガーを吹かしながら映画の話をしている。一人は丸まると太ったイギリス・オヤジ。口にとても長くて大きな葉巻をくわえており、先端が焦げてポカリと煙が立っていた。もう一人はスマートなフランス・オヤジで、慣れた手つきで右手に短めの葉巻を持っている。イギリス・オヤジは英語しか喋れない。フランス・オヤジはフランス語しか喋れない。だから丸テーブルには通訳の女性がいた。ニューヨークのフレンチ・フィルム・オフィスで働くヘレン・スコット女史である。彼女はフランス育ちのアメリカ人で、無類の映画好き。英仏両国語で映画の専門用語を完璧に駆使できた。さて、二人のオヤジの会話とは…。

写真:AP/アフロ
イギリスの映画監督、映画プロデューサー。ロンドン郊外の
食料品商の家に生まれる。サイレント映画の字幕制作者を経て監督となる。
1939年までイギリスで、1940年からはアメリカで、
計53本の作品を作り上げた。“ヒッチコック・タッチ”と呼ばれる
サスペンス映画の至芸を駆使し、独自の映画文法を完成させた。
80歳でハリウッドに死す。代表作に『裏窓』(1954)、
『めまい』(1958)、『北北西に進路を取れ』(1959)、
『サイコ』(1960)、『鳥』(1963)など。
イギリス・オヤジとはアルフレッド・ヒッチコック(1899−1980)、63歳。アメリカではテレビサスペンス番組『ヒッチコック劇場』(1955〜1962年)を総監修し“サスペンス映画の神様”と呼ばれていた。フランス・オヤジはフランソワ・トリュフォー(1932−1984)、30歳。映画批評家から映画作家になり、『大人は判ってくれない』(1959)が大ヒットし、カンヌ国際映画祭で監督賞を受賞。“ヌーベルバーグの旗手”と呼ばれた新進気鋭の監督である。二人の映画狂の話は50時間に及んだ。それは後に、『定本 映画術』ヒッチコック/トリュフォー(晶文社)として一冊の本にまとめられる。ヒッチコック・ファンのための書であり、聞き手がトリュフォーである。
その本によれば、ヒッチコックは休み時間に校庭へ出ても他の子供たちと決して遊ぼうとしない、無口で孤独な少年だったという。いつも壁に背をつけて突き出たおなかを両手で支えるようにして、仲間の少年たちが校庭で無邪気に遊び回るのを軽蔑のまなざしでじっと見ていた。子供のころから肥満症で、大人になると減量のためにありとあらゆる食餌療法を試みたがすべてダメ。有名になってからはそのことを逆手にとって、そのぶざまな姿を他人から笑い者にされる前に自ら戯画化した。それがテレビヒッチコック劇場のトレードマークのシルエットであり、自分の作品に必ずワンカットだけ登場自らその姿をさらけ出し、それをひとつのギャグにまで昇華させてしまった。自分のすべてをうまく編集する根っからのハサミ好き(編集屋)であり、プロデューサーなのだ。
トリュフォーはヒッチコックの映画をこういった。サスペンスの巨匠はまたアブノーマルの巨匠でもある。映画館の中でアラブ人にはピーナツの皮をむかせる余裕を与えず、イタリア人にはタバコに火をつける余裕を与えず、フランス人には隣の席の女の子に手を出す余裕を与えず、スウェーデン人には客席を二列またがってセックスする余裕を与えず、ギリシャ人には…。そう、観客の全神経をスクリーンに集中させることこそ、ヒッチコックの駆使する映画の秘術なのだ。
確かにヒッチコックの映画には平凡でありふれたシーンはない。ハラハラドキドキしてスクリーンに釘付けになってしまう。見る者のエモーションに訴えかけてくる。それはひとつには“恐怖”である。観客の注意をそらさないように、緊張感を与え続ける。ありふれた日常の中にある予定調和が突如狂い始める。日常が異常に変わるのだ。『鳥』に見られるように、かわいい子鳥が人間に襲いかかって来る恐怖感!そしてもう一つは“映像美”である。一番わかりやすい特徴は、ブロンド美女の存在だろう。グレース・ケリー(裏窓、泥棒成金、ダイヤルMを廻せ!)、ティッピ・ヘドレン(鳥、マーニー)、イングリッド・バーグマン(白い恐怖)、キム・ノヴァク(めまい)、ジャネット・リー(サイコ)、ジョーン・フォンテイン(レベッカ、断崖)。女の趣味がイイ。そして彼女たちの衣装がこれまたイイ。しかし、それもすべては映画のためであった。
ヒッチコックの80年の生涯は映画がすべて。それはまるで敬虔な信者が神と共にあるように、日々、映画と共にあったのである。ヒッチコック・タッチと呼ばれる独特のサスペンス映画を切り開いた巨匠は、人まねを嫌った。他人にはよく真似されたが。クリエイションや美を愛した。メッセージ性を排し、ドライマティーニの切れ味のような英国風ブラック・ユーモア溢れるシニックな作品を好んだ。とにかく巨匠は大きなシガーを愛した。一人沈思黙考する時間を持つことで見えてくる何かがあるのかもしれない。
では、また来週。