1938年10月30日、日曜日。ハロウィン前日の夜8時15分。CBSラジオを聞いていたアメリカの国民はラジオに釘付けになり、我が耳を疑った。「火星人が攻めてきた」という生々しい実況中継のような演出のラジオ番組を、本当に起きている事件と勘違いし、やがてパニックが起きたのだ。
聴取率の悪かったラジオ番組を立て直すため、テコ入れを任されたウェルズは、大人のためのハロウィン・パーティーを企画したかったのかもしれない。そして閃いたアイデアが「オーソン・ウェルズとマーキュリー劇場 宇宙戦争」だ。火星人がアメリカに攻めてきたという内容を現場からの報告など、実際のニュース放送のような形式で放送したのだ。そのため多くの市民が実際に起きている出来事だと勘違いし、パニックを引き起こしたとされているのである。このラジオ番組をプロデュースしたウェルズの名は全米に売れ、その手腕に着目した人物が現れる。ハリウッドの映画製作会社RKOの代表ジョージ・シェーファーである。 RKOは、ウェルズに破格の待遇で契約を申し出る。そして1941年に完成した映画が、実在の新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストの生涯をスキャンダラスに描いて物議を醸した『市民ケーン』だ。暗く荒廃した大邸宅ザナドゥの主、かつての新聞王ケーンが「バラのつぼみ」という謎の言葉を残して死んだ。関係者とのインタビューによってケーンの生涯を辿ってきた新聞記者トンプソンだが、結局「バラのつぼみ」の謎を解けないままザナドゥを立ち去る。ケーンの死後、燃やされる遺品の中に「バラのつぼみ」という文字が刻まれたソリがあった。それはケーンが少年時代に雪山で遊んだものだった…。 完成した映画は批評家たちから絶賛を浴びる。「バラのつぼみ」という謎のワードを追うという謎解きが物語に筋を与え、世界各国の批評家がウェルズをアメリカのストーリーテラーの天才と讃えたのだ。しかし、出版王ハーストを敵に回したことにより映画「市民ケーン」はハースト系列の映画館では上映されないなど、結局、興行的に失敗に終わってしまう。それはオーソン・ウェルズの華々しいキャリアの終わりの始まりでもあった。 当初からハリウッド入りしたオーソン・ウェルズに対する風当たりは強かった。多くの監督たちにとって、35歳になるまでに映画を監督できたら幸運な方であるという時代。24歳の青二才で、しかも門外漢が初作品から全権を委任されたのだ。やっかみが起こるのも当然だろう。RKOの古株連中にスタジオの設備を案内され、「子供のオモチャにしては立派だろう」とイヤミをいわれると、「ハリウッドは子供が欲しがる最高のオモチャさ!」とやり返した。向こう見ずな性格は敵を作ることになり、大きな犠牲を払うことになる。 だがしかし。ウェルズの名誉のために現在の評価を紹介させていただこう。英国映画協会が10年ごとに全世界の映画批評家の意見を集約して「世界映画史上ベスト10」を選出しているが、「市民ケーン」は1962年、72年、82年、92年、2002年と、この40年間連続して第1位に選出されている。また、アメリカ映画協会も1998年に「アメリカ映画ベスト100」の作品中、第1位として選出しているし、2007年に更新されたリストでも再び第1位だった。 オーソン・ウェルズ。葉巻は、大きなことをやり遂げる男によく似合う。この巨人は、世のオヤジにそう教えてくれるのですね。 では、また来週お会いしましょう。さよなら、さよなら、さよなら。 (お役立ち情報)「市民ケーン」を見た後に「ザ・ディレクター ~市民ケーンの真実~」を見ると、より分かりやすいですよ。
広見護(ひろみ・まもる)
90年にソムリエ資格を取得後、単身キューバへ。銀座のフレンチレストラン在職中の97年、日本で初めて葉巻の書を著す。その後、外資系商社にてシガービジネスに携わり、06年から独自にシガーの輸入販売を開始。07年にはオリジナルシガーのブランドを立ち上げ、08年直営シガーバーをオープン。葉巻を吸い、書き、つくる、マルチプレーヤー。葉巻歴20年。
HIROMI ENTERPRISE HP
1938年10月30日、日曜日。ハロウィン前日の夜8時15分。CBSラジオを聞いていたアメリカの国民はラジオに釘付けになり、我が耳を疑った。「火星人が攻めてきた」という生々しい実況中継のような演出のラジオ番組を、本当に起きている事件と勘違いし、やがてパニックが起きたのだ。

聴取率の悪かったラジオ番組を立て直すため、テコ入れを任されたウェルズは、大人のためのハロウィン・パーティーを企画したかったのかもしれない。そして閃いたアイデアが「オーソン・ウェルズとマーキュリー劇場 宇宙戦争」だ。火星人がアメリカに攻めてきたという内容を現場からの報告など、実際のニュース放送のような形式で放送したのだ。そのため多くの市民が実際に起きている出来事だと勘違いし、パニックを引き起こしたとされているのである。このラジオ番組をプロデュースしたウェルズの名は全米に売れ、その手腕に着目した人物が現れる。ハリウッドの映画製作会社RKOの代表ジョージ・シェーファーである。
RKOは、ウェルズに破格の待遇で契約を申し出る。そして1941年に完成した映画が、実在の新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストの生涯をスキャンダラスに描いて物議を醸した『市民ケーン』だ。暗く荒廃した大邸宅ザナドゥの主、かつての新聞王ケーンが「バラのつぼみ」という謎の言葉を残して死んだ。関係者とのインタビューによってケーンの生涯を辿ってきた新聞記者トンプソンだが、結局「バラのつぼみ」の謎を解けないままザナドゥを立ち去る。ケーンの死後、燃やされる遺品の中に「バラのつぼみ」という文字が刻まれたソリがあった。それはケーンが少年時代に雪山で遊んだものだった…。
完成した映画は批評家たちから絶賛を浴びる。「バラのつぼみ」という謎のワードを追うという謎解きが物語に筋を与え、世界各国の批評家がウェルズをアメリカのストーリーテラーの天才と讃えたのだ。しかし、出版王ハーストを敵に回したことにより映画「市民ケーン」はハースト系列の映画館では上映されないなど、結局、興行的に失敗に終わってしまう。それはオーソン・ウェルズの華々しいキャリアの終わりの始まりでもあった。
当初からハリウッド入りしたオーソン・ウェルズに対する風当たりは強かった。多くの監督たちにとって、35歳になるまでに映画を監督できたら幸運な方であるという時代。24歳の青二才で、しかも門外漢が初作品から全権を委任されたのだ。やっかみが起こるのも当然だろう。RKOの古株連中にスタジオの設備を案内され、「子供のオモチャにしては立派だろう」とイヤミをいわれると、「ハリウッドは子供が欲しがる最高のオモチャさ!」とやり返した。向こう見ずな性格は敵を作ることになり、大きな犠牲を払うことになる。
だがしかし。ウェルズの名誉のために現在の評価を紹介させていただこう。英国映画協会が10年ごとに全世界の映画批評家の意見を集約して「世界映画史上ベスト10」を選出しているが、「市民ケーン」は1962年、72年、82年、92年、2002年と、この40年間連続して第1位に選出されている。また、アメリカ映画協会も1998年に「アメリカ映画ベスト100」の作品中、第1位として選出しているし、2007年に更新されたリストでも再び第1位だった。
オーソン・ウェルズ。葉巻は、大きなことをやり遂げる男によく似合う。この巨人は、世のオヤジにそう教えてくれるのですね。
では、また来週お会いしましょう。さよなら、さよなら、さよなら。
(お役立ち情報)「市民ケーン」を見た後に「ザ・ディレクター ~市民ケーンの真実~」を見ると、より分かりやすいですよ。