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広見護の極上シガータイム
チェ・ゲバラ
21 July 2011
POSTED BY 広見 護

1955年当時のメキシコ・シティーには反米思想をもった各国からの亡命者たちが数多くいた。というのも1910年にメキシコ革命が起き、いち早く独裁者を追放、民主的な社会改革が行われていたメキシコには、メキシコ革命当時からの伝統が色濃く残っていたのだ。そこでエルネスト・ゲバラはフィデル・カストロと出会う。エルネスト27歳、フィデル29歳の時。エルネストは真面目で人懐っこい性格で会う人に「チェ!」(やぁ!)と口癖のように話しかけた。亡命キューバ人達は皆それをおもしろがって、エルネストのことを「チェ」と呼ぶようになる。かくして、「チェ・ゲバラ」(スペイン語圏では「チェ」)が誕生したのである。

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写真:AP/アフロ

チェ・ゲバラ(1928−1967)。アルゼンチン生まれの革命家。
1950年、22歳のときにバイクで放浪の旅に出る。
53年、ブエノスアイレス大学で医学博士の学位を取得。
55年、メキシコでフィデル・カストロらと出会い、意気投合。
翌年にはグランマ号に乗り込みキューバに上陸、シエラ・マエストラの
ゲリラ戦に軍医として従軍。この時に葉巻やパイプを覚えた。
59年、キューバ革命が成功するとキューバ国立銀行総裁などを歴任。
65年、キューバを離れコンゴへ。「別れの手紙」が発表される。
翌年ボリビアへ。67年、CIAをバックにつけた
ボリビア政府の命令で処刑される。数日後、カストロによりハバナの革命広場で
チェの追悼集会が開かれ、100万人以上の人々が集まったという。

チェは1955年にメキシコでフィデル・カストロと出会い、1959年にキューバ革命に貢献すると、1965年にはキューバを離れる。遠い異国の地に出かけて新たな革命に挑み、死ぬことになる。そんなチェにとってカストロとの10年間、特にシエラ・マエストラでゲリラ戦を闘った2年間は一番楽しい時期だったに違いない。なぜ、チェはキューバを去って行ったのだろうか?「キューバ革命」を成功に導き、国家のナンバー2の地位にありながら…。それは1965年、アルジェリアのアルジェで開催された「第二回アジア・アフリカ経済会議」の演説においての発言が引き金になった。

当時キューバの最も大事な貿易相手国だったソ連を「帝国主義的搾取の共犯者」として非難する。つまり、ソ連もアメリカと一緒だと。帰国後、キューバ政府はソ連から「チェをキューバ首脳陣から外さなければ物資の援助をやめる」旨の通告を受ける。これを受けてチェはフィデルにキューバの一線から退くことを伝え、手紙を残してキューバを離れた。行った先がコンゴである。キューバ革命の成功をもっと他の国にまで拡大しようと考えたが、キューバでは奇跡的にうまくいった革命も他の国ではまったく勝手が違った。それを思い知ることになる辛い旅となった。

フィデルはチェの母校ブエノスアイレス大学を2003年に訪れ、チェについて語っている。曰く、『我々は革命に勝利しましたが、国の蓄えは盗まれていてほとんど財源がなかったのです。私たちの敵はこのことを嘲笑します。ある日の笑い話はこんなものでした。私が「経済学者(エコノミスタ)が一人必要だ」と言いました。すると、周りの皆が「共産主義者(コムニスタ)が一人必要だ」と聞き間違え、それでチェが国立銀行総裁に決まったのだ、と。私の方も負けずに笑い飛ばしてやりました。確かにチェはコムニスタですが、同時にエコノミスタの側面も併せ持っていたのです。なぜならば、国の経済を率いる者として何をやりたいと考えるか、それが重要だからです。これは学位があれば務まるものではありません。チェは私利私欲がなく、自発労働(無償労働)の推進者。何百万もの国民の支持と共感を得て、後を継ぐ者もたくさん獲得しました。今、大衆の中に何百人もチェのような人物がいます』フィデルは得意の弁護術でチェをいつも讃えた。それは、中南米の国々における共通の神=チェを作りだす戦略だったのかもしれない。

ジョン・レノンに「あの頃、世界で一番かっこいいのがチェだった」と言わしめたチェ・ゲバラ。そんなチェが世界で広く愛されたのにはワケがある。1.賢いカストロは自画自賛をせず、いつもチェを引き立てたこと。2.コルダが撮った写真がポスターやTシャツとなり、チェの肖像が「キューバ」や「革命」のシンボルとなり、広く世界に知れ渡ったこと。3.私利私欲は大嫌いで皆平等が好きなこと。アメリカ帝国主義が大嫌い、でもインディオは好き。いつでも弱者の味方のこと。それとやっぱり、4.葉巻を吸っている姿が最高にカッコイイこと!

チェはこう言います。『酒は飲まない。たばこを吸う。女を好きにならない位なら男をやめる。どんな理由であっても革命家の任務を全うできないならば、僕は革命家をやめる』チェにとってそれは「革命」でしたが、すべてのオヤジはそれに相当する「何か」を抱えているのかもしれません。チェにとってそれは『革命か死か!』という過激なものだったわけですが…。

では、また来週。

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PROFILE

広見護(ひろみ・まもる)

90年にソムリエ資格を取得後、単身キューバへ。銀座のフレンチレストラン在職中の97年、日本で初めて葉巻の書を著す。その後、外資系商社にてシガービジネスに携わり、06年から独自にシガーの輸入販売を開始。07年にはオリジナルシガーのブランドを立ち上げ、08年直営シガーバーをオープン。葉巻を吸い、書き、つくる、マルチプレーヤー。葉巻歴20年。

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